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友人の勧めで文楽を観たことがきっかけで伝統芸能に目覚めました。歌舞伎や能もよく観ます。とりわけ三味線の魅力にとりつかれ長唄を習い始めました。

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文楽 「文楽ワークショップ」@池上實相寺

毎年この時期に池上實相寺で開かれる「文楽ワークショップ&鑑賞会」に今年も参加させていただいた

ワークショップちらし

池上と言えば「本門寺」だが・・ その隣にあるのがこの實相寺だ

もうすっかり暗くなっていたので立派な山門や本堂の写真はないが、境内に入ってから会場となる書院へのアプローチは風情のあるライティングが施され、これからのイベントへの期待が高まっていく

実相寺1 実相寺2
<右の写真の背景に少し明るく見えているところが文楽の舞台になる書院>

開演前の書院の中はこんな様子で、最終的には200人以上の方が参加されていた!

実相寺ステージ1 実相寺ステージ2


9年目となる今年は竹本津駒大夫による義太夫における人物の語り分けについて、実演を交えての解説から始まった

良家の子供に始まって、菅原伝授手習鑑に出てくる白大夫の三つ子の息子たち、最後は老境の男女を語る上でのポイントを分かりやすく説明していただいた

続いて鶴澤燕三による太棹三味線の解説と思いきや、のっけから三味線は今日はあんまりやらずに、文楽12月公演の演目で「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)」の解説をするとおっしゃる

「そんな殺生なこと言わんといてえな!あんたの三味線が楽しみで来たんやで~」と思わず言いそうになったが、実際に燕三さんが話を始められると、どんどんと話に引き込まれていった

2011年12月公演チラシ裏_small

安達原はとても入組んだストーリーなのでその詳細は12月公演のチラシの裏をご覧いただくとして、話が「環宮明御殿の場(かんのみやあきごてん)」の解説に差し掛かったところから、ようやく三味線を膝に載せ太棹独特の野太い音を聞かせてくれた

しかも主人公のひとりである盲目の女性「袖萩(そではぎ)」が落ちぶれた姿で、裏皮すら破れたようなボロ三味線を弾きながら両親の前で祭文(通称「袖萩祭文」)を唄うシーンでは、いきなり燕三自身が義太夫の弾き語りを始めた

この「語り」がまた上手い!上手いのも上手いのだが、それよりも何よりも「あ~、この人は実は何でも出来る、溢れんばかりの才能の持ち主なんだな。しかもその芸を磨き、繰り出して行く事が楽しくて楽しくてしょうがないんだな」ということに何故か激しく感動した

変な話だが現在の義太夫三味線弾きの中でも有数の名人の一人である燕三の三味線に、いつでも自由に伴奏させながら、好きな義太夫が語れるんだから、こんな贅沢で幸せな「義太夫狂いの旦那」は他に居ないだろう!!!

以前、落語と義太夫の会でご一緒した鶴澤清介さん(英大夫の相方)もしゃべりだしたら止まらない方だったが、三味線弾きの皆さんは総じて話好きだし、話が上手い

さて、燕三によると「袖萩祭文」をやるときは、「ボロ三味線やねんから、ええ音だしたらあかんで!!」と師匠から口を酸っぱくして言われたとのこと。 だからここはこう弾くようにしていると、わざと音を濁らせ、撥さばきも少し荒っぽく、たどたどしくして落ちぶれた袖萩の風情を表現するところを時間をかけて演じてくださった。 もちろんいつもの独特の細かくビブラートの効く、繊細な音で弾くとこうなるという「ええ音」の例と対比しながら・・・

「よく鳴る三味線でええ音出すな」というのは難しい注文とおっしゃっていたが、それはつまり、燕三さんが使われておられる三味線が「よく鳴る三味線」なんだな、と別の感慨を持った (いい三味線とはどんな三味線なのか? それはまた別の機会に触れてみたい)

