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友人の勧めで文楽を観たことがきっかけで伝統芸能に目覚めました。歌舞伎や能もよく観ます。とりわけ三味線の魅力にとりつかれ長唄を習い始めました。

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歌舞伎俳優 片岡松之丞 @ NPO 「和塾」

本物の日本文化を学ぶ学校と銘打つ「和塾」の「お稽古」と呼ばれる会に参加する機会を得た。
この日の講師は歌舞伎役者の片岡松之丞さん。

松之丞さんは女形を演じる「おやま」で、舞台では高貴なお姫様に仕える腰元や寺社門前の茶屋の女将さんのような脇役を演じることの多い中堅俳優さんだ。

まず何より感心したのは松之丞さんのしゃべり方や座り方。
講師としてお話になる時は既に「女性」を演じていらっしゃるのかもしれないが、それにしても物腰、言葉使いがごく自然に女性的だ。

長い芸歴に支えられたお芝居の要諦や衣装としての着物の扱いから始まり、師匠である十三代目片岡仁左衛門の「舞台では絶対に笑い顔をみせるな!」というような教え、坂東玉三郎との交遊歴など興味深いお話が続いた。

その松之丞さんが「おみやげ」として下さったのがコレ。

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その日千秋楽だった新橋演舞場での五月大歌舞伎、夜の部でかかっていた「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」という狂言の中で、花魁(おいらん)八ツ橋が情夫・繁山栄之丞に宛てた手紙である。

もちろん客席からは何が書いてあるか分かるわけもないが、それでも毎回毎回きちんと小道具としての手紙が手書きされるのだそうだ。確かに最後に八橋の名前が見える。

ちなみに会場となったのは銀座中央通りに面した和装小物のお店「くのや(久野屋)」の4階にある和室だ。ちょうど松坂屋の向かい辺りになる。 → くのや のHPはこちら

和塾_small
<写真は松之丞さんのお話が終わって、みんなで後片付けをしているところ>

ちなみに当日、歌舞伎音楽としての浄瑠璃のひとつ、常磐津節の太夫である 常磐津兼太夫(ときわづかねたゆう)が参加された。
兼太夫は人間国宝である常磐津一巴太夫(いちはだゆう)の息子さんだそうで、近々和塾で太夫のご指導でお稽古があるそうだ。

5月27日(金)放送の教育テレビ、花鳥風月堂の後半で常磐津が紹介されたが、そこで語っていたのまさにこの人、兼太夫だったのにはびっくりした。

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文楽 英大夫 昼夜の大活躍

文楽五月公演の第一部は竹本源大夫と鶴澤藤蔵の襲名披露公演でもある。

しかし九代目源大夫は今般体調振るわず、連日、代役として豊竹英大夫(とよたけはなぶさたゆう)が「源平布引滝」の切り場「実盛物語の段(さねもりものがたり)」を熱演している。日によっては源大夫が1/3ぐらいを語った後、英さんがやったり、あるいは、最初から全部英さんが引受ける日もある。
源大夫の襲名披露公演の一番の見せ場である「切り場」をほぼ丸々語るのだから、英さんの気合の入り方も並大抵ではない。

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<左から太郎吉改め手塚太郎光盛、瀬尾十郎、斎藤実盛。「源平布引滝」プログラムから>

おまけにすぐ後の第二部では「絵本太功記」の「尼ヶ崎の段」を語るのだから、もうこれはご苦労様と申し上げるしかない。
先日、そんな大夫をねぎらおうと文楽仲間とちょっとした差し入れを持って楽屋にお邪魔した。

お返しにと大阪 こんぶ「土居」の「御上がり昆布」をいただいてしまった。 英大夫、ありがとうございます!

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ヨッ、英大夫!待ってました!

