文楽地方公演(横浜)で豊竹英大夫(とよたけはなふさたゆう)と鶴澤清介による「摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)」を観た

<右下のつんつるてんのオヤジさんが合邦道心、刺されちゃってるのが娘玉手御前>
元々その日は予定が立たずに横浜まで行けないはずだったのだが、前の日に府中での公演を観た「文楽鑑賞の師」である二人の方から(A.I.さんとI.Tさん)から以下のようなメールを頂いてしまった・・・。
「もう、すごいとしか言いようない素晴らしい舞台でした。他の誰のものとも違う英、清介の合邦でした。強いて言うなら、私も聴いた事のない(英さんの)お祖父さんの若大夫を彷彿させるものかもしれません。
そして、清介さんの三味線が、負けず劣らずすごかった。大夫をサポートしながらも誘導し、ぐいぐいと自分のペースに持っていく。
英さんも、清介さんの三味線に応えながら新境地へと到達し、その義太夫を受けて、三味線もさらに輝いていく。これぞ浄瑠璃の醍醐味!
合邦にこんなに三味線の聴き所が溢れていると、今回はじめて気が付きました!
英さんも、Sogagoroさんに是非聴いてもらいたかったようです・・・・。」
もうこうなると見逃す訳にはいかないということで、なんとか予定をやり繰り、あの急な紅葉坂をハアハア言いながら駆け登って会場にたどり着いた
客席に入ってみると立派な定式幕がかかり、上手にはれっきとした床もある。 思っていたより本格的なこしらえだ
若手による団子売では英大夫のお弟子さんの希大夫(のぞみたゆう)がよく通る声で「杵造」をテンポよく語ってくれた
団子売は景事もの、軽妙に明るいのが売り。 まさにうってつけの配役で本公演とは違う希大夫ののびのびとした語りを聞かせていただいた
続く「合邦住家の段」は睦大夫、津駒大夫ときて一番のクライマックスが英大夫と鶴澤清介のコンビだ
「合邦」とは何か、という話は後にして・・・ あらすじとしてはは継母である玉手御前が義理の息子、俊徳丸に道ならぬ恋をしかける
しかも、俊徳丸の許婚である浅香姫と別れさせるために、毒の入った酒を飲まして病にしてしまうのだ
それを苦にした俊徳丸は行方をくらましてしまう そして継母である玉手もそれを追って家出。
う~ん、相当理解に苦しむ「無理筋の痴話騒ぎ」にしか聞こえない話なのだが・・・
ここから「合邦庵室(がっぽうあんじつ)」とか「合邦住家」と呼ばれる今回の場面だ、実は俊徳丸は浅香姫と共に玉手の父である合邦道心の家にかくまわれている。 合邦の家の外(下手側)には閻魔堂が見える
そこへ玉手が俊徳丸を探してやってくる 主家の若君に不義をしかけた娘の成敗は既に決まったものと百万遍の念仏で弔ったばかりの合邦は玉手を家に入れようとしないが、女房が入れてしまう
俊徳丸に再会した玉手は親の説得も聞かずに俊徳丸への倒錯した恋慕の情を滔々と述べ立てる
ブチ切れた父、合邦はたまりかねて娘玉手を刺す すると玉手は刺した刀を抜かないように頼み、驚愕の話しを始める
大名高安家の跡取り息子の俊徳丸の命を狙う異母弟次郎丸から俊徳丸を守るために、わざと、俊徳丸への恋を語り、毒を盛って醜い姿にした上で一旦は高安家から逃れさせ、
後に寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻生まれの女の肝臓の血を飲ませて、元の姿に戻すつもりだった。その生まれの女こそ自分(玉手)だと打ち明けたのだ
それを聞いた合邦はそれまでの悪口雑言を詫びて、旧主への恩を身を挺して報じた娘を褒めるのである
さあ、娘の話を聞いてからの合邦の身をよじるような悔悟の念と、主家の為に自らの風評と命までも犠牲にして俊徳丸を救った娘の忠義に対する賞賛
「オイヤイ、オイヤイ、オイヤイ、オイヤイ、スリヤそちが生まれ月日が妙薬に合ふたゆえ、一旦は病にしてお命助け、また身を捨てて、本復さそうと、それで毒酒を進ぜたな・・・ ヘエ、出かしゃった、出かした、出かしゃった、出かした・・・」