ということで燕三の「義太夫弾き語り」をタップリと聞けただけでも、その日の元が十分に取れたのだが、さらにその後には勘十郎による軽妙な人形の解説

そしていよいよ文楽の実演となった。 演目は 「ひらかな盛衰記」の「神崎揚屋の段」で、津駒大夫、燕三(ツレに鶴澤清キ)の床に勘十郎が遣う「傾城梅が枝」の一人舞台であった

ほんの20分程度の実演鑑賞であったが、ここでは書院に詰め掛けた200人以上の観客の目は勘十郎さんの梅が枝の鬼気迫る演技に釘付けとなっていた

IMG_2076_small.jpg
<美しい梅が枝の人形>

終演後は有志による、演者の皆さんを囲んでの懇親会となり、筆者のテーブルには人形の蓑次さんや勘十郎さんが来て下さった(酒肴はおそらく實相寺の檀家のみなさんの手作り)

勘十郎さんとは先日の「杉本文楽」、横浜能楽堂で上演された「浄瑠璃姫物語」での上原まりさんとのコラボなどについてお話を伺うことができた。 浄瑠璃姫物語については僭越ながら現代文ではなく古語でやった方が良かったのではないか、などと申し上げてしまったが、そこでの会話そのものについては差し障りがあるといけないのでここでは触れないでおきたい

いずれにしても再来年には杉本はパリで、浄瑠璃姫はNYでの公演が決まっているらしく、とてもお忙しいそうであった

なんとも言えない充実感とともに實相寺を後にしたときにはすでに11時を回っていた

来年はこのワークショップの10周年とのこと どんな企画が待っているのか、今から楽しみである
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長唄 「鷺娘」@紀尾井ホール

杵屋寒玉・勘五郎の「親子三代の会」で「越後獅子」、「鷺娘」、「紀州道成寺」を聞いた

本来は三味線方が中心の会であるし、いつもなら自分の目当ても三味線のはずなのだが・・・

今日の密かな目当ては杵屋直吉の唄だ

鷺娘

二曲目の「鷺娘」は三味線は勘五郎で唄が直吉

紀尾井小ホールの最前列中央に座り、幕があがるのを待った

さよなら公演での「娘二人道成寺(玉三郎・菊之助)」を立てで唄ったのが直吉だ

地声自体に既にエコーがかかっているかのような、情感タップリの独特の声

道成寺は踊り手、三味線ももちろん大切だが、とにかく唄が素晴らしいのだ!

さあ、三味線の調子を合わせるかすかな音が幕越しに聞こえてくる

幕が上がるとなんと計算どおり、直吉が目の前5メートルぐらいの雛段に座っている

「妄執の雲晴れやらぬ 朧夜(おぼろよ)の恋に迷いし我が心」の唄い出しは直吉のアカペラだ(我がこころからは三味線が入るが・・)

うん、やっぱりDVDで聞いたあの声だ。誰の声とも違う独りでハモッているような、なんとも言えない深みと陰影のある声

勘五郎・彌四郎の三味線もよかったが、もっぱら直吉の唄に引き込まれてしまう

松永忠次郎も歌舞伎の舞台でよく見る顔だし、直吉の声にもよくマッチ。杵屋巳之助は若くてイケ面、そして声もなかなかしっとりとしていて、いい感じだった

実はさよなら公演では鷺娘も玉三郎が踊っているが、そこもやはり直吉なのだ

だから今日の公演の録音を聞くことはできないであろうが、実は今、歌舞伎座に於ける直吉の鷺娘を聞きながらこの記事を書いている

最後の「紀州道成寺」は初めて聞いたが、やはりそれでは詞章は十分には聞き取れなかったのが残念だ

解説によると他の道成寺ものと違って、本来の安珍・清姫の話しが唄われているのだが、なかなか初見ではストーリーがよく見えなかった。 もう少し勉強しておけばよかったと反省しきり

