一年ぶりに文楽大阪公演を観に行った
「鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)」がかかるのは一昨年の東京九月公演以来であるが、今回は冒頭に鞍馬山の段が加わっての上演であった

<左は鬼一法眼、あらすじはチラシ裏面の上段をご参考に>
鞍馬山にはつい先日登ったばかり。 牛若丸に秘術をさずけた大天狗やその眷属が跋扈しても少しもおかしくない不思議な気に満ち満ちたお山だった ⇒
鞍馬寺の様子はこちら鞍馬の段では鶴澤清志郎の三味線を期待していたのだが、風邪でもひいたのか休演でちょっと残念
続く「播州書写山の段」は播州人の筆者としては思い入れのある場面
「書寫山圓教寺」は西の比叡山と言われるほど由緒ある天台宗の修業道場の地
幼き日の鬼若丸(後の武蔵坊弁慶)は性慶阿闍梨(しょうけいあじゃり)の元に預けられているが、図体ばかり大きく学問・手習いはさっぱりの粗忽者で通っていた
しかしそれは出家させられるのが嫌なために、わざと無能なフリをしていただけだった
乳母の飛鳥が巡礼の菅笠に書いてある「迷故三界城、悟故十方空」の意味を問うと、鬼若は「ホホ、迷うが故に三界、悟りの心開くれば、十方ともに空ならずや。もとより、西も東も一体・・・広大無辺の大慈大悲、ハハハハ信ずべし、信ずべし」と朗々と弁に任せて、さも爽やかに語ったのであった。
なんとこれはあの安宅の関での弁慶の機転、白紙の巻物を広げ、南都東大寺再興のための勧進を滔々と読み上げるシーンの伏線となっているではないか!!
乳母は鬼若が実は利発な子と分かると、彼の父、弁真(熊野の出身)が源為義に味方したかどで清盛に殺されたことや、 彼の母の敵が播磨領主平広盛であることを明かすとともに、弁真から預かっていた三条小鍛冶が打った「三日月」という名の薙刀(なぎなた)を渡す
三条小鍛冶は能や長唄の「小鍛冶」で稲荷山の神の化身であるキツネを相槌に「子狐丸」という名刀を打ったことで有名なあの三条小鍛冶宗近だ
⇒ ちなみに奈良に
三条小鍛冶宗近という刃物屋さんが存在するから驚きである
⇒
能「小鍛冶」に関する記事はこちら父の弁真から「弁」、師の坊である性慶阿闍梨から「慶」の字をもらい、名を弁慶と改めた鬼若は両親の真の仇であり、源氏の仇敵である平清盛を討たんと書写の山を下りて京を目指すのであった
この段の奥を務めた千歳大夫と富助さんの三味線が光っていた 前回は余り記憶になかったこの段だが、今回はこの二人の気迫溢れる浄瑠璃と勘十郎の鬼若に魅せられた
次の清盛館の段は鬼一の娘、皆鶴姫の活躍のシーン

<これが歌舞伎の皆鶴姫>
そしてクライマックスの「菊畑の段」である ここは咲大夫の義太夫と燕三の三味線が光る
つい先日の東京九月公演の「逆櫓(ひらかな盛衰記)」のときのぶっ飛ばしとはやや異なり、しずかなトーンの中に鬼一法眼の人物の大きさを描く語りが光った
後半は燕三の細かく鋭いフレーズに気合のこもった掛け声が響く!
こういう段を見ると「ああ、やっぱり文楽は義太夫なんだ」、「義太夫浄瑠璃に人形が付いて人形浄瑠璃=文楽なんだ」とつくづく思う
そう言うと人形遣いの皆さんに失礼に聞こえるが決してそうではない。 義太夫が良ければ良いほど、人形の細やかな動きまでが活かされてくる はやり三業が揃って何ぼのものなのだ ただ はっきりいえるのは大夫がイマイチの舞台はだいたい何をやってもイマイチ これだけははっきりしている
最後の五条橋はお決まりの弁慶と牛若の出会いの場だ こうしてみると弁慶も実は元々平家を仇と狙っていたのだから、この二人が意気投合して主従の誓いを立てるのは自然な流れなのだ

<劇場内ではこんな特別展示も>
五条橋は我が心の師、鶴澤清治が立てを務める五挺五枚の道行仕立て
呂勢大夫のよく通る声に清治師匠の一音たりとも揺るがせにしない緊張感溢れる「見えない」指揮によって、一糸乱れぬ五挺の三味線が聞きどころ やっぱり清治さんが「立て」を務めるときの床の締まりようには鬼気迫るものがある
返す返すも平家と源氏が戦わなかったら、一体日本の文化はどうなっていたのだろうか?
清盛万歳、義経万歳!!
蛇足ながら・・・ 今回の大阪錦秋公演は11月20日までやっています 大阪は文楽の本場なのに空席が目立ちます ぜひ、皆さんも一度、本場大阪の国立文楽劇場に足を運んでみてください 東京の国立小劇場とは違った雰囲気を味わえますよ!!
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