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Author:Sogagoro
友人の勧めで文楽を観たことがきっかけで伝統芸能に目覚めました。歌舞伎や能もよく観ます。とりわけ三味線の魅力にとりつかれ長唄を習い始めました。

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京都 「東寺(教王護国寺)」

「空海と密教美術展」に触発されて、京都の教王護国寺、つまり「東寺」を訪れた

(宇治平等院訪問から始まる今回の京都古寺散策についてはいずれ整理するとして、今回は先週の空海展つながりでとりあえず東寺(教王護国寺)の様子だけを速報する)

IMG_1494_東寺パンフ_small

パンフレットの表紙は上野に来ていた梵天像(講堂内)だが、もちろんまだ京都にはお戻りではなかった

IMG_1421_東寺金堂_small IMG_1423_東寺講堂_small

写真左は金堂で、中には薬師三尊と十二神将像があるがこの薬師さんがとてもいいお顔をされていた。
右の写真が立体曼荼羅が展開する講堂であるが、21体の仏像のうち8体がまだ上野から戻っておられなかった

にもかかわらず、13体の仏様が曼荼羅の世界を現すがごとく前後左右に座っておられる姿は圧巻であった

IMG_1430_東寺観智院_small IMG_1435_東寺堀_small
<こちらはお庭がきれいな観智院>

観智院と東寺の間に堀のような池がある。そこに亀と青鷺ののんびりした姿があった

東寺と言えば、巨大な五重塔が有名だが、こちらはおりしも東からの朝日を浴びて、逆光のため写真が撮れなかったので、また別の機会に紹介したい
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「空海と密教美術展」@国立博物館

上野の国立博物館で開かれていた「空海と密教美術展」を、駆け足ながら観ることができた

空海3_small

嵯峨天皇、橘逸勢(たちばな の はやなり)と共にに三筆と称される空海の書(風信状など)や空海が唐から日本にもたらしたとされる両界曼荼羅(東寺、神護寺、唐招提寺など)、錫杖頭や五(三)鈷杵などの密教法具など、貴重な国宝や重文の展示が続く

そして圧巻は東寺(教王護国寺)講堂内のいわゆる「立体曼荼羅」、つまり空海の思想に基づいて大日如来を中心とした密教で重要とされる仏像や明王像など21体が曼荼羅を立体的に示しすよう安置されている様子を8体の国宝指定の仏像によって再現した展示である

空海4_small

上のパンフレットの写真にある8体の仏像群が、実際には東寺での配置に近い形で展示されているが、嬉しいのは360度、後ろからもこれらの仏像を見ることができる点だ

これらの8体以外に仁和寺の阿弥陀如来、醍醐寺の薬師如来や如意輪観音菩薩など素晴らしい仏像群も見ることができた

空海1_small 空海2_small

それにしてもご覧のとおりの大混雑。空海の書などを見ていると千年以上も前の日本人の知的レベルの高さに端倪するが、同時にこうした文化的な財産に対する今の日本人の関心の高さにも驚かざるを得ない

いつ、どんな展示会に行っても余りの人ごみにゆっくりと鑑賞できないの残念ではあるが、一方で自分たちの文化やルーツに大勢の人が関心を持ち続けることは素晴らしいことだと思う

文楽「ひらかな盛衰記」「紅葉狩」 感動再び!

文楽9月公演の夜の部(第二部)を予告どおり再び観た

今回は開演前に英大夫のご好意により文楽の舞台裏を見せてもらったのでその写真を中心に

まず大夫と三味線が座る「床」を舞台裏から見たのが下の写真だ。「盆」と言われる円形の台の上に、既に見台が載せてあった。ただし、通常義太夫は一挺一枚が原則なので盆には見台はひとつが普通である

背景はこちら側は「銀」で反対側は「金」だ。大体切り場のときに「金」になるように考えているとのこと

盆と見台

これは紅葉狩に登場する鬼女の人形。人形の「かつら」を専門に扱う床山さんの部屋で撮影させてもらった

紅葉狩の鬼女

こちらは鬼女の取巻きの女中たちと立派なりの子供は先代萩の若君

更科姫の取巻き

これはひらかな盛衰記、逆櫓の段に出てくる裏切り者の船頭たち。樋口次郎兼光にこてんぱんにやられる運命!

