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Author:Sogagoro
友人の勧めで文楽を観たことがきっかけで伝統芸能に目覚めました。歌舞伎や能もよく観ます。とりわけ三味線の魅力にとりつかれ長唄を習い始めました。

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歌舞伎 「芦屋道満大内鑑 葛の葉」 -亀治郎の会

人形浄瑠璃では何度なく観てきた「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」を歌舞伎として初めて観る機会を得た
市川亀治郎が自身の会(第9回 亀治郎の会)で、最初の演目に葛の葉姫を選んだのだ

葛の葉伝説と信太の森についての以前の記事はこちら

亀治郎の会2 写真(1)

信太の森のキツネが化けた安部保名(あべのやすな)の妻「葛の葉」と、両親に連れられて保名の隠れ家にやってくる本物の葛の葉姫の二役を亀治郎が演じる「早替わり」も見事、且つユーモラスで面白かった

文楽とは違う演出として面白かったのは、キツネの葛の葉が保名との間にもうけた子供(後の陰陽師、安部清明)にいよいよ別れを告げる段になって、部屋の障子に有名な一首「恋しくば 訪ね来て見よ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」を書き残すのだが、なんと歌舞伎では観客の前で本当に筆で障子に書いて見せた

実に亀治郎は恋しくば・・・和泉なる、までを右手で、そこに、昼寝から目覚めた童子が母を求めてやってくると、その子を小脇に抱えたまま左手を使って「裏文字(鏡文字?)」で「信太の森の」、そして、最後は子供を負ぶってなんと筆を口に加えて「うらみ葛の葉」と美しく書いたのだ! これが「曲書き」というやつか…

葛の葉姫
<まさにこんな感じ!>

この程度の曲書きなぞは序ノ口、葛の葉の早替わりも単なる衣装の着替えだけではなく、機織り、子育てをこなす保名の女房としての身のこなしと深窓の令嬢としての葛の葉姫を演じ分ける亀治郎の versatile なエンテーテイナーぶりを大いに感じさせてくれた。

それもあってのこの盛況!95%が「老若女々(ろうにゃくにょにょ!)」で占められていた

亀治郎の会3

二つ目の出し物はチラシの表にある「博打十王」。 こちらはさらにエンタメ性の強い舞踊劇で昭和40年に猿之助が初演してものの復刻だ

自分にとってはこれが「長唄」仕立てで、六挺六枚(三味線、唄共に6人づつ)に囃子方も6人という豪華な「オーケストラ」だったことが何より嬉しかった

曲の中に端唄の「梅は咲いたか」まで織り込んであったが、やはり、大勢の長唄は聴いているだけで楽しいものだ。
因みに囃子の笛はお気に入りの福原友裕だった

亀治郎の会1

これは「プログラム」なのだが、屈指の浮世絵収集家としても知られる亀治郎所蔵の浮世絵や折口信夫の「信太妻の話」という考証が掲載されている非常に充実した内容だった

今回は駆け込みの当日券で二階の後方、B席を7000円で買って観た

一階の正面は特別席だがなんと15000円。70分の葛の葉と60分の博打十王、二題で15000円はいくら亀治郎さまと言えどもチト高すぎるか

7000円で歌舞伎の大内鑑と長唄を堪能できたと思えば、それがギリギリ、ソロバンが合うところだ
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文楽 「杉本文楽 曽根崎心中」@神奈川芸術劇場

震災で開催が大幅に延期された、写真家 杉本博司の演出による人形浄瑠璃「曽根崎心中」を観た

杉本曽根崎

国立劇場や大阪の国立文楽劇場でしか文楽を観たことのない自分には随分と斬新な舞台だった

どう斬新だったかを文章で説明するのはなかなか容易ではないが、少なくとも縦に(舞台奥に向かって)細長い舞台、人形遣いの全身足先までが見え、殆んど舞台装置らしい舞台装置がなく、基本は黒の背景に照明の組合せでしか人形や大夫、三味線が映し出されないといった舞台演出が用いられた

