新橋演舞場で今年の芸術祭参加作品でもある通し狂言「當世流小栗判官(とうりゅうおぐりはんがん)」を観た

<演舞場の入り口にあったポスター>
最高に面白く、楽しく、清々しい舞台だった!!
たっぷり4時間ちょっと、飽きさせることのない密度の高いエンターテインメント
しばらく前に「亀治郎の会」での「葛の葉」でもそう感じたが、亀治郎は確信犯的なエンターテイナーぶりを更に強く感じた
立役、女形、早替わり、どれも完成度高く見せるのだが、そうした個々の芸だけでなく芝居全体の面白さの仕掛けを見通した上での個々の芸のプレゼンテーションだ
それはもちろん説経節に由来する元ネタを浄瑠璃や歌舞伎にかけた近松のオリジナルにもよるだろうし、それを復活させ今回も演出した猿之助や補綴の石川耕士らの手にもよるものであるだろう
しかし演者としての亀治郎自身も単にいくつかの役を上手に演じるだけでなく、最終的な芝居全体に対する緻密な仕掛けを知悉した上での演技ぶりだと感じた
さて、この物語のあらすじ、歴史的背景、歌舞伎の演目としての江戸から明治にかけての流行と衰退、そして市川猿之助による復活上演など説明し始めたら切りがない
加えて、来年には猿之助を襲名する亀治郎及び澤瀉屋一門総出の華やかな舞台についてもこれまた何かと話題の多い公演だ

<開演前からこの人だかり>
それでも駆け足で筋を辿ると・・・
室町時代、常陸国を治めていた横山家の中に国を横領しようとする悪人一派があり、彼らはまんまと当主を自害させ、家宝の「勝鬨の轡」を奪い、自害した当主の娘「照手姫(てるてひめ)」(市川笑也)を誘拐する
そこに将軍家の命によって照手姫の許婚となっていた小栗判官(亀治郎)が乗り込んで来る。 小栗は乗馬の名手と知られ、悪者一味は詮議にやって来た小栗に向けて暴れ馬の「鬼鹿毛(おにかげ)」を放って「乗りこなしてみよ」と挑発する
小栗は蹴り殺されるどころか、見事にその馬を手なずけてしまい、自分が乗った鬼鹿毛を小さな碁盤の上に立たせてみたり(「碁盤乗り」)と、曲乗りまで披露。あげくは自分の馬にしてしまう
→ 見どころ① ここでは小栗が所狭しと暴れる馬を、多少のチャリを交えながら徐々に手なずけ、最後は碁盤の上に見事に二本足で立たせて、扇を広げて見得を決めるシーンが見事!!
こうして悪事は露呈したものの、小栗は肝心の照手姫とは生き別れ、家宝の轡も行方が分からない
場面が替わって、一方の照手姫は近江国堅田の猟師、浪七(亀治郎)にかくまわれているが、その妻の兄弟ら(右近、獅童ら)の企みによって照手姫を奪われそうになる。元は常陸の横山家に仕えていた浪七は自分の命と引換えに龍神にすがって照手姫を救い出す
→ 見どころ② ちょっとエグい気もするが、自らの腹を掻っ捌いての龍神への願掛けは鬼気迫る演技
その後、今度は美濃国の青墓宿の長者宅に家宝の轡があると聞いた小栗(亀治郎)がやってきたところ、長者の娘、お駒(亀治郎の二役)が小栗に一目惚れ。轡と引換えに小栗はやむなくお駒と祝言(!?)することに
ところが、長者の家には小萩という下女が居た。これがなんと照手姫の成れの果てであったから話がややこしい。
お駒の母はもとはやはり横山家に仕えた身
最初は小栗がお駒の夫になることを喜んでいたが、自分が乳母として育てた旧主姫の許婚とあっては、わが子お駒と言えども小栗と夫婦にはできない
摺ったり揉んだりの後、結局、お駒は旧主への義理を通す母の手によって、首を刎ねられ小栗と照手は無事再会するが、お駒の小栗への執念は激しく、小栗はお駒の霊に祟られ、醜い顔になり足腰も立たなくなってしまう
→ 見どころ③ ここは怪談風の仕立て 運命に弄ばれたお駒も可愛そうだが、そのわが子の首を刎ねる母の苦衷も哀れ
そんな中で、見初められる小栗(男)と見初めるお駒(女)を巧みに早替わりする亀治郎が素晴らしい。ちょっと暗くなる場面だが、小栗役のときにわざと女形の科を見せたりしてユーモラスな演出も心にくい
降りしきる雪の中、照手姫が曳く車に乗せられて小栗は、祟り病を治すために霊験あらたかな熊野の霊湯に向かう
そこにかつて照手姫を助けた相模の遊行寺(ゆぎょうじ)の遊行上人(片岡愛之助)が現れ、小栗はさっそく霊湯を浴びる
するとたちまち祟り病は平癒、いよいよ常陸の国へ乗り込んで、悪人退治!しかし熊野から常陸は千里の彼方。小栗は熊野権現に願をかけ駿馬を授かる
小栗と照手姫が神馬にまたがり、大空高く飛んで行く
→ 見どころ④ これが冒頭のポスターの写真のシーンだ。熊野権現に授かった神馬は小栗と照手姫を載せて、花道の上を三階席に向けて飛んでいく そこでも亀治郎と笑也は馬から落ちそうになるチャリを入れるのを忘れない
大迫力、サービス満点のクライマックスだった
最後は常陸の華厳の大滝。馬に乗って空からやってきた亀治郎は、家来とともに悪者一味(段四郎、右近ら)を討ち果たして、最後は一門が客席に向かってお礼の挨拶
とまあ、こんなところだ。
小栗判官なんて、と歴史的な価値を余り認めていなかったのだが、それでも「古浄瑠璃」以前の説経節にその源流があり、また、それが親鸞以降、急速に民衆の間に広まった念仏宗教のひとつ、時宗と密接な関係にあること
常陸はもとより、ついこの前訪ねた三井寺(園城寺)近くの堅田や、熊野も舞台となり、各地に小栗縁の史跡があることなど、初めて知ることも多く、ここでも日本文化の奥の深さと幅の広さに改めて感心した
とにかく文句なく楽しめる舞台だ。決して安くはないが是非、いい席を取ってご覧になられることをお勧めする
それから以前親しくお話を聞かせて下さった 片岡松之丞 丈が腰元「お島」の役で渋い演技をみせてくれたのが嬉しかった!
26日千秋楽 新橋演舞場にて
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