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友人の勧めで文楽を観たことがきっかけで伝統芸能に目覚めました。歌舞伎や能もよく観ます。とりわけ三味線の魅力にとりつかれ長唄を習い始めました。

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能 「生田敦盛」 - 賀茂明神から神戸「生田の森」へ

敦盛を討った熊谷次郎直実はそのことをきっかけに浄土宗開祖たる法然上人に教えを請い、出家し蓮生と名乗った

この蓮生と敦盛の霊が出会うのが能「敦盛」であるが、「生田敦盛」でその法然が若くして戦死した敦盛の子供を拾って育てるところから話が始まる それほど敦盛の話と法然とは縁がある

さて、子供が法然に拾われたのは一乗寺下り松の下と言われるが、これがその松なのか・・・。

IMG_1701_一乗寺下がり松_small
<宮本武蔵が決闘した場所としても有名 当時の松は近所の八大神社にあるとのこと>

拾われた子は後にひょんなことから敦盛の忘れ形見だと知れる。 そしてその子は亡き父に会いたい一心で「賀茂明神」に願をかける

ここでの「賀茂明神」とは上賀茂(賀茂別雷神社)のことなのか、下鴨神社(賀茂御祖神社)のことなのかよく分からないが、法然に縁の黒谷に近いのは下鴨神社だ

IMG_1662_上賀茂神社_small
<上賀茂神社>

IMG_1665_上賀茂神社_small
<境内を流れる清らかな水と萩の花>

広大な「糺の森(ただすのもり)」と立派な境内を見るとなんとなく下鴨神社に願を掛けたような気がしてくる・・・

IMG_1708_下鴨神社_small
<長い長い糺の森を貫く参道を抜けると下鴨神社だ>

すると賀茂明神が敦盛の子の夢に現れ、父が戦死した一の谷に近い「生田の森」に行くように告げる

実際には一の谷から生田神社までは相当な距離があるが、生田の森には平家方の陣があったようで、陣中の父に会いにい行ったのであろう

IMG_1846_生田神社_small IMG_1832_生田神社_small
<神戸三宮駅のすぐ北側にある生田神社。 このすぐ後ろに生田の森がある>

生田神社は縁結びの神様としても知られ、この日も結婚式が行われていた

IMG_1836_生田の森_small IMG_1844_生田の森_small
<ここで敦盛の子は父の霊と暫しの間親子の情愛を交わす>

P1020972_敦盛萩 P1020969_敦盛萩
<生田神社の境内にある「敦盛の萩」>

「青葉の笛」の須磨寺のところでも触れたが、兵庫県、特に、神戸から明石にかけては源氏物語や平家物語など江戸時代よりも遥か昔の日本人の心のふるさとが沢山ある

自分がハマッている文楽、歌舞伎、長唄などは正に「江戸文化」であり、今東京では江戸時代の文化や街並みを辿るのがひとつの流行だ。 NHKの「ブラタモリ」や相次ぐ浮世絵展などが大いに人気を博しているのもそうした背景がある

しかし、そうした文化を知れば知るほど「江戸時代」はついこの前のこと、 自分のこれまでの人生を振り返っても、半世紀ぐらいはあっという間の出来事

「え、それって昭和の唄ですか?」 若い子に遠い目をして言われて愕然とするが、それぐらい月日がたつのは速いものだ

そんな中で三百や四百年ぐらいの時間はそれこそ「邯鄲の夢」のごとく、瞬きする間のことではないか

時代が古くなればなるほど史実かどうか怪しくなってくるのも事実だが、それでも、千年の時を越えて今日まで伝わる様々な物語はそれだけでも古典としての値打ちがあると思う

兵庫には江戸時代には既に古典として人口に広く膾炙した「日本人の心のふるさと」、「本当の歴史」が数多く残されている
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