この辺りから英大夫の語りが鬼気迫るものなってくる。思わず合邦の魂が大夫に憑依したかのような、そんな迫真の語りに聞いているこっちも完全に舞台の中に吸い込まれてしまう
そして清介さんの三味線がまた凄い!A.I.さんとI.Tさんがおっしゃっていたように、大夫の迫真の語りをさらに際立たせる鋭く細かく速いフレーズ、それに気合のこもった掛け声。
その三味線に刺激された大夫がさらにトップギアに! 二人が奏でる物語の世界がどんどんと昇華して行き、その中に観客がグイグイと引き寄せられていくのだ
最後は助からぬ玉手を数珠の輪で囲み、一同が南無阿弥陀仏を唱えるなか玉手は息絶えるのである
さて「合邦」とは何か?
先日観た市川亀治郎らによる「小栗判官」もそうであったが、合邦のルーツは「説経節」である
説経節の代表作、「しんとく丸」やそこから生まれた能「弱法師(よろぼし)」などを下敷きにした時代物狂言として、1773年に大阪で初演された
「説経」は仏教の教えを説いて民衆を導く手段のから、鎌倉時代から室町時代にかけて徐々に芸能としての性格を帯びたようである。 後には三味線が入ったり、人形と共に語られるようになったそうで、1600年代半ばに最も流行したものらしく、「説経浄瑠璃」称されたこともあるようだ
ただ、説経である以上宗教的な色合いが強く、より幅の広いテーマを語る義太夫節などの浄瑠璃に圧倒されるようになったが、近世の芸能に与えた影響は大きいものがある
(説経節についてはwikiからの受売り。
オリジナルはこちら)
小栗判官でも遊行上人、つまり踊り念仏の時宗の開祖、
一遍が登場して照手姫の祟りで醜い姿になった小栗を平癒に導くのだが、ここでは玉手の直接には生血が平癒の理由だがその背景には閻魔堂や百万遍の念仏など宗教的な要素が色濃くある
この秋の京都旅行では、空海の真言密教から、法然の浄土宗、そしてさらには親鸞の浄土真宗へと宗教の庶民への広がりというのがテーマのひとつだったのだが、当然と言えば当然のことながら、日本の伝統芸能と仏教文化との深いかかわりをここでも改めて感じることとなった
さて、同じく俊徳丸を扱った能の「弱法師(よろぼし)」はとてもいい曲である
合邦とはちょっと違って、盲目となった俊徳丸が大阪四天王寺で父と再会をはたして、摂州高安に戻っていく話なのだが、四天王寺からみた西の方角、つまり西方浄土に向けての景色が美しく語られる
そして目は見えないがそれがどんなに素晴らしいものであろうか、ということが切々と語られるのだ
淡路島も出てくるし、須磨・明石もでてくる 播磨の産である自分のルーツを美しく謡ってくれる俊徳丸が杖を片手にまさしく「弱々しく」歩み、語る姿が哀れを誘う
一方、過去を詫び、変わり果てた姿の息子をそれでも温かく故郷に迎える父親の気持ちと、素直にそれに応える俊徳丸の姿がジーンとくる素晴らしい曲だ
(弱法師については
このページがよい参考になります)
ちなみに、四天王寺の西門は西方浄土の東門と考えられている。

<西門の外の石鳥居のから見た四天王寺> <四天王寺側から西の方角を望む>
この門を出て「逢坂」を西に下ると合邦住家の閻魔堂がある。その裏手のお寺はその名も西方寺。

閻魔堂の脇の階段の下が「合邦が辻」だそうだ

浄瑠璃や歌舞伎では継母の大胆な行動が物語りに加わるが、根本において俊徳丸の美の世界は変わらない
説経や能といった江戸期よりもさらに古い歴史の重みをもった「合邦」で、英大夫と清介さんが見せてくれた素晴らしい浄瑠璃の世界、これからのお二人の舞台が益々楽しみになってきた
さて、積み残したテーマは国家仏教たる奈良仏教から、最澄・空海によって開かれた天台・真言宗、そして叡山で学んだ僧が仏教の「草の根化」を進めた浄土宗から浄土真宗などへの展開と「念仏」による西方浄土への成仏への憧れの深化。
そうした日本人の宗教観、生死観などと能楽、文楽、歌舞伎などの伝統芸能のテーマとのかかわりをもう少し掘り下げてみたい
その意味で今、京都南座にかかっている法然上人を本当は観てみたい
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