人形遣いの足先まで見えるということは、人形は宙に浮いていることになる

最初は違和感があったが次第に人形遣いの黒子姿と舞台全体の「黒」あるいは「闇」を背景に人形の衣装、動き、そして表情が返って鮮やかに浮き彫りになり、リアルな感情表現を可能にしていた

プロローグはいきなりスッポンからが現れた鶴澤清治の三味線の独奏、そして途中から鶴澤清志郎が遠く離れたところで胡弓を合わせる

続いて今回の杉本版独特の演出である「観音廻り」となる。 舞台の奥から桐竹勘十郎が一人で遣うお初がゆっくりと歩んでくる
照明を落とした舞台演出の効果から視覚的には50メートル、いや、一人使いのお初の人形は小ぶりなので100メートルぐらいに感じられる距離を大阪のあちこちの観音様を廻りながら歩いてくるという趣向だ

「曽根崎心中」は1703年に大阪曽根崎の森で実際に起きた心中事件をもとに、近松門左衛門が書いた世話物の人形浄瑠璃の名作で、翌年5月に大阪竹本座で初演、爆発的なヒットを収めた

歌舞伎にも移され、その改作が次々に上演されるに至ったものの、原作の上演は長らく途絶えていたのを、昭和になってから人形浄瑠璃でも歌舞伎でも復活されたが、原作にはあったとされる「観音廻り」は今回初めて再現されたとのことだ

天満屋でのお初、九平次のやり取り、その後の道行ともに独創的な演出が続き、最後の心中の場面もこれまでに見た文楽、歌舞伎の曽根崎よりも一段と切なく美しく、且つリアルであった

最後に文楽公演には珍しく、演者が舞台で挨拶をし、杉本博司もその思い入れを語ったが、なんと言っても蓑助さんのオペラ歌手のようなお辞儀とお初を遣ったばかりで肩で息する勘十郎さんの姿と始終ニコニコして挨拶していた清治さんの笑顔が印象的だった

3月の公演は震災で中止され、もう観られないのかと思っていたが、今回、こういう形で実現したことは本当に嬉しく思う

杉本曽根崎2
<こんな贅沢なポスターも>

歌舞伎 「稚魚の会・歌舞伎会 合同公演」@国立劇場

第17回 稚魚の会・歌舞伎会 合同公演を国立劇場小劇場で観た

合同公演_small

しかもひょんなことから、縁あってA班・B班両方の舞台を観ることになった・・・

まず「壽曽我対面」は歌舞伎座さよなら公演のDVD(平成21年1月公演)を観たばかりであったが、なかなかどうして国立の小劇場という限られたスペースにもかかわらず、祝言色豊かな絢爛豪華な舞台を若手俳優たちの清冽な演技と相まって堪能することができた

A班・B班ともに工藤祐経は團十郎門下の市川升六(第17期歌舞伎俳優研修生)が演じたが、その堂々たる所作、台詞回し、表情など、本来の座頭の役としての威風を見事に体現していたと思う

また、舞鶴、化粧坂の少将、大磯の虎、いずれも若手女形によるみずみずしい色気が色彩豊かな衣装とともに舞台に華やかさを添えていた。中でもA班の化粧坂の少将を演じた中村京由(きょうゆき)は本物の花魁でもかくや、と見まごうほどの美しさであった

曽我十郎・五郎のコンビもそれぞれ和事・荒事の組み合わせはお決まりとしても、全体がおちついた荘厳な雰囲気の舞台の上で血気にはやる五郎の荒事としての演技がいかに難しいものであるかが今回はよく分かった

それにしても一刻も早い仇討ちの機会をと詰め寄る粗忽な兄弟、それをあざ笑う軽薄な大名たち、そして、若者たちに心を寄せる遊女らの台詞のやりとりの中にあって、最期に裾野での巻狩りへの入場手形たる「切手」を兄弟に投げ与える余裕を見せる祐経の堂々たる威風が際立っており、観るものに感銘を与える演技であった

