南座での歌舞伎見物のついでに、先日の英大夫と鶴澤清介による名演奏「合邦(がっぽう)」ゆかりの地を駆け足で訪ねた
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合邦に関するオリジナル記事はこちら大阪の国立文楽劇場のある日本橋から南東に少し下ったところに聖徳太子が建立した「四天王寺」がある
現在の伽藍は比較的新しいもので、建物自体にそれほどの文化財的な価値はなさそうだが、それでも奈良の法隆寺とならんで日本最古の寺院のひとつだ
さて、この四天王寺の西大門の更に西にこの「石鳥居(いしのとりい)」がある
鳥居の外側から東側に向かって撮った写真がこれだ。 西大門とその背後に境内の五重塔が見える

そして今度は鳥居の東側、西大門の側から見たのがこの景色だ

秋の午後なので既に太陽は西に傾き、逆光で写りは決してよくないが、鳥居の真西にはビルがないことが分かるだろうか
実は鳥居の向こうは「逢坂」と言って、かなり急な勾配で海に向かって下っていくのだ
海と言っても現在の海ではなく、遠い昔は四天王寺のすぐ向こうは難波の海で、外国からの賓客などは最初に四天王寺に赴いたりしたらしい

<逢坂を下ったところの閻魔堂の辺りから坂の上の四天王寺を望む(よく見ると五重塔が見える)>
文楽「合邦」の下敷きになった能「弱法師」で目の見えなくなった俊徳丸が四天王寺の西門から心の目に映る難波の海に広がる淡路や須磨明石の情景を懐かしく述懐する
昔からこの四天王寺の西門、石鳥居は西方浄土の東門と表裏一体と考えられていた。 だから俊徳丸が拝んでいるのは難波の景色であると同時に西方浄土であったのだ
今でも鳥居から夕日を拝み、西方浄土への想いを馳せる人が多いと聞く

<石鳥居と「日想観」の習慣についての解説が丁寧に記されている>
さて、この逢坂を下りたところに合邦の館があったとされる「合邦が辻」があり、家の外にあったとされる閻魔堂がこれだ

松竹の歌舞伎美人の記事によると、その脇の階段を下りたところが「合邦が辻」だというのだが・・・。

<確かに階段はあるが「辻」らしきものは分からなかった>
ちなみに今、五木寛之の「親鸞」を読んでいるが「範宴(親鸞の修行僧としての名)」が奈良に向かう途中で四天王寺の話が出てくる
彼は聖徳太子に深く帰依するところがあり、太子が建立した四天王寺のことが語られるのだ
そして、範宴は奈良の二上山から観た夕日の美しさに、衆生が憧れる浄土の存在を感じたのであった
四天王寺からの夕日、二上山の夕日、まだどちらも見たことはないが、確かに四天王寺の石鳥居からは素晴らしい夕日が見られそうな気がした
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