蕎麦 那須 「上川の里」 と 「小椋」

ゴールデンウィークに那須にある友人の別荘にお邪魔した

五月とは言え那須高原はまだ肌寒く、地震にもびくともしなかった薪ストーブのぬくもりが心地よかった。
そのストーブの前で友人たちは気持ちよさそうにじゃれ合っていた。
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さてその友人を急きたて、近くの蕎麦屋に案内してもらった。

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<「上川の里」 石臼挽きの自家製粉。 田舎とせいろの二色もり>
写真のような田舎とせいろの二色盛りをいただいた。蕎麦は風味ゆたかで、しっかりとしたコシ。つゆもガツンと麺に絡む力強さ。 さらしな(しらゆき)もあったが、売り切れで食べそびれてしまった。
詳しい情報はこちらへ

友人宅には一泊しかできなかったので、もうひとつお勧めの蕎麦屋へ「はしご」させてもらった。

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それがここ「小椋」。お店の写真はないのだが、店内は天井の高い板の間で、贅沢な空間でいただく蕎麦はまた格別。さっきのお店で二色もりをいただいたので、こちらのお店では敢えて「かけ」の一本勝負、と思ったがつい誘惑にまけて「少し天ぷら」とやらを頼んでしまった。来てみると「少し」どころか十分なボリューム。カラッと揚がって味も素晴らしい。
石臼挽き自家製粉 手打ち「小椋」の詳しい情報はこちら

「かけ」は予想にたがわず最高の出来。熱汁でも全くへこたれないコシのある麺。かつおだしが丁寧にとられたお汁。天ぷらだけでなく、蕎麦のお汁も最後の一滴まで完食。もうこれで完全にお腹一杯。すっかり眠くなってしまった・・・

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紀州 「道成寺」 と 安珍清姫伝説

ゴールデンウィークに和歌山の「道成寺」を訪ねた。

道明寺・境内

能に始まり文楽、歌舞伎など様々な分野で取り上げられるこの紀州の古刹はどんなところか一度見てみたかった。

お寺の境内の様子は、当ブログの中で写真集として記事にしておいた。

さて、道成寺と言えば「安珍・清姫の物語」である。もともとは説話として既に成立したいたが、形として一定の完成をみたのは「道成寺縁起絵巻」であろう。

お寺で買い求めた絵巻の絵葉書からいくつかのシーンを紹介しよう。当世、横書きなので物語も左から右へと写真を配しているもの、実際の絵巻は左から右で巻き取っていくので、お話自体は右から左に進行していく。(意味不明?)

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安珍に裏切られたことを知った清姫は安珍を追っかけるうちに嫉妬と怒りでだんだんと蛇の姿に。そして日高川を渡るときにはもう完全に蛇体と化していた。
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一方、一足先に渡し舟で日高川を渡った安珍は近くの道成寺に逃げ込みかくまってくれるように頼む。そしてお寺の鐘の中に隠れることに。しかし、安珍が鐘の中に隠れたことを知った清姫は鐘にトグロを巻いて焼き殺してしまう。そして、自身は絶望の余り日高川に飛びこんで果ててしまう。
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だいたい安珍・清姫のお話というとここまでだと思われがちだが、実際はさらに後日談がある。つまり、来世ではなんとか夫婦になったものの、経緯が経緯だけになかなか成仏できずに「蛇(邪)道」に迷っていた二人が道成寺の知事(住職のこと)の夢に現れ、供養してもらうように頼む。
二人を不憫に思った知事は一山の僧侶を呼び集め、熱心に弔った。その甲斐あって二人は蛇道の苦を脱し成仏することができたことを、知事にお礼にやってくる・・・、というハッピーエンドなのである。

(続く)

文楽「生写朝顔話」

先週に続き国立劇場で文楽5月公演

今日は午後4時からの夜の部で、「絵本太功記(えほんたいこうき)」の後に、お目当ての「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)」がかかる。

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朝顔話は一昨年の夏に大阪・国立文楽劇場で初めて観て大いに感動したので、今回も楽しみであった。

写真は大阪公演のプログラムの口絵だが、左が宮城阿曽次郎こと駒澤次郎左衛門、右が恋人阿曽次郎を追い求め一旦は視力を失うことになるヒロイン深雪(みゆき)である。

話の筋は大阪公演の直後に旧・風姿探訪に書いた記事に詳しいのでそれを最後に転載する

今回は「明石浦船別れの段」と「宿屋の段」そして「大井川の段」だけの上演であるため、深雪と阿曽次郎のそもそもの出会いやその後の深雪の艱難辛苦が十分に描かれていないため、盲目の深雪が阿曽次郎の前で筝を弾じるシーンの哀愁が十分に伝わったとは言えなかった。