船頭と山神

最期は清治さんの三味線に呂勢大夫が語る「笹引の段」の背景となる枯笹の藪のセット

笹引のセット

第二部は心からいたく感動したので、再度観ることにした。 なかなかどうして、二回目にもかかわらず最初から最後まで楽しめた

改めて清治さんの三味線の一音一音の正確さ、これしかないという切れ味するどい音。こうも弾き手によって違うものか?
唖然とする「音」の違いに今回も瞠目した!

約90分の切りを語った咲大夫と燕三の三味線の凄さ、これも初回と同じ印象

そして英大夫に引っ張られる形で若手の熱演が印象的な紅葉狩

なぜか紅葉狩の平維茂の雅な姿に感動したのも前回どおり

とにかく今回も100%楽しめた。そして、前回同様、同好の志とたまたま一緒になり幕間には楽しいおしゃべりも出来て充実した観劇三昧の週末だった

能 「敦盛」@深谷!

深谷市民文化会館で行われた観世流小島英明をシテとする「敦盛」を観た

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<観世喜正の「のうのう能」繋がりで、電車を乗り継いで遥々深谷まで出張りました!>

会場は通常の能舞台ではなく、ローカル自治体の「市民会館」の「小ホール」。板張りの舞台の上に小島が自分の車に積んでもってきたという、何故かグレーのカーペットが3mぐらいの橋懸りと本舞台にに当たる場所に敷いてある

そして60センチほどの高さの「角材」が目付柱とワキ柱の位置に立っている、それだけの拵えだ
背景は体育館の舞台の背景によく掛かっているような真っ黒な幕があるだけで、老松も竹も揚幕も何にもない
しかもカーペットの端が少し波打っていてあまりピシッとキマッていない

これだけ見たときは「しまった!こんなとこまでわざわざ来るんじゃなかった」とちょっと後悔

しかし、実際に始まってみると、小島による丁寧な能の歴史や演目の解説、謡のミニレッスン、囃子方によるそれぞれの楽器の説明と実演に続き、観世善正も登場して例の能装束の着付けの実演解説と充実した前フリだった

IMG_0257.jpg
<写真のような立派なテキストまで付いていた(謡本はもちろん別売り2000円也!>

なぜこうまでして敦盛を観たかったのか!?

平家物語の「敦盛最期」の章段が儚く美しいから、それを幽玄な能にしたらどうなるのか、それを観たかった

シテの敦盛もさることながら、ワキの熊谷次郎直実は一の谷で敦盛の首をとった当の本人
敦盛の霊が熊谷とどう向き合うのか、そして、熊谷がどう敦盛の霊を慰めるのか、それが観たかった

能「敦盛」が後世の人形浄瑠璃や歌舞伎にどういう影響を与えたのか、それを知りたかった

そしてそれは平家物語などの鎌倉・平安時代以前から日本人が育んできた美意識や人生観が、能、文楽、歌舞伎などの現代に繋がる芸能の中に連綿と受け継がれてきており、それが今なお人々の心を打つことに深い感慨を抱くからだ

だからそれらの古典の継承の中間点にある「能」がいかなるものであるか、観てみたくてしょうがないのだ

また、この敦盛もそうだが、先週国立能楽堂で見た「生田敦盛」もやはり浄土宗の開祖、法然上人に非常に関係が深い
敦盛を討ったことがきっかけで熊谷直実は法然上人に出家して「蓮生(れんせい、或いは、れんしょう)法師」となり、法然に帰依する

また生田敦盛でも敦盛の子供は法然に拾われ、後に生田の森で父、敦盛の霊に再会するのである

法然、親鸞とつづく浄土宗の流れを知ることも、現代につながる日本人の精神風土を探る上でも重要な研究課題だと思っている

さて、肝心の舞台だが、冒頭に書いたような急ごしらえの舞台ではあったが、シテとワキの関係が分かりやすく、しかも、草刈男が3人も出てきて動きがあり、アイの解説も懇切丁寧で、非常に分かり易い曲であることに加え、前段で隅々まで解説してもらっていたので、とても入って行き易い演能であった

敦盛の霊の装束も片(肩?)脱ぎになっているので、中に着ている着物(厚板)と外の羽織もの(長絹)の色合い、模様の対比が美しかった

長身の小島の中之舞の前段では平家の公達の優雅なものから、突如、一の谷の合戦の鬼気迫るものへの変わるところ、そして最期、蓮生法師に回向を頼むと、刀を投げ捨てて去っていく、その序破急の妙が印象深かった

囃子連中はやや若さが目立ち、「枯れた」味がなかったのが残念だが、地謡の通奏低音的な響きはとても良かった

トータルとしてみればこれまでに観た能の中では一番積極的に楽しむことができた曲、演能であったと思う

さて、ここで少し深谷のことを紹介しよう。JR深谷駅はなんと↓こんなに立派な駅舎を構えている!!

