震災で開催が大幅に延期された、写真家 杉本博司の演出による人形浄瑠璃「曽根崎心中」を観た

国立劇場や大阪の国立文楽劇場でしか文楽を観たことのない自分には随分と斬新な舞台だった
どう斬新だったかを文章で説明するのはなかなか容易ではないが、少なくとも縦に(舞台奥に向かって)細長い舞台、人形遣いの全身足先までが見え、殆んど舞台装置らしい舞台装置がなく、基本は黒の背景に照明の組合せでしか人形や大夫、三味線が映し出されないといった舞台演出が用いられた
人形遣いの足先まで見えるということは、人形は宙に浮いていることになる
最初は違和感があったが次第に人形遣いの黒子姿と舞台全体の「黒」あるいは「闇」を背景に人形の衣装、動き、そして表情が返って鮮やかに浮き彫りになり、リアルな感情表現を可能にしていた
プロローグはいきなりスッポンからが現れた鶴澤清治の三味線の独奏、そして途中から鶴澤清志郎が遠く離れたところで胡弓を合わせる
続いて今回の杉本版独特の演出である「観音廻り」となる。 舞台の奥から桐竹勘十郎が一人で遣うお初がゆっくりと歩んでくる
照明を落とした舞台演出の効果から視覚的には50メートル、いや、一人使いのお初の人形は小ぶりなので100メートルぐらいに感じられる距離を大阪のあちこちの観音様を廻りながら歩いてくるという趣向だ
「曽根崎心中」は1703年に大阪曽根崎の森で実際に起きた心中事件をもとに、近松門左衛門が書いた世話物の人形浄瑠璃の名作で、翌年5月に大阪竹本座で初演、爆発的なヒットを収めた
歌舞伎にも移され、その改作が次々に上演されるに至ったものの、原作の上演は長らく途絶えていたのを、昭和になってから人形浄瑠璃でも歌舞伎でも復活されたが、原作にはあったとされる「観音廻り」は今回初めて再現されたとのことだ
天満屋でのお初、九平次のやり取り、その後の道行ともに独創的な演出が続き、最後の心中の場面もこれまでに見た文楽、歌舞伎の曽根崎よりも一段と切なく美しく、且つリアルであった
最後に文楽公演には珍しく、演者が舞台で挨拶をし、杉本博司もその思い入れを語ったが、なんと言っても蓑助さんのオペラ歌手のようなお辞儀とお初を遣ったばかりで肩で息する勘十郎さんの姿と始終ニコニコして挨拶していた清治さんの笑顔が印象的だった
3月の公演は震災で中止され、もう観られないのかと思っていたが、今回、こういう形で実現したことは本当に嬉しく思う

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