今回も蓑助が遣う深雪が鶴沢寛太郎(鶴沢寛治の孫)の奏でる筝の音に合わせて、実際に人形が弾いてるように思えたものの、嶋大夫の深雪の唄はいまひとつ情感に欠けた気がした。

(でも調べてみると大阪公演でもやはり浄瑠璃は嶋さんだった。とするとやはり通しでないから盛り上がりに欠けたのか・・・)

それにひきかえ豊竹呂勢大夫と鶴澤清志郎の大井川は素晴らしかった。呂勢大夫の天性の美声と声量が大いに生かされた場面で5月公演の最後を飾るにふさわしい舞台であった。

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ところで外題の「朝顔」は深雪が初めて阿曽次郎に出会った際に、阿曽次郎が深雪の差し出した朝顔を描いた扇に見事な筆跡で
「露のひぬ間の朝顔を 照らす日かげのつれなきに あはれひと村雨の はらはらと降れかし」
いう歌を書いて与えたことに由来する、のだろうか?

以下は一昨年の大阪公演の後に書いた記事の再掲である。

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<大阪日本橋・国立文楽劇場>

大阪・日本橋の国立文楽劇場で「生写朝顔話」を観た。文楽の本場、大阪での観劇は4月の通し狂言「義経千本桜」以来である。宇治川での蛍狩りの折に出会った中国大内家の家臣、宮城阿曽次郎に恋焦がれる武家の娘、深雪の数奇な運命が描かれる。全編に運命に翻弄され阿曽次郎との再会を果たせない深雪(蓑助)の艱難辛苦を綱大夫、津駒大夫らが語り継いでいくが、「嶋田宿笑い薬の段」は住大夫が「ようまあ演技としての語りやのにあそこまで上手に笑いはるわ~」と感心させられる「大笑い声」で悲劇的なストーリー展開に一息つかせてくれる。(錦糸の太棹に合わせて、床の後ろで細棹のツレを弾いていたのは誰だか自分の席からは見えなかった・・)。
 そしていよいよ盲目となった深雪が阿曽次郎の前でそれと気づかぬままに琴を奏でながら「露のひぬ間の朝顔を・・・」と唄う「宿屋の段」の切り場となる。浄瑠璃・嶋大夫、三味線富助の名手に加え、普段、若手・中堅の一角として三味線を持つ鶴澤清丈が深雪の琴を弾く。今は落ちぶれた深雪の哀れを誘う風情と奏でる琴の美しい調べ。それをじっと聞き入る阿曽次郎。舞台の人形と床の大夫・三味線・琴の芸と芸が一体となって、蓑助が遣う深雪がまるで本当に琴を弾いているかに思える幻想的で叙情溢れる場面。図らずも涙が止まらなかった。この段だけでも遥々「朝顔話」を観にきた甲斐があったというものだ。そして英大夫が語る「大井川の段」で深雪が阿曽次郎と彼女を育てた乳母浅香の恩愛によって奇跡的に視力を取り戻すところでこの物語は終わる。
 文楽を観るようになってまだ1年たらず、「朝顔」は文楽独自の人形・大夫・三味線の三業をあたかも一体のものとして表現し、それらの芸の単純な足し算を遥かに超える官能的な美の世界を見せてくれたと言う意味でこれまで拝見した中で最高の舞台だった。

 文楽発祥の地、大阪に国立の文楽劇場が建てられて今年で25周年。それを記念する夏休み特別公演のサマー・レイト・ショーは憧れの鶴澤清治が作曲した「天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)」(シェークスピア作「テンペスト」より)。朝顔の余韻のまま定式幕の引かれた舞台を前にそのまま座っていたい誘惑に駆られたが、道頓堀の食倒れも捨てがたく、9月の東京での公演までのお預けとして夕方の風が涼しく感じられる日本橋を後にした。
(平成21年7月)