とにもかくにも大好きな五郎時致にちなんだ演目を生で堪能できて大いに満足した

次は「一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)」、こちらもA班・B班両方を観た。

平治の乱で夫源義朝を失った常盤御前は牛若丸(後の義経)ら幼子3人を守るため、平清盛に服し一條大蔵長成に嫁していたが、夫長成は下は源氏の血筋ながら、今では舞の稽古に専念し、常盤も楊弓という娯楽用の弓矢遊びに夜な夜な興じているという有様

その様子に業を煮やした源氏縁の吉岡鬼次郎らが常盤御前に奮起をうながそう、というのがこの物語の発端である。
そして鬼次郎がさんざんに常盤に悪口雑言は吐いた上に、常盤の楊弓で彼女を打ち据えるいう家来筋としてはあり得ない行動に出たところ、常盤が実はこの遊びも憎い清盛をいつの日にか滅ぼさんとする思いを表しているのだ、と本心を告げる

続いて大蔵卿も現れ、平家方の輩をいきなり切りつけ、普段は「作り阿呆」として平家からの無理難題をかわしつつ、実は内心では伊豆の頼朝や義経らの蜂起を期待しつつ、いろいろと策を巡らしていたことが明らかになる

毅然として平家方の武士を切り殺し、挙句は生首までとって膝に抱える勇猛さと威厳を現しながら、瞬時に弛緩してポカンと口をあけた「阿呆」の姿に変わってひょうきんな所作に入る、という大蔵卿は、なかなか難しい役どころである

この点A班の吉右衛門門下の中村東志二郎(としじろう)の演技が光っていた

また、源氏縁に鬼次郎をA班で演じた市川猿琉(猿之助門下)もいかにも歌舞伎における二枚目武士にふさわしい輪郭、体躯、所作などなかなか将来が楽しみな演技であった

最後の「戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)」はA班だけを観たが、これもなかなか素晴らしい舞台だった。市川新十郎の浪花の次郎作、市川升一の与四郎は若手の中でも十分な風格を感じさせる所作・台詞回し。

そこに、先にA班、化粧坂の少将を勤めた中村京由(芝雀門下)の禿たよりが加わるのだが、これがまたみずみずしい美しさだ。もちろん、DVDなどで散々に玉三郎や菊之助の美しさを見慣れていると、まだまだ所作に堅さが目立つ。顔は本物の若い女性以上に女だが、身のこなしはまだまだ少年という感じか

それにしても小劇場という限られた空間で研修生らの発表会ということで、舞台装置や衣装なども、本公演に比べて簡略化されたものが使われるものと、やや、期待を下げて見に行ったものの、全てが本格的で何より若手の力のこもった演技に想像以上の感動を得ることができた

これらの中から将来歌舞伎会をしょって立つような俳優が出てくれば素晴らしいと思う

歌舞伎 「壽曽我対面」 第一巻1月夜の部Disc4

歌舞伎座「さよなら公演」のDVDで「壽曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」を改めてじっくりと観た

頼朝が平家を討って鎌倉に幕府を開く少し前、つまり平安時代の末期に伊豆で工藤祐経(くどうすけつね)に実父である河津三郎祐康(かわづさぶろうすけやす)に殺された幼い兄弟が、18年後に将軍となった頼朝が催す「巻き狩」の最中に見事仇討ちをを果たす(1193年5月28日)、というのが「曽我兄弟の仇討ち」である

⇒ 曽我物語のあらすじはこちらへ

兄弟の十郎祐成(すけなり)は父親が殺されたときには5歳、五郎時致(ときむね)はわずか3歳であった。河津三郎が殺されたのち、ふたりの母親は相模の曽我祐信に嫁いだため、ふたりは曽我性を名乗っている。

そしてこの仇討ちの物語が広く全国に知れ渡り、また、兄弟のうち特に勇ましかった「五郎」が「御霊(ごりょう)」に通じることもあって、仇討ち成就を称えるとともに、神の業としてほとんど「信仰」の対象にすらなっていた。