深谷駅1_small

そして、会場となった深谷文化会館は深谷城址公園のすぐ裏手にある(ほぼ一体となっている)

深谷城址_small 深谷市民文化会館_small

深谷の少し手前が蓮生法師、つまり、熊谷直実の生まれた「熊谷」であり、駅前には直実の騎馬像があるそうな

そして、10月8日からはいよいよシネマ歌舞伎で中村吉右衛門の「熊谷陣屋」が始まるよ~!

とにかく、遥々と深谷まで片道1時間半かけて行った甲斐を大いにあり、大満足の半日だった!!

(冒頭の小島による解説には、テキストにはないたくさんの話があったので、で以下備忘のために書き留める)

- 江戸幕府によって武家の式楽と定められた「猿楽(能楽)」は大いに栄えたが、明治維新によって武家社会が崩壊すると共に衰退した

- 岩倉具視は新政府使節団として欧米を視察した際に、列強各国が自国の文化の保護政策をとっていることに感銘を受け、帰国後方々に散らばっていた能楽師を集めて展覧能を催して、能楽の再興と保護を図った

- ちなみにこの使節団には深谷市出身の澁澤栄一翁も参加したとのこと

- 能は能面、文楽は人形、歌舞伎は化粧によって生身の人間をさらさないで舞台に上がる

- 幸若舞は現在ではほとんど衰退してしまっているが、信長が舞ったとされる「敦盛」は能の仕舞ではなく本当は幸若舞であった。現在では8曲程度が九州に伝わるがその中に敦盛は含まれない。しかし、2008年に幸若舞の敦盛が復元された

- 幸若舞が廃れた理由のひとつは、それが一子相伝を旨としたからとのこと

- 能管の中にはノドと言われるもうひとつの竹の筒が入っていて、それが西洋音階にはない独特の音階を作り出している

- 大鼓の皮は使用前に2時間ほど乾燥させたりするので、10数回使うとダメになる

- 雛飾りの五人囃子は左から太鼓、大鼓、小鼓、笛、そして扇を持った能楽師の順にならんでいる これは能舞台上の囃子の並び方と一致

- 敦盛が持っていたとされる笛は「小枝」とされるが、これを観世流では「さえだ」と読み、宝生と金春では「こえだ」と読む
ちなみに森永製菓の「小枝」も観世流の小島は「さえだ、下さい」と言って買うそうだ(笑)

- 一方、能「敦盛」では最初に草刈男が出てきて笛を吹くために「青葉の笛」と呼ばれている。従って、須磨寺に伝わるのは青葉の笛と呼ばれている

- 観世喜之が澁澤翁の末裔とつながりがあったが故、深谷で代々お能のお稽古が開かれてきていた

- そして喜之の弟子である小島英明が深谷での縁をつなぐことになった

- 小島英明の妻は斎藤別当実盛の末裔とのこと。斎藤実盛は源義賢の子、駒王丸を逃がした。駒王丸は後の木曾義仲。
実盛はその後、平家に仕えたため、最期は義仲勢に討たれてしまう

- 武士がつける烏帽子は、向かって左に折れているのは平家、右に折れているのは源氏だそうな

それにしてもいろいろ勉強になった。Suicaを使って、グリーン車に乗る方法も学んだし!

最期に小島英明はなかなか好感の持てるいい男だ。話し方に屈託がなく飾らない素な感じがとても気に入った。
これからも機会があれば彼の舞台を観てみたいものだ

文楽「ひらかな盛衰記」「紅葉狩」(九月第二部)-感動の舞台!

先週の第一部に続いて、九月公演の第二部を観た

感動した!楽しかった!