蕎麦 九段南「大川や」

文楽の後、国立劇場のある半蔵門からほど近い、九段南「大川や」に文楽仲間の石川連中(いしかわれんじゅう)の面々と繰り出した。

大川屋

以前から美味しいお店だとは知っていたが、ほぼ一年ぶりに伺ってみて、やはり麺の完成度の高さは相当なものだ。切り幅は「切りべら二十三」よりはやや細めだが、決して細すぎることはない。しっかりとした蕎麦の風味が香しい。

惜しむらくはつゆがやや出汁先行でこのクォリティの麺だと、どうしても負けてしまう。もう少し思い切って「返し」で勝負したらどうかと思う。

こういう汁の場合、かけ汁が美味しいケースが多いので、仲間がたじろぐ中「かけ」をお代わり。はやり見込んだとおりかけ汁は絶品。熱でもしっかりとしたコシを保つ麺と絶妙の相性。思わず最後の一滴まで飲み干し完食!

酒肴も旨酒も充実しているが、「そばがき」は掻きっぱなしでもなく、お湯につかるでもなく、中途半端な感じ。これだけの蕎麦粉なら粗挽き粉でざっくり感と香ばしさを前面に出した掻きっぱなしが一番だと思うがいかが。

とは言え、落ち着いた店内、しっかりとした意思を感じさせるご主人といい、美味しい酒肴とお酒を楽しんだ後、至高の蕎麦を堪能するには最高のお店のひとつと思う。

次回は英大夫をお連れすることに、全員で一致。

文楽の後の充実したひとときであった

お店の詳細データはこちらへ

文楽「壷坂霊験記」 - 奈良 壷阪寺 

文楽や歌舞伎の演目としてしばしば登場する「壷坂霊験記」にゆかりの奈良、高取の壷阪寺を訪ねた。
先日の妹背山往訪のときと同じく、吉野の千本桜を見に行く途中でたまたま道標に「壷阪寺」とあるのを見つけたのがきっかけだ。

壷坂寺

見てのとおり、立派なお堂が立ち並び隆々たる寺勢を誇る寺である。ご本尊の十一面千手観世大菩薩で眼病封じに霊験あらたかとのこと。
境内には目の不自由な高齢者のための老人ホームも併設されている。

実は小生自身は「霊験紀」の舞台を見たことはない。昨年であったか大阪の国立文楽劇場にかかったのを友人が見たという話を聞いて以来、気にはなっていた。それがふとしたご縁で先に物語の「現場」に先に伺うこととなった。

霊験紀のあらすじは ↓ のとおりである

壷坂霊験記_small

文楽「妹背山婦女庭訓」の舞台を訪ねて

既に書いたように「千本桜」で名高い吉野を訪れた帰りに「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」の通称「山の段(正式には妹山背山の段)」の舞台を訪れた

背山 吉野川 妹山

左が「背山」、右が「妹山」、両者の間を流れるのが「吉野川」

川は手前から奥に向かって流れている

「婦女庭訓」の「山の段」の設定で言うと言うと、ちょうど手前の舞台から奥の客席を見るような感じだ

昨年4月に吉田蓑助(よしだみのすけ)の文化功労者顕彰記念として大阪の国立文楽劇場に「婦女庭訓」がかかった

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この時の「山の段」舞台では、実際この写真の配列とは逆に、向かって右が「大判事清澄」とその子「久我之助」の居宅がある「背山」、左に「後室定高」のとその娘、雛鳥(蓑助)が居る「妹山」であった (つまり現場を忠実に再現していた)

ご覧のとおり吉野川の川幅だけでもタップリ100メートルはあるから、両山の距離はどんなに短く見積もっても200メートルはある

とは言え、今とは違い車などの騒音が無い時代、耳を澄ませば相手の屋敷からの大声ぐらいは聞こえたかもしれない

いや、聞こえても、見えても、不思議なないぐらいに、妹山と背山は文字通り向かい合わせに聳えているのである

吉野川沿いに国道169号線が走っているが、車から見ると、実は両岸にそれっぽい山が幾らでも続く

なかなか妹背山を特定できずにいたが、地元の吉野製材組合の詰所の方に伺ってようやく場所が分かった次第

そして、右の写真で分かるように背山から真っ直ぐに妹山に架かっている橋の名は・・・ そう、もちろん「妹背橋」

あ~、なんという感慨!