歌舞伎では江戸時代の享保年間からはこのおめでたい「曽我物」の演目を正月に吉例として必ず上演するという習慣が生まれた。

先般の歌舞伎座さよなら公演でも、古式にのっとり平成21年1月には「壽曽我対面」が上演されたというわけだ。

五郎時致が吉右衛門、十郎祐成が菊五郎、遊女化粧坂の少将に菊之助、大磯の虎が芝雀、そして工藤に幸四郎という豪華キャストだ

この十郎・五郎の兄弟もいまや揃って人間国宝。 吉右衛門ファンの自分にとっても嬉しい舞台の記録である

いずれにしても 長唄「(五郎)時致」を唯一の持ちネタとしている小生にとっては縁の深い演目である。

ちなみに近々、ひょっとしたら国立で「生対面」が観られるかもしれない

蕎麦 中目黒 「匠」

久しぶりにお邪魔した。 この店は「へぎそば」の店だ

「へぎ」は写真でみられるような蕎麦を盛ってある「箱」のことを言うのだが、これが山形だと「板」となる
緑がかったこの蕎麦は「布海苔(ふのり)」をつなぎに使って打つために、独特のコシと弾力性が特徴だ。

お酒を飲んだ後にはこのさわやかな口当たりがなんとも清々しい。

匠 へぎ

ということで、普通はこれ ↑ を食べるのだが、那須の上川の里で食べた鴨せいろがきっかけで最近はあちこちの鴨せいろを食べている

匠 鴨せいろ

へぎそばと鴨汁、これもまずますの組み合わせ
とは言うものの、那須の上川の里は別格として、東京では新橋「本陣房」系のお店で供される「柚子切り」を使った鴨せいろがお勧めだ

中目黒「匠」の詳細データはこちら

長唄 「二人椀久」 + 常磐津 「雷船頭」

国立劇場の「花形名作舞踊鑑賞会」で長唄 「二人椀久(ににんわんきゅう)」を観た

名作舞踊鑑賞会_small

花柳寿楽(はなやぎじゅらく)の椀屋久兵衛(わんやきゅうべい)、中村梅彌(うめや)の傾城松山という豪華な組み合わせ
長唄は四挺四枚(三味線4挺に唄方4人)に加えて、お囃子も5人と豪華な仕立て!

松山太夫に色狂いした挙句、座敷牢に閉じ込められていた椀久が大阪の町に彷徨いだす
そこに松山の幻が現れ、二人の舞が妖しく交錯する

舞踊の美しさをどう表現すればいいのか、自分には適切な言葉が思い浮かばないが、これほど感動した舞踊の舞台は初めてだった。しなやかで、時に妖しくときに哀愁に満ちた体や手のしなやかな動き

着物や舞台背景の美しさ。そしてこれぞプロの演奏、プロの楽器としかいいようのない美しい長唄の響き

終盤近くに松山が再び舞台背景に幻想的に消えて、舞台に独り残された椀久の喪失感。思わず涙が出そうになった

坂東流の舞踊家でテニス仲間でもある友人が昨年に解体間近の歌舞伎座で「二人椀久」を躍った(友人は椀久役)
前年の秋、文楽鑑賞ツアーを企画して大阪の国立文楽劇場にみんなで行った折に、彼女らの公演の成功を祈るために
上本町(天王寺区)にある實相寺に実在する椀久・松山のお墓を訪ねた

椀久・松山

左は椀屋久右衛門(物語では久兵衛)、右が遊女松山のお墓。

因みにみんなで見た文楽は「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ」と「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)

さて、名作鑑賞会では椀久の前に常磐津の「雷船頭」と清元「隆盛」が出た

元来、清元は余り好きではないのだが、今日の清元美寿太夫(よしじゅだゆう)はとても良かった
五條詠佳(ごじょうえいか)の流星、というか、雷親子三人と婆雷を一人4役で踊り分けるのも見事だった