木曾義仲の遺児や遺臣らの物語を描く「ひらかな盛衰記」も、一面紅葉の錦に染まる戸隠山を舞台に平維茂(これもち)が妖艶な姫に化けた鬼女を退治する「紅葉狩」も、大夫、三味線、人形遣い、三業全ての気迫溢れる舞台にただただ圧倒された

ここ数年、全ての東京公演を観てきたが今回ほど全編にわたって心から楽しめた舞台はない。4時間の公演時間があっという間に過ぎた

文楽2011年9月公演1_small
<九月公演のチラシ 写真は「ひらかな・・」の船頭松右衛門、実は樋口次郎兼光>

なかでも筆者が若手大夫の実力ナンバーワンと思う豊竹呂勢大夫(とよたけろせたゆう)が、これも三味線弾きを志す筆者が心酔する鶴澤清治の切っ先鋭い撥捌きにのって力強く語った「ひらかな・・」の「笹引の段」は絶品

舞台一面に荒涼とした枯れ笹の藪が広がる。そこに木曾義仲の忘れ形見である駒若君(実はこの子はその前の段「大津宿屋の段」で、別の一行が連れていた男の子と入れ替わってしまっていたのだが・・・)を連れて、義仲の御台である山吹御前と腰元お筆、そして彼女の老いた父が、義仲の残党狩をすすめる鎌倉方に追われて逃げてくる

お筆の父は果敢に戦うもあえなく戦死、若君もその場で首を刎ねられ、山吹御前もショックで命を落とす
お筆は気丈にも立ち枯れた笹を切り倒し、山吹御前の亡骸をその笹に縛りつけて引きずって行こうとする

この劇的なシーンを呂勢が持ち前の声量と小気味良い割舌で語って行く

それに一音一音に気迫と魂の宿る清治の三味線が冴え渡る。絶対的な技術をベースとしながら、若い呂勢の呼吸を読みながら、そして客席の観客の反応すら感じ取りながら全ての音に完璧を求める。究極の集中と同居するある種の余裕、それが清治の凄さだと思う

いつも感じるのだが清治は他のどんな三味線弾きよりも頻繁に調弦を繰り返す
最初は他の奏者よりも常に新しい糸を使うから弦が伸びて伸びてしょうがないのかと思っていたが、それにしても頻繁だ
やはり演奏中のほんの僅かな音の狂いを妥協無く修正して行くが故なのだろうと、今では思っている

さて、続く逆櫓の段の「切り」は今をときめく豊竹咲大夫(さきたゆう)と鶴澤燕三(えんざ)の三味線だ

咲大夫が電話帳みたいな(失礼)厚い床本を高く捧げた。 そう、約90分に亘って咲大夫の緩急自在の語りと、ほとんど曲弾きに近い、高音域での細かく、素早いフレーズが燕三によって紡ぎ出される
清治の一音一音に込められた情念のようなものは、まだ感じられないが、それでも圧倒的なエネルギーとそれを爆発させるだけの自信と集中力という点で燕三も凄いと思う

続く紅葉狩はこれまた紅葉の美しい舞台を観るだけで絵のようだ。そこに雅ないでたちの平維茂が現れる

床は英大夫以下5人の大夫に清介ら3人の三味線に琴が二挺。これまた豪華なしつらえだ

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<開演前の床にならぶ大夫の見台と琴>

夕暮れ時も近いこんな山奥で、どこからともなく琴の音が聞こえてくる。誰かと見れば美しく高貴な更科姫らが女だけで紅葉狩にきていると言う。そして、酒を勧められた維茂は更科姫に舞を所望する。優雅に踊る更科姫を見るうちに、ついに寝込んでしまう

