毎年この時期に池上實相寺で開かれる「文楽ワークショップ&鑑賞会」に今年も参加させていただいた

池上と言えば「本門寺」だが・・ その隣にあるのがこの實相寺だ
もうすっかり暗くなっていたので立派な山門や本堂の写真はないが、境内に入ってから会場となる書院へのアプローチは風情のあるライティングが施され、これからのイベントへの期待が高まっていく

<右の写真の背景に少し明るく見えているところが文楽の舞台になる書院>
開演前の書院の中はこんな様子で、最終的には200人以上の方が参加されていた!

9年目となる今年は竹本津駒大夫による義太夫における人物の語り分けについて、実演を交えての解説から始まった
良家の子供に始まって、菅原伝授手習鑑に出てくる白大夫の三つ子の息子たち、最後は老境の男女を語る上でのポイントを分かりやすく説明していただいた
続いて鶴澤燕三による太棹三味線の解説と思いきや、のっけから三味線は今日はあんまりやらずに、文楽12月公演の演目で「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)」の解説をするとおっしゃる
「そんな殺生なこと言わんといてえな!あんたの三味線が楽しみで来たんやで~」と思わず言いそうになったが、実際に燕三さんが話を始められると、どんどんと話に引き込まれていった

安達原はとても入組んだストーリーなのでその詳細は12月公演のチラシの裏をご覧いただくとして、話が「環宮明御殿の場(かんのみやあきごてん)」の解説に差し掛かったところから、ようやく三味線を膝に載せ太棹独特の野太い音を聞かせてくれた
しかも主人公のひとりである盲目の女性「袖萩(そではぎ)」が落ちぶれた姿で、裏皮すら破れたようなボロ三味線を弾きながら両親の前で祭文(通称「袖萩祭文」)を唄うシーンでは、いきなり燕三自身が義太夫の弾き語りを始めた
この「語り」がまた上手い!上手いのも上手いのだが、それよりも何よりも「あ~、この人は実は何でも出来る、溢れんばかりの才能の持ち主なんだな。しかもその芸を磨き、繰り出して行く事が楽しくて楽しくてしょうがないんだな」ということに何故か激しく感動した
変な話だが現在の義太夫三味線弾きの中でも有数の名人の一人である燕三の三味線に、いつでも自由に伴奏させながら、好きな義太夫が語れるんだから、こんな贅沢で幸せな「義太夫狂いの旦那」は他に居ないだろう!!!
以前、落語と義太夫の会でご一緒した鶴澤清介さん(英大夫の相方)もしゃべりだしたら止まらない方だったが、三味線弾きの皆さんは総じて話好きだし、話が上手い
さて、燕三によると「袖萩祭文」をやるときは、「ボロ三味線やねんから、ええ音だしたらあかんで!!」と師匠から口を酸っぱくして言われたとのこと。 だからここはこう弾くようにしていると、わざと音を濁らせ、撥さばきも少し荒っぽく、たどたどしくして落ちぶれた袖萩の風情を表現するところを時間をかけて演じてくださった。 もちろんいつもの独特の細かくビブラートの効く、繊細な音で弾くとこうなるという「ええ音」の例と対比しながら・・・
「よく鳴る三味線でええ音出すな」というのは難しい注文とおっしゃっていたが、それはつまり、燕三さんが使われておられる三味線が「よく鳴る三味線」なんだな、と別の感慨を持った (いい三味線とはどんな三味線なのか? それはまた別の機会に触れてみたい)
ということで燕三の「義太夫弾き語り」をタップリと聞けただけでも、その日の元が十分に取れたのだが、さらにその後には勘十郎による軽妙な人形の解説
そしていよいよ文楽の実演となった。 演目は 「ひらかな盛衰記」の「神崎揚屋の段」で、津駒大夫、燕三(ツレに鶴澤清キ)の床に勘十郎が遣う「傾城梅が枝」の一人舞台であった
ほんの20分程度の実演鑑賞であったが、ここでは書院に詰め掛けた200人以上の観客の目は勘十郎さんの梅が枝の鬼気迫る演技に釘付けとなっていた

<美しい梅が枝の人形>
終演後は有志による、演者の皆さんを囲んでの懇親会となり、筆者のテーブルには人形の蓑次さんや勘十郎さんが来て下さった(酒肴はおそらく實相寺の檀家のみなさんの手作り)
勘十郎さんとは先日の「杉本文楽」、横浜能楽堂で上演された「浄瑠璃姫物語」での上原まりさんとのコラボなどについてお話を伺うことができた。 浄瑠璃姫物語については僭越ながら現代文ではなく古語でやった方が良かったのではないか、などと申し上げてしまったが、そこでの会話そのものについては差し障りがあるといけないのでここでは触れないでおきたい
いずれにしても再来年には杉本はパリで、浄瑠璃姫はNYでの公演が決まっているらしく、とてもお忙しいそうであった
なんとも言えない充実感とともに實相寺を後にしたときにはすでに11時を回っていた
来年はこのワークショップの10周年とのこと どんな企画が待っているのか、今から楽しみである
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