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友人の勧めで文楽を観たことがきっかけで伝統芸能に目覚めました。歌舞伎や能もよく観ます。とりわけ三味線の魅力にとりつかれ長唄を習い始めました。

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能 「生田敦盛」 狂言 「墨塗」@国立能楽堂

国立能楽堂の普及公演で能「生田敦盛」と狂言「墨塗」を観た (深谷での「敦盛」よりも先に「生田」の方を先に観ることとなった)
2011_09_国立能楽堂_1

平家物語の章段には名のある平氏の武将の最後を描いたものが多数あるが、そのひとつに「敦盛最期」(巻第九)がある

一ノ谷の合戦で敗色濃厚となった平家の若武者、笛の名手としても知られた美男の公達、平敦盛の首を、源氏の武将である熊谷次郎直実が逡巡の果てに取るという場面だ

この章段を題材にした能としては「敦盛」が有名だが、その敦盛に実は子供があり、その子供が一ノ谷の合戦で戦死した父の亡霊に、賀茂明神の霊験により生田の森(兵庫県神戸市)で出会うという話が「生田敦盛」だ

(あらすじは下の国立能楽堂のちらしの裏面参照。またこちらのページにも詳しい解説がある)

 2011_09_国立能楽堂_2

冒頭で能に造詣が深く「能の歳時記」などの著書のある、詩人の村瀬和子さんによる曲目解説があった

(村瀬さんの写真や別の場での講演の様子などはこちらのページをご覧下さい)

まずはこのお話がとてもよかった

お着物姿で舞台に立たれた村瀬さんは、とても穏やかで品格のある語り口で「敦盛」や「生田敦盛」にまつわるお話をして下さったが、中でも今でも多くの地域で「敦盛さま」という、半ば「敦盛信仰」のようなものがあるというお話はとても興味深かった

その代表例は広島県のある地方では田植えの時に歌われる「田唄」の中に、敦盛やその奥方(実際には敦盛は妻帯していなかった、つまり十代半ばで戦死した敦盛は結婚していなかった)のことを美しく唄ったものが存在していたということだ

現在では残念ながら「田唄」そのもは伝わっておらず、代わりに民謡となって僅かにその片鱗をとどめるものがやはり広島にあり、村瀬さんの解説の途中でそのCDが見所に向けて演奏された

敦盛を討った熊谷直実が法然に帰依して出家したり、敦盛の架空の子供が法然に拾われたりと、何かと敦盛が浄土宗とかかわりが深いことも、敦盛信仰が生まれた要因のひとつではないだろうか

能は子方と敦盛の霊の再会が哀れを誘い、印象深い

さらに「敦盛」と同じくシテは中ノ舞を舞うが、敦盛では一の谷の合戦前夜の宴を懐かしんで舞うのに対して、生田では親子の再会を喜んで舞うことになる

しかし直ぐに閻魔大王から「一瞬、現世に戻ることを許しはしたが、何をぐずぐずしている!」と修羅の道へと再び呼び戻されてしまう

そして、再会を喜ぶのも束の間、親子は再び静かに別れることになる

そんな親子の情と栄華の果てに滅んでいった平家の若き公達の無念とが交錯する、なんとも言えない無常観を感じさせる曲であった

一方、狂言の「墨塗」は大名の愛人が、彼女を残して領国に帰ろうとする男に対して、用意の水を目につけてウソ泣きをして困らせるのだが、太郎冠者の機転でその水を墨に摩り替えると・・・

最期は女も大名も墨で顔を真っ黒にしながら大騒ぎしながら走り去っていく、抱腹絶倒のお話だ

狂言でここまで本当に笑えたのはこれが初めてだったかもしれない

ちなみ、顔に墨を塗るのは「魔よけ」の意味があるとされ、この狂言もそういった意味が込められているものと考えられる、との説明が、先ほどの村瀬さんからあった

近々、神戸の一の谷、鵯越、生田神社などを訪ねてみるつもりだ

こういうのを「謡蹟巡り」と言うらしいが、文楽や歌舞伎などの演目ゆかりの土地を訪ねるのも楽しいものだ
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