返すががえすも先日の演舞場での菊之助の娘道成寺の唄が直吉であったなら、今日もつくづく感じた

そして自分が習うのは三味線だが、はやり日本の古典音楽は声楽曲であり「唄」が主役であることを再認識したのであった

能 「安宅」

先日大阪で観た鬼一法眼三略巻、「播州書写山の段」の中で、鬼若(後の弁慶)の秘めたる利発さと、音吐朗々たる弁舌の片鱗を目撃したばかりであるが、ご縁あって程なくその弁慶が弁を振るう能 「安宅」を観る機会を得た

安宅をベースにした「勧進帳」は歌舞伎の演目の中でも最も頻繁に上演される狂言のひとつであろう

能舞台をあしらった松羽目物の最たるものだが、筆者にとっては十挺十枚にもならんとする長唄連中+囃子連中の豪華な演奏も大いなる楽しみである

この「勧進帳」のもとである「安宅」を是非観たいと思いながらも、10月の浅見真州による上演はチケットが瞬間蒸発、ヤフオクでもしつこく張っていたが、結局見逃してしまった

それをひょんなことから今回観ることを得た結果、謡本が手元にないので細かい詞章は分からないが、歌舞伎は極めて忠実に能の内容を再現しているということがよく分かった

舞台の大きな歌舞伎では判官義経の同行山伏は弁慶を入れても5人に過ぎないのに、狭い能舞台にもかかわらずその数10人ものツレが登場するのには正直驚いた

一方、関守の富樫の手下は1人、歌舞伎では4人だ

10人対1人では強力(ごうりき)に化けている義経を弁慶が打ち据えるまでもなく、富樫側はせっかく変装を見破ったにもかかわらず、一行を通さざるを得ないのは当然と言えば当然か

しかし、その後で酒を持って一行を追いかけてくるところをみると、富樫はやはり義経主従の結束に敬意を表して意図的に見逃したということか

歌舞伎では見られない演出としてのアイの役割があるが、ここでは野村萬斎のキレのある動きと割舌爽やかな大音声(だいおんじょう)が際立っていた

筆者は現在能としての具象性の強い「安宅」という出し物であれば、歌舞伎の勧進帳の方が優れた舞台芸術であると思わざるを得ない

吉右衛門の弁慶 菊五郎の富樫 里長の唄 栄津三郎の三味線  自分にとってはこれに勝る「安宅」はない

なにはともあれ、一度を見てみたかった「安宅」の舞台をみることができたことに大満足!!

(このたびの「安宅」は宝生流の某門下の方々の舞台を拝見した。その舞台にアイとして萬斎や大鼓の亀井広忠らが出演していたものである。)

歌舞伎 「京鹿子娘道成寺」@演舞場

歌舞伎11月公演 「吉例顔見世大歌舞伎」の夜の部を観た

11月公演チラシ

遂に念願の「京鹿子娘道成寺」を生の舞台で観ることができた!!

DVDでは玉三郎の道成寺も観たし、さよなら公演での玉三郎と菊之助の「二人道成寺」のDVDも繰り返し観てきたが、はやり今回の菊之助による「生道成寺」は最高であった

義太夫節にのって花道から白拍子花子が寺を目指してやってくる道行の後、紅白の幕が上がると満開の桜に包まれた山の向こうに道成寺と思しき伽藍と五重塔が見える

それを背景に色艶やかな着物に身を包んだ菊之助が次々に変化する曲想に合わせた踊りを、一時間以上に亘って独りで踊り通す姿は感動的である

特に超絶スピードの三味線の合方の後、「恋の手習い・・・」のクドキで見せる花子の色気にはドキッとさせられる素晴らしい舞いであった

次々に引き抜かれて、速替わりする着物の美しさにも思わずうっとりとしてしまう。 しばらく前までは全く興味もなかった「和服」としての着物が、かくもテーマ性(モチーフ)や季節感を雄弁に表現する芸術性の高いもものであることに今更ながら圧倒されるとともに、着物文化をはぐくんだ日本の文化の奥の深さを改めて誇らしく思う

