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友人の勧めで文楽を観たことがきっかけで伝統芸能に目覚めました。歌舞伎や能もよく観ます。とりわけ三味線の魅力にとりつかれ長唄を習い始めました。

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文楽「生写朝顔話」

先週に続き国立劇場で文楽5月公演

今日は午後4時からの夜の部で、「絵本太功記(えほんたいこうき)」の後に、お目当ての「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)」がかかる。

P1020885_small.jpg

朝顔話は一昨年の夏に大阪・国立文楽劇場で初めて観て大いに感動したので、今回も楽しみであった。

写真は大阪公演のプログラムの口絵だが、左が宮城阿曽次郎こと駒澤次郎左衛門、右が恋人阿曽次郎を追い求め一旦は視力を失うことになるヒロイン深雪(みゆき)である。

話の筋は大阪公演の直後に旧・風姿探訪に書いた記事に詳しいのでそれを最後に転載する

今回は「明石浦船別れの段」と「宿屋の段」そして「大井川の段」だけの上演であるため、深雪と阿曽次郎のそもそもの出会いやその後の深雪の艱難辛苦が十分に描かれていないため、盲目の深雪が阿曽次郎の前で筝を弾じるシーンの哀愁が十分に伝わったとは言えなかった。

今回も蓑助が遣う深雪が鶴沢寛太郎(鶴沢寛治の孫)の奏でる筝の音に合わせて、実際に人形が弾いてるように思えたものの、嶋大夫の深雪の唄はいまひとつ情感に欠けた気がした。

(でも調べてみると大阪公演でもやはり浄瑠璃は嶋さんだった。とするとやはり通しでないから盛り上がりに欠けたのか・・・)

それにひきかえ豊竹呂勢大夫と鶴澤清志郎の大井川は素晴らしかった。呂勢大夫の天性の美声と声量が大いに生かされた場面で5月公演の最後を飾るにふさわしい舞台であった。

P1010886_small.jpg

ところで外題の「朝顔」は深雪が初めて阿曽次郎に出会った際に、阿曽次郎が深雪の差し出した朝顔を描いた扇に見事な筆跡で
「露のひぬ間の朝顔を 照らす日かげのつれなきに あはれひと村雨の はらはらと降れかし」
いう歌を書いて与えたことに由来する、のだろうか?

以下は一昨年の大阪公演の後に書いた記事の再掲である。

P1010198_small.jpg
<大阪日本橋・国立文楽劇場>

大阪・日本橋の国立文楽劇場で「生写朝顔話」を観た。文楽の本場、大阪での観劇は4月の通し狂言「義経千本桜」以来である。宇治川での蛍狩りの折に出会った中国大内家の家臣、宮城阿曽次郎に恋焦がれる武家の娘、深雪の数奇な運命が描かれる。全編に運命に翻弄され阿曽次郎との再会を果たせない深雪(蓑助)の艱難辛苦を綱大夫、津駒大夫らが語り継いでいくが、「嶋田宿笑い薬の段」は住大夫が「ようまあ演技としての語りやのにあそこまで上手に笑いはるわ~」と感心させられる「大笑い声」で悲劇的なストーリー展開に一息つかせてくれる。(錦糸の太棹に合わせて、床の後ろで細棹のツレを弾いていたのは誰だか自分の席からは見えなかった・・)。
 そしていよいよ盲目となった深雪が阿曽次郎の前でそれと気づかぬままに琴を奏でながら「露のひぬ間の朝顔を・・・」と唄う「宿屋の段」の切り場となる。浄瑠璃・嶋大夫、三味線富助の名手に加え、普段、若手・中堅の一角として三味線を持つ鶴澤清丈が深雪の琴を弾く。今は落ちぶれた深雪の哀れを誘う風情と奏でる琴の美しい調べ。それをじっと聞き入る阿曽次郎。舞台の人形と床の大夫・三味線・琴の芸と芸が一体となって、蓑助が遣う深雪がまるで本当に琴を弾いているかに思える幻想的で叙情溢れる場面。図らずも涙が止まらなかった。この段だけでも遥々「朝顔話」を観にきた甲斐があったというものだ。そして英大夫が語る「大井川の段」で深雪が阿曽次郎と彼女を育てた乳母浅香の恩愛によって奇跡的に視力を取り戻すところでこの物語は終わる。
 文楽を観るようになってまだ1年たらず、「朝顔」は文楽独自の人形・大夫・三味線の三業をあたかも一体のものとして表現し、それらの芸の単純な足し算を遥かに超える官能的な美の世界を見せてくれたと言う意味でこれまで拝見した中で最高の舞台だった。

 文楽発祥の地、大阪に国立の文楽劇場が建てられて今年で25周年。それを記念する夏休み特別公演のサマー・レイト・ショーは憧れの鶴澤清治が作曲した「天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)」(シェークスピア作「テンペスト」より)。朝顔の余韻のまま定式幕の引かれた舞台を前にそのまま座っていたい誘惑に駆られたが、道頓堀の食倒れも捨てがたく、9月の東京での公演までのお預けとして夕方の風が涼しく感じられる日本橋を後にした。
(平成21年7月)
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