そこに現れた山の神に起こされた維茂の前に現れたのは更科姫に化けていた鬼女だ

ここからはさっきとはうって変わって、鬼と維茂の激しい戦いのシーンとなる

鬼は確かに恐ろしい顔をしているものの、それでもどことなく優雅さを感じさせる。そして最期は紅葉に染まる戸隠山を背景に絵画なような見得を決めて幕となる

ここでは豊松清十郎の遣う更科姫の舞が見もの。左右の手でふたつの扇をたくみに操りながら優雅に踊る姿は生身の人間以上にしなやかで美しい

この更科姫は主遣いだけでなく左遣いと足遣いの三人が顔を出す、珍しい「出遣い」だ。それだけ、この舞が高度な技術を要するということだろう

清介以下、若手の三味線二人の中でも清丈の気迫溢れる演奏と二人の琴が印象的だった

冒頭でも書いたとおり、この紅葉狩りの最期の見得までアッという間の4時間であった

できれば、今公演中にもう一度観たみたいものだ

能 「葵上」@矢来能楽堂

矢来の能楽堂で定期的に開かれている「のうのう能」(Know-Noh)の第26回公演で「葵上」を観た

矢来能楽堂

観世喜正による演目の解説に続いて、舞台の上でシテの能装束の着付けの様子まで見ることができる。

その後いよいよ シテ(六条御息所) 古川 充 による「葵上」が始まった

葵上

もともと自分が能を見る目的は文楽や歌舞伎という江戸時代に開花した伝統舞台芸能のルーツを探ることにある

さらには「能」という芸能自体が、古くは奈良時代の「記紀」に始まり、「伊勢物語」「源氏物語」「平家物語」など、既にその時点で人々の間で「古典の名作」として広く膾炙していた物語から題材の多くを得ていたということに、日本文化の連綿たる継承の奥の深さを感じるのである

曲目の良し悪し、演能自体の出来不出来についてはまだよく分からないことが多いが、「葵上」はワキ、ツレなど登場人物も多く、テンポもいい。しかもストーリーはオリジナルの源氏物語の葵の帖にほぼ忠実だから分かり易い

その意味ではとっつき易い曲目には違いないが、このたびの舞台はどうだったのだろうか・・。

まず囃子方の大鼓の掛け声がガラガラ。鼓の音も粗野だ。笛も期待される清明な響きに欠けたような気がする

長唄の演奏会、歌舞伎舞踊の伴奏、あるいは黒御簾音楽における囃子の大切さ、そこだけは最近少し分別がついてきた

それだけに、具体的な演出や音曲を取り入れない能の舞台において、囃子のもつ意味は歌舞伎や長唄などにおけるものより遥かに重要な要素ではないだろうか

ワキの横川の小聖も「何が」というのはよく分からないが、御息所の生霊たるシテに向かうには、余りにも「生臭い」所作が全体の幽玄さを少なからず減じてしまっていたような気がした

ところで、今回ののうのう能での一番の収穫は観世喜正による「謡い」のワンポイントお稽古だった

葵上2
<装束の解説も丁寧だ>

ツレ 「思い知らずや」 シテ 「思い知れ」 上歌地謡 「恨めしの心や・・・ 水暗き澤べの蛍の影よりも光る君と契らん」
のほんの短い部分だが、喜正がそれまで使っていたマイクをオフにして本来の地声でお手本を謡う。その声を聴いただけで、圧倒的声量と節付け(?)の見事さに聞きほれる

その後、見所の観客が喜正に続いて声を出す。最初は皆、遠慮がちだったたが最後はいい声が出ていた

自分も初めての謡いの体験に最初は戸惑ったが、声を出してみるうちに「あ、この発声や節付けは長唄に繋がるものがある!」と(勝手に)直感した。そう思った瞬間、もっとしっかり姿勢を正して声を出してみた

するとどうだろう、とてもすがすがしいよい気持ちになった。詞章そのものは恨み節だが、喜正の節つけを真似て謡ってみると本当に気持ちのよいものだった

いつか謡曲も習ってみたいと思える体験が出来ただけでも、今回ののうのう能は本当にいい体験だった



蕎麦 越後長岡 「小嶋屋」@銀座ニューメルサ

銀座のニューメルサの8階に本場、越後長岡の「小嶋屋」の出店ができた

小島屋銀座1 小島屋銀座2

しっかりとした弾力性のあるコシは布海苔をつなぎに使う、へぎそばの特徴だ。

ただ、その分麺が水を吸わないので、水切りをよくしても普通の蕎麦より麺に水分が残る傾向がある

そのために汁が薄まってしまうので、できれば、もう少ししっかりした返しを使って、へぎそばの爽やかな風味を生かせるようにしてはどうだろうか。

銀座「小嶋屋」の詳しい情報はこちら

落語 「さん喬・権太楼 特選集」@鈴本吉例夏夜噺

しばらく前の柳亭市馬の「らくだ」に味をしめて、再び鈴本に足を運んだ

吉例、ということは毎年この時期にこうした企画があるのであろう。前評判も上々らしくチケピは完売、当日券を午後一時から売り出すとのことで、なんと11時過ぎから並んだ

鈴本夏祭り

その甲斐あって、12時半頃にはなんとか席を確保。

余談だがその間に、筑前琵琶の上原まりと桐竹勘十郎による「浄瑠璃姫物語」の公演チケットのネット販売が12時から始まるということで、鈴本に並びながらそっちも正午の時報と同時に予約するという綱渡り。

さあ、再び5時過ぎに来てみると会場は立見も出るほどの大入り!