もちろん玉三郎の道成寺や彼と菊之助の「二人」とかを観た目で言えば、まだまだ注文はあるのかもしれないが、生の舞台で観た今日の菊之助の道成寺は自分にとっては最高のパフォーマンスでありエンターテイメントであった

そして大半のお客さんが菊之助の踊りにしか関心がなかった、と言うか、目を奪われていたと思うが、それでも自分は七挺七枚の長唄連中、太鼓2、大鼓、小鼓3、笛2の囃子連中にも大いに満足した

舞踊としての娘道成寺は歌舞伎舞踊としても最高峰の一つと言って間違いないと思うが、同時に長唄としての道成寺も傑作中の傑作である

今回はしっかりと楽譜を持参したが、菊之助の踊りを見なきゃ意味がないので合方(三味線だけの器楽演奏のパートを合方という)のとき以外は楽譜を見るどころではなかった

娘道成寺楽譜

三下がりからスタートするも「言わず語らぬ・・」からは二上り、そして「梅とさんさんさくらは・・・」からは再び三下がりへ。途中、楽譜にはないが合方の途中ですら調子を変えている場面を何回か見た

三味線の手自体は楽譜で見る限りそれほど難しくはないように思えるが、それでも合方では超高速になるところが何箇所もあり、それを七挺であわせるのだから至難の業だ

立三味線の杵屋巳吉はまだ若い(若く見える)が高い集中力で細かく速いフレーズもこなれていたし、彼に続く六挺もよく統率がとれていた

勝国や栄津三郎のようなキレとメリハリ、そして攻撃的な迫力には欠けたような気がするが、それでも娘道成寺という曲にはそういうものより、しっとりとした情感が表現できることが大切なのかもしれない

唄はこの曲ならばはやり直吉で聴きたかった

さて、最初の「外郎売り」はなんのことはない、我らが曽我五郎が外郎売に変装してやってくる以外はいわゆる「寿曽我対面」とほとんど同じ設定で、極めて祝言性の高い様式美を楽しむ舞台だ

幕が上がると雄大な富士山を背景に舞鶴、大磯の虎、化粧坂の少将らの美女や武将が居並ぶ絢爛豪華、もうそれだけで「立体錦絵」!!

見せ場のひとつは外郎売の口上を早口言葉で言う場面だが、当代の尾上松緑も堂々とこなしたものの、観てるこちらとしては「カマないか、カマないか」と冷や冷やしながら観ていたのは偽らざるところだ

その後すぐに得意の荒事を披露する五郎、お決まりの和事スタイルでなだめにかかる兄曽我十郎は若手のホープ、尾上松也だ

この狂言には大薩摩なのだが、実際には長唄連中による演奏で、ここでも巳吉の三味線が光った

そして最後は音羽屋のお家芸、髪結新三。

チラシの裏には「江戸の市井の風俗をみごとに活写した黙阿弥の作品。初演で五世菊五郎が新三を演じて以来、音羽屋の家の芸として受け継がれている世話物の傑作」とあるが、まさしくそのとおり!!

大店に出入りの髪結いがやって来て、手代忠七の頭に当るシーン。 菊五郎はまるで本職の髪結いであるかのごとく、手際よく「仕事」をしていく

次には新三の家での新三(菊五郎)とその見習い下剃の勝奴(菊之助)の実の親子が交わすやり取りに、外からは鰹売りが初鰹を天秤棒に担いで売りにくる

さぞや値が張る初鰹をポンと言い値で新三が買うと、魚売りはさっさとそれを二枚におろすのだが、初物に目がなかった江戸っ子の風情を生き生きと映し出している

性根の座った「悪(ワル)」をやらせたらおそらく当代一の菊五郎は、ボロ長屋の座敷の真ん中に座っているだけなのだが、客席はまるで自分が本当の江戸の市井にタイムスリップしたような、そんなリアリティの中に引き込まれて行く

