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友人の勧めで文楽を観たことがきっかけで伝統芸能に目覚めました。歌舞伎や能もよく観ます。とりわけ三味線の魅力にとりつかれ長唄を習い始めました。

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京都 「妙満寺」 道成寺の鐘を追って

洛北の妙満寺を訪ねた

IMG_1727_妙満寺_small IMG_1731_妙満寺_small

室町時代の開創で天正11年(1583年)から昭和までは寺町二条にあったが、昭和43年に現在の左京区岩倉に移ってきた日蓮宗妙満寺派の本山だ

筆者がわざわざこの妙満寺を訪れたのは何故か?

下の左の写真は今年5月に訪ねた紀州「道成寺」の二代目の鐘楼跡だ

二代目鐘楼跡_small

初代の鐘楼は蛇に姿を変えた清姫が安珍もろとも焼き尽くしてしまい、その400年後に鋳造された二代目は能や歌舞伎の道成寺物によれば、今度は清姫の霊である白拍子「花子」に奪われてしまったことになっているが・・・

鐘楼跡に立つ高札をよく読むと・・・・

二代目鐘楼跡解説_small

なんと二代目の鐘は京都の妙満寺という寺にあると書いてあるではないか!

こうなると長唄の名曲中の名曲とされる「京鹿子娘道成寺」や玉三郎、菊之助による艶やかな舞踊「娘二人道成寺」に魅せらて、遥々道成寺を訪ねた筆者としては、なんとしてもこの鐘の在り処を確かめなければ気が済まなかった

その日直前に訪れた「北野天満宮」に長居してしまったため、妙満寺への到着が5時になってしまった。すると折しも「入相の鐘(いりあいのかね)」が鳴り始めた

IMG_1728_妙満寺鐘楼_small

すわ、これこそが道成寺の鐘と決めつけ、ジッと撞木を握る修行僧を見つめていたが、撞き終わった彼に聞くと、今撞いていたのは本来の妙満寺の鐘とのこと

ちょっとがっかりしたが、ミーハーを承知で、じゃあ「道成寺の鐘はいったいどこに?」と彼に詰め寄った

すると「あ、それなら「方丈」内に展示してありますが、もう今日は五時を回ったので閉館しました」とのこと

しまった、勘違いして鐘が鳴り終わるのを見てるうちに閉館してしまったのだ・・・

でもそんなことで諦められる道理はない

翌日、予定を変更して、大原三千院に向う前に再び妙満寺を訪れ(殆ど妄執の世界)、清姫の霊が呪い落とした鐘を遂に見ることができた

IMG_1746_妙満寺道成寺鐘_small IMG_1748_妙満寺道成寺鐘_small

まあ、ご覧のとおりかなり小ぶりの鐘で、確かに道成寺の裏山にうち捨てられていたかもしれないが、本当に二代目の鐘として使われるはずのものだったかどうか・・・

まあそんなことはともかく、本当に妙満寺に道成寺の鐘はあった、ということだけで十分だ

さて、この妙満寺には俳句の祖と仰がれる松永貞徳が造営したとされる「雪の庭」と呼ばれる見事な枯山水の庭園がある

IMG_1744_妙満寺雪の庭_small

そして、境内からの比叡山の眺めが素晴らしい

IMG_1752_妙満寺比叡山_small

長唄、能、舞踊の道成寺ものに惹かれて、5月に和歌山まで行った。すると、安珍・清姫の物語を書いた「道成寺縁起絵巻」の現物は東京で開催中の白洲正子展に出品中とのこと。そして、鐘は京都にあるという。

東京に戻って白洲展に行ったら、平等院の雲中供養菩薩に出会い、今回の京都ではまず平等院に。そしてこの妙満寺の鐘も見ることができた

今回の旅は昨年他界した母の菩提を弔う意味もあり、浄土(真)宗、ゆかりの寺を訪ねることもひとつの目的だった

おりから法然の800年大遠忌、親鸞の750年大遠忌にあたるため、東・西本願寺や知恩院はイベント色に染まっていたが、
この妙満寺は日蓮宗系だがこちらも開祖の700年忌に当るそうだ

今月、京都南座では法然を描いた新作歌舞伎もかかっている 10月25日からは国立博物館で法然・親鸞展も開かれる

ほんのちょっと日本の伝統芸能や古典文学に向けただけで、こうもリンクが果てしなく続いていくとは、やはり日本の歴史の深さ、文化の豊かさはタダものではない!

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