鈴本場内
<写真は中入り時のもの>

肝心の中身だが、うん、これがなかなか微妙。権太楼の「疝気の虫」はリラックスした雰囲気でよかったが、さん喬の「浜野矩随」は余りにしんみりと引っ張り過ぎの感があり、オチに向けて盛り上がりきれなかった(気がする)

さん喬自身こんなに大入りの千秋楽にはよく「はずす」んだなんて言っていたが、本当に気合が入りすぎて滑ってしまったのだろうか、それとも、このネタはこういうものなのだろうか・・・。落語門外漢にとってはその判断がつきかねる

小菊の粋曲もちょっと安易なパフォーマンス、中入り前に出てきた市馬も今回はサラリとやってのけたが、古今亭志ん輔と紙切りの林家正楽はなかなか楽しめた

この日はお客自体も千秋楽の高揚感が先行している感じで、確かに反応はよかったが、どうしてそこで笑うのか分からないことが多いまま、最後まで行ってしまった

もし大阪のお客だったら、3500円でこの状況、どう反応するのだろうか・・・。

文楽 「九月公演」@国立劇場 (19日まで)

いよいよ文楽九月公演が始まった

文楽2011年9月公演3_small 文楽2011年9月公演2_small

昼の部の最初の演目はお馴染み「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう」だ

いきなり住大夫を「翁」とする六人の大夫に野澤錦糸を立てとする六挺の三味線という豪華な顔ぶれの義太夫陣

能舞台をそっくり模した松羽目の舞台にまず桐竹勘十郎が遣う「千歳(せんざい)」が能面を収めた面箱を恭しく捧げながら登場する

続いて今度は吉田蓑助が遣う「翁」が現れ、客席に向かって丁寧に頭を下げる

同じような所作は歌舞伎の三番叟にも当然あるのだが、蓑助が遣う人形がするお辞儀には何故か生身の俳優よりも、威厳と様式美が横溢する

千歳の爽やかな舞の後、面をつけた翁の厳かな舞が始まる

最後はいつものとおり三番叟の二人の賑やかな、そしてユーモラスな踊りに続いて、千歳からたわわに実った五穀を表す鈴を受け取った二人は更に快活に踊るのだ

ことに今回は6列31番、つまり床の(三味線の)真下 初日、住大夫の舞台に居並ぶ若き三味線弾きたちの真剣な眼差しと集中力の途切れぬ演奏に思わずこちらも力が入った

国立劇場開場45周年のこの秋の始まりを寿ぐにふさわしい、豪華メンバーによる天下泰平、国土安穏「寿式三番叟」であった

壽式三番叟
<プログラムの表紙は折込続きだ>

二つ目の狂言は江戸時代初期に実際におきた仙台伊達藩のお家騒動、いわゆる「伊達騒動」を題材にしたの「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の「御殿の段」だ

歌舞伎でもお馴染みの演目だが乳母政岡がおなかをすかした幼年の藩主と自分の子供に茶道具を使って、食事を作るのだが、歌舞伎(玉三郎の政岡だった)でも今回の文楽の舞台でも、余りに冗長な話の展開に少し眠くなってしまう

それでもいつもながら千松のけなげな最後には感動するし、残忍極まりない八汐のやり口にはゾッとするのだった

三番目は「近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)」の「堀川猿廻しの段」だ

これもおつるの三味線のお稽古の場面や与次郎がおしゅんと伝兵衛を暗闇の中で取り違える場面などはテンポがよくて面白いのだが、、二匹のサルの踊りが長すぎる

どうして、先を急ぐはずの伝兵衛とおしゅんの逃避行の前に長々と猿の芸が続くのか、余り理屈で考えてもしょうがないのだが、そこでなんとなくたるんでしまう

ユーモラスな与次郎はここでも勘十郎が遣ったが、生き生きとした人形の動きは生身の人間以上に表情豊かである

昼の部の第一の注目はやはりオープニングの寿式三番叟であろう

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