悪の新三の上を行く、老獪な大家。 これを演じた三津五郎の芸の奥行きに今回は大いに感動した
三津五郎と菊之助が三十両の金を巡ってのやりとり  最初は強気の菊五郎が三津五郎のしたたかな弁舌の前にタジタジになっていく場面は見ごたえがあった

ところで、「恋の手習い・・」のクドキで花子が口に咥える手拭が、今回も恒例として「おひねり」にして舞台から投げられたのだが、なんと幸運なことにナイスキャッチ。 前席のお着物姿のオバ様には申し訳ないが、彼女の手をすり抜けた一投を手のひらの真ん中でパシッと受け止めてしまった

テニスのボレーもこういう感じでスイートスポットに当たればもっとパフォーマンスも上がるのだが・・

菊之助手拭
<音羽屋の定紋である「重ね扇に抱き柏」と菊之助のサイン入り!ラッキ~!>

そんなこんなの盛りだくさんの約4時間40分。あっという間に過ぎてしまった

ああ、娘道成寺を今一度、長唄囃子連中にフォーカスしながら観てみたい

そして更にもう一度、今度は菊之助に集中して同じ舞台を観てみたい

長唄 「文五郎の会」@日本橋劇場

鳥羽屋文五郎の演奏会に行った

文五郎の会1

ホールには中村吉右衛門や中村梅玉などからのお祝いの胡蝶蘭や花束が沢山飾ってあった

文五郎の会2
<日本橋劇場(公会堂)は木調の椅子が美しく、音響も素晴らしい素敵な空間だ>

さて、第二回目の「文五郎の会」 演目は能の「景清」や近松の浄瑠璃「出世景清」などで知られる悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)の物語をテーマとした3曲

正味僅か70分ほどの演奏会であったが、いろいろな意味で非常に充実した舞台で、大いに感激した

自分のことだから目当ては三味線、だから最前列の右側に座った

最初は「五條坂景清」 四挺四枚に太鼓、大鼓、小鼓X2に笛の囃子連中の充実した編成

曲の前半はで華やかな曲調で始まり、廓に通う景清の様子が描かれ、後半は宿敵、源頼朝の暗殺を狙うが企みが露呈。 大立ち回りとなるが、景清が名刀痣丸(あざまる)を抜くと相手が逃げ惑うというストーリー

文五郎の声質は彼の父、鳥羽屋里長(人間国宝)の活劇的なダイナミックな声と瑞々しい情感溢れる杵屋直吉のような声のちょうど中間にあるように思う

だからこの曲のように艶っぽい前半にも荒事っぽい後半でも素晴らしい唄を聞かせてくれる

10月の南座「矢の根」で里長が大薩摩をやったとき、その脇で唄った鳥羽屋長孝が左端を固めていたが、やはり今回もこの人は若いのに上手いなと思った

囃子連中のことまではまだ勉強が足りないので分からないが三味線、唄とも息がぴったり、掛け声の質も枯れあり、迫力ありで大いに気に入った

続く「壇ノ浦兜軍記-阿古屋の段」は文楽でもお馴染みの演目だが、幕が上がるとナント前半は文五郎と杵屋栄津三郎の一挺一枚のサシ

栄津三郎は歌舞伎で里長が唄うときに多くの舞台で立三味線を務める、あの杵屋栄津三郎だぁ!