その次の常磐津もともて良かった
そして何より藤間清継の女船頭が超色っぽくてゾクゾクした

司会の市山松扇(いちやましょうせん)が「言われなければ、男とは気がつかないかもしれない」と説明してくれたが、本当にそうだった。言われても男だとは思えなかった・・・。

流星も雷船頭もまさに真夏のこの時期にふさわしい涼感溢れる出し物で心から楽しめた
そして、最後に幻想的な二人椀久。 三味線弾きにとっては聞きしに勝る難曲ぶりを今日も間近に聞いたが、いずれは弾いてみたい曲だ

昔の女を夢に見る椀久、昔の男、安珍を捜し求めて白拍子の姿となって道成寺の鐘を再び訪ねてくる清姫
どこか曲想に相通じるものを感じたが、この感覚を生かせる日がいつかくることを祈りつつ、国立を後にした

蕎麦 新橋 「ときそば」 + 落語「時そば」

新橋から御成門の方角に向かって歩いていくと、途中に整備が進むマッカサー通りの工事現場に必ずどこかでぶつかる
それを越えると同じ新橋でも通りが少し静かになってくるが、ここまで来ると困ったことにどの路地も同じように見えてくる

そんな分かりにくい路地の一角になかなかの手打ちそばを食べさせてくれる蕎麦屋が確かあったはずだ

なんども迷いながら、記憶を辿って来てみたらやっぱり蕎麦屋があった。 「ときそば」と書いてある
でも「手打ち」とはどこにも書いてない

ときそば

まあ、いいか・・・ それに「ときそば」と言えば確かに落語のネタのひとつにあったような・・・

そう思いながら暖簾をくぐったら 「あ、やっぱりここだ、前に来たことがある!」 

まあ居抜きで次のお店が入ったんだな・・・と思いつつ、以前も座ったことのある置くのテーブル席に座った

そうするとなんだかBGMのような人の話し声のようなものが邪魔にならない程度に聞こえてくる
ははは~ん、落語のDVDかCDがかかってるな・・・。 それで「ときそば」かぁ

前置きが長くなったが、結論は久しぶりにいいお店に出会えた、って感じである

お酒もそこそに充実しているが、酒肴もなかなかいける

写真の出汁巻きは卵の数を選べるのだが(因みにこれは2個。2個で十分)、この「卵焼き」は絶品である
甘過ぎず、塩っぱ過ぎず、淡白すぎず、濃厚過ぎず

酒のツマミとしての卵焼きとしてはこれ以上の味のバランスはない
そして食べる人の好みで、添えてある大根おろしに醤油をたらして味を調整できるギリギリ最低の線が確保されている

ときそば_出汁巻き ときそば_そばがき

蕎麦掻きは通常はお湯に浸かって出しているそうだが、あえて掻きっぱなしで出してもらった
これもフワフワで蕎麦の甘みが横溢した最高の一品!

ときそば_鴨せいろ

仕上げの蕎麦は鴨せいろがお勧め。鴨の油とネギの織り成すハーモニーがたまらない。

ときそば_麺アップ

そして肝心の蕎麦だが、見よ、この美しい麺肌を!!
細打ちをたのむ限りは間違いない。蕎麦の香り、コシ、エッジ感、全て申し分ない

あえて言うなら、ここまでの蕎麦を出す上は、つゆはもっとかつを出汁を抑えて、返しのコクで麺にグッとからみつくような「強いつゆ」にすべきだ

そうでなければダシ汁の風味の主張とぶつかって、せっかくの蕎麦の風味が十分に生かせないことになるからだ

とは言え、この店は酒肴と旨酒で十分に2時間楽しめる素晴らしい空間だ。 ぜひ大事にしたいものだ、

新橋「ときそば」の詳細はこちら

さて、落語の方だが改めて柳家小さん師匠の「時そば」をCDで聞いてみた
最後の代金をごまかす(ごまかせない)オチもさることながら、そこにいたるまでのやりとりがなんとも面白い

夜鳴きそば、夜鷹そばの江戸の風物が目の前に浮かんでくる

落語の「時そば」はこちら

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