彼が立てを勤める舞台は「締まる」。 彼の前を睨みつけるような視線、気合溢れる掛け声、切れのいい合方、どれもこれもプロ中のプロを感じさせる緊張感溢れる迫力満点のパフォーマンスだ

その栄津三郎が目の前、5メートルのところでいつもと同じ厳しい眼差しで真っ直ぐに正面を向いて弾いている

歌舞伎の舞台で遠くに観る彼より、間近に見る実物はもっとカッコ良かった。 これだけで今日来た甲斐があるというものだ

途中からは上手の障壁が横に動き、背後から鳥羽屋里夕(なんとお読みするのかも分からないが、素敵なお着物の女性)がツレ弾き(と、言っていいのかも分からん)として登場

棹が違うのか、駒が違うのか分からなかったが、音が全く普通の三味線と違う軽い音がする

栄津三郎とのツレ弾きだから相当の遣い手なのであろう

ここまで書いて失礼があってはいけないのでググって見たら・・ ⇒ 鳥羽屋里夕(りせき)公式サイト

やっぱり、文五郎さんとご兄弟、つまり里長の娘さんだ。 どおりで・・・。

阿古屋は文楽でもお馴染みの「琴責め」だ。 文五郎さんには本当に申し訳ないが、ごめんなさい、栄津三郎と里夕さんの三味線に気を取られているうちに、短い演奏が終わってしまった・・・。

ここで休憩  客席の後方にはスーツに眼鏡姿の里長さんも立ってご贔屓筋に挨拶をしておられた

最後は新作「日向島」  景清がなぜか日向の国(宮崎)に落ちぶれた姿で暮らしている。 そこに彼の娘が訪ねてくるというという物語を文五郎自身が作詞・作曲したもの

四挺四枚、囃子方に通常の篠笛に加えて能楽笛方藤田流十一世宗家、藤田六郎兵衛が能管で加わるという異色の編成

能管の音階は通常の三味線や笛などの音階とは合わない独自のものだが、逆にその独特の響きが景清の波乱万丈の来し方と現在のわび住まいの哀れを見事に描き出す

長唄の曲ながら文五郎が観世流能楽師、梅若玄祥に手ほどきを受けたという謡やセリフっぽい語りもおりまぜ、変化に富む曲であった

新曲ではあるもののまるで古典のような優雅な曲調で非常にいい演奏であった

途中、早稲田大学演劇博物館長である竹本幹夫教授による景清の実像と、能、幸若舞、浄瑠璃、歌舞伎など「景清物」と言われる数々の物語についての解説もあり、NHKの葛西聖司アナウンサーが構成したという文五郎自身による「司会(録音)」もありと、とても心配りの行き届いたイベントだった

竹本先生は人形浄瑠璃の祖「竹本義太夫」とは関係ないが、景清とは血縁がある方だそうである

彼のお話にもあったが、景清は平家物語でもいくつかの場面で登場する

例の頼政・以仁王の挙兵の際の「橋合戦」でも平家方の先鋒を務める武将として名前が挙がっているしが、特に有名なのは巻十一の「那須与一」が扇の的を射抜いた直後の段、「弓流」において、源氏方の美尾屋十郎の錣(しころ:兜の後ろに垂れている首筋を守るためのもの)を引きちぎったという「錣引き」のエピソードである

ここでも「橋合戦」が登場し、先日訪ねたばかりの宇治平等院との繋がりが見出せて嬉しい限りだ

何はともあれ「芸」に対する厳しい取り組みのみならず、観客、贔屓筋に対する鳥羽屋の皆さんの姿勢にじみ出た心から楽しめる演奏会であった

大阪 「四天王寺」 と 文楽 「合邦」続報

南座での歌舞伎見物のついでに、先日の英大夫と鶴澤清介による名演奏「合邦(がっぽう)」ゆかりの地を駆け足で訪ねた

⇒ 合邦に関するオリジナル記事はこちら

大阪の国立文楽劇場のある日本橋から南東に少し下ったところに聖徳太子が建立した「四天王寺」がある

現在の伽藍は比較的新しいもので、建物自体にそれほどの文化財的な価値はなさそうだが、それでも奈良の法隆寺とならんで日本最古の寺院のひとつだ

さて、この四天王寺の西大門の更に西にこの「石鳥居(いしのとりい)」がある

鳥居の外側から東側に向かって撮った写真がこれだ。 西大門とその背後に境内の五重塔が見える

IMG_1964_四天王寺石鳥居_small

そして今度は鳥居の東側、西大門の側から見たのがこの景色だ

IMG_1962_四天王寺西大門石鳥居_small

秋の午後なので既に太陽は西に傾き、逆光で写りは決してよくないが、鳥居の真西にはビルがないことが分かるだろうか

実は鳥居の向こうは「逢坂」と言って、かなり急な勾配で海に向かって下っていくのだ

海と言っても現在の海ではなく、遠い昔は四天王寺のすぐ向こうは難波の海で、外国からの賓客などは最初に四天王寺に赴いたりしたらしい

IMG_1966_逢坂_small
<逢坂を下ったところの閻魔堂の辺りから坂の上の四天王寺を望む(よく見ると五重塔が見える)>

文楽「合邦」の下敷きになった能「弱法師」で目の見えなくなった俊徳丸が四天王寺の西門から心の目に映る難波の海に広がる淡路や須磨明石の情景を懐かしく述懐する

昔からこの四天王寺の西門、石鳥居は西方浄土の東門と表裏一体と考えられていた。 だから俊徳丸が拝んでいるのは難波の景色であると同時に西方浄土であったのだ

今でも鳥居から夕日を拝み、西方浄土への想いを馳せる人が多いと聞く

IMG_1963_石鳥居解説_small
<石鳥居と「日想観」の習慣についての解説が丁寧に記されている>

さて、この逢坂を下りたところに合邦の館があったとされる「合邦が辻」があり、家の外にあったとされる閻魔堂がこれだ

IMG_1968_閻魔堂_small

松竹の歌舞伎美人の記事によると、その脇の階段を下りたところが「合邦が辻」だというのだが・・・。

IMG_1971_合邦辻_small
<確かに階段はあるが「辻」らしきものは分からなかった>

ちなみに今、五木寛之の「親鸞」を読んでいるが「範宴(親鸞の修行僧としての名)」が奈良に向かう途中で四天王寺の話が出てくる

彼は聖徳太子に深く帰依するところがあり、太子が建立した四天王寺のことが語られるのだ

そして、範宴は奈良の二上山から観た夕日の美しさに、衆生が憧れる浄土の存在を感じたのであった

四天王寺からの夕日、二上山の夕日、まだどちらも見たことはないが、確かに四天王寺の石鳥居からは素晴らしい夕日が見られそうな気がした

文楽 「鬼一法眼三略巻」@国立文楽劇場(大阪)

一年ぶりに文楽大阪公演を観に行った

「鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)」がかかるのは一昨年の東京九月公演以来であるが、今回は冒頭に鞍馬山の段が加わっての上演であった

文楽大阪23年10月表_small 文楽大阪23年10月裏_small
<左は鬼一法眼、あらすじはチラシ裏面の上段をご参考に>

鞍馬山にはつい先日登ったばかり。 牛若丸に秘術をさずけた大天狗やその眷属が跋扈しても少しもおかしくない不思議な気に満ち満ちたお山だった ⇒ 鞍馬寺の様子はこちら

鞍馬の段では鶴澤清志郎の三味線を期待していたのだが、風邪でもひいたのか休演でちょっと残念

続く「播州書写山の段」は播州人の筆者としては思い入れのある場面

「書寫山圓教寺」は西の比叡山と言われるほど由緒ある天台宗の修業道場の地

幼き日の鬼若丸(後の武蔵坊弁慶)は性慶阿闍梨(しょうけいあじゃり)の元に預けられているが、図体ばかり大きく学問・手習いはさっぱりの粗忽者で通っていた

しかしそれは出家させられるのが嫌なために、わざと無能なフリをしていただけだった

乳母の飛鳥が巡礼の菅笠に書いてある「迷故三界城、悟故十方空」の意味を問うと、鬼若は「ホホ、迷うが故に三界、悟りの心開くれば、十方ともに空ならずや。もとより、西も東も一体・・・広大無辺の大慈大悲、ハハハハ信ずべし、信ずべし」と朗々と弁に任せて、さも爽やかに語ったのであった。

なんとこれはあの安宅の関での弁慶の機転、白紙の巻物を広げ、南都東大寺再興のための勧進を滔々と読み上げるシーンの伏線となっているではないか!!

乳母は鬼若が実は利発な子と分かると、彼の父、弁真(熊野の出身)が源為義に味方したかどで清盛に殺されたことや、 彼の母の敵が播磨領主平広盛であることを明かすとともに、弁真から預かっていた三条小鍛冶が打った「三日月」という名の薙刀(なぎなた)を渡す

三条小鍛冶は能や長唄の「小鍛冶」で稲荷山の神の化身であるキツネを相槌に「子狐丸」という名刀を打ったことで有名なあの三条小鍛冶宗近だ

⇒ ちなみに奈良に三条小鍛冶宗近という刃物屋さんが存在するから驚きである

⇒ 能「小鍛冶」に関する記事はこちら

父の弁真から「弁」、師の坊である性慶阿闍梨から「慶」の字をもらい、名を弁慶と改めた鬼若は両親の真の仇であり、源氏の仇敵である平清盛を討たんと書写の山を下りて京を目指すのであった

この段の奥を務めた千歳大夫と富助さんの三味線が光っていた 前回は余り記憶になかったこの段だが、今回はこの二人の気迫溢れる浄瑠璃と勘十郎の鬼若に魅せられた

次の清盛館の段は鬼一の娘、皆鶴姫の活躍のシーン

文楽大阪公演展示1
<これが歌舞伎の皆鶴姫>

そしてクライマックスの「菊畑の段」である ここは咲大夫の義太夫と燕三の三味線が光る

つい先日の東京九月公演の「逆櫓(ひらかな盛衰記)」のときのぶっ飛ばしとはやや異なり、しずかなトーンの中に鬼一法眼の人物の大きさを描く語りが光った

後半は燕三の細かく鋭いフレーズに気合のこもった掛け声が響く!

こういう段を見ると「ああ、やっぱり文楽は義太夫なんだ」、「義太夫浄瑠璃に人形が付いて人形浄瑠璃=文楽なんだ」とつくづく思う

そう言うと人形遣いの皆さんに失礼に聞こえるが決してそうではない。 義太夫が良ければ良いほど、人形の細やかな動きまでが活かされてくる はやり三業が揃って何ぼのものなのだ ただ はっきりいえるのは大夫がイマイチの舞台はだいたい何をやってもイマイチ  これだけははっきりしている

最後の五条橋はお決まりの弁慶と牛若の出会いの場だ こうしてみると弁慶も実は元々平家を仇と狙っていたのだから、この二人が意気投合して主従の誓いを立てるのは自然な流れなのだ

文楽大阪公演展示2
<劇場内ではこんな特別展示も>

五条橋は我が心の師、鶴澤清治が立てを務める五挺五枚の道行仕立て

呂勢大夫のよく通る声に清治師匠の一音たりとも揺るがせにしない緊張感溢れる「見えない」指揮によって、一糸乱れぬ五挺の三味線が聞きどころ  やっぱり清治さんが「立て」を務めるときの床の締まりようには鬼気迫るものがある

返す返すも平家と源氏が戦わなかったら、一体日本の文化はどうなっていたのだろうか?

清盛万歳、義経万歳!!

蛇足ながら・・・ 今回の大阪錦秋公演は11月20日までやっています 大阪は文楽の本場なのに空席が目立ちます ぜひ、皆さんも一度、本場大阪の国立文楽劇場に足を運んでみてください 東京の国立小劇場とは違った雰囲気を味わえますよ!!

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