大名持人神社 大名持人神社縁起

やはり山の姿としては「妹山」の女性的な曲線が美しい

その上、妹山の麓には「大名持神社(おおなもちじんじゃ)」という由緒ある神社が祀られ、妹山一帯は「妹山樹叢」(つまり様々な草木が生い茂っている場所)として天然記念物に指定されている

天候に恵まれたこの時の景色を思い出しながら観る、次の舞台が楽しみだ

文楽五月公演 「源平布引滝」

皐月晴れの土曜日、待ちに待った文楽五月公演の第一部を観た

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演目は「源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)」と世話物の「傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)」であるが、同時に浄瑠璃の竹本綱大夫(人間国宝)が九代目竹本源大夫を襲名、その息子で三味線の鶴澤清二郎が二代目鶴澤藤蔵を襲名する襲名披露を兼ねている
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源平布引滝は平治の乱の後、平家の勢いが盛んなる時期に源義仲の誕生を巡る逸話が題材だが、源平それぞれに縁のある人々の義理と人情が複雑に交差するドラマである。物語のあらすじと配役は、いつものように本公演のチラシの裏にまとめてある。
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あらすじからも分かるように、この物語は琵琶湖やその周辺の地域が舞台となっている
中でも平宗盛が清盛の名代として竹生島に参詣する途中の出来事を語る「竹生島遊覧の段」では煌びやかな平家の公達のあり様や当時の竹生島信仰の盛んな様子が窺がえる

また最後の糸つむぎの段以降は「手孕村(てはらみむら)」で繰り広げられるのだが、女が人間の「腕(かいな)」を産むというちょっとオカルトめいた話にちなんだ「手孕」という地名は最近までは「手原村」として残り、現在は滋賀県の栗東市に合併されているようだ

そう、琵琶湖周辺といえば近江の国、そして、近江の国と言えば白洲正子の一連の紀行が思い起こされる。
ちなみについ先日まで世田谷美術館で開かれていた「白洲正子展」も興味深かった。近江もはずせないスポットとしてこれから注目していきたい

さて公演に話を戻すと小生にとっての見所は「竹生島遊覧の段」で三味線を弾いた鶴澤清治の演奏と、九代目源大夫を襲名するも体調が思わしくない綱大夫の代役として切り場を語った英大夫の好演だ

清治さんは相変わらず切っ先鋭い撥捌きと正確無比な左手の指使いから奏でられる緊張感あふれる演奏で、人形も大夫もそっちのけ。ずっとオペラグラスで三味線だけを見ていた

襲名披露の口上は住大夫さん、祝言挨拶は鶴澤寛治と藤蔵の直接の師匠である清治さんが勤めたが、清治さんのざっくばらんな語り口が面白かった

二つ目の出し物の「傾城恋飛脚」は新口村(にのくちむら)の段だけの上演で、ちょっと物足りない感じは否めなかった

また国立劇場小劇場のホールでは震災の義援金の呼びかけも行われていた

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人形を操るのが吉田和生(よしだかずお)さん、その右が今人気の人形遣い桐竹勘十郎(きりたけかんじゅうろう)さんだ

蕎麦 八王子「車家」

文楽公演の後、美味しいお蕎麦と酒にありつくため、連れと遥々八王子まで出向いた

目指したのは「車家」 京王堀之内駅からタクシーで約5分

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おぼろ豆腐、鴨ロースも美味しいが蕎麦掻きや出し巻きといった定番料理も絶品

そして最後はお決まりの「せいろ」の一本勝負  そもそも福島県から移築されたという堂々たる店舗同様、十年前に初めて伺った時から変わらぬシャープな味だ

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引き続き「蕎麦」「つゆ」ともに都内・都下において屈指の名店であるだけでなく、旨酒に季節感溢れる酒肴といい、十分な時間をかけて楽しみたいお店である

=>お店のホームページはこちらから

*写真は全て2000年前後に最初に伺ったときのもの。写真の板の間には現在では大きなテーブル席がしつらえてある
*十年前の小生のコメントは拙ページ「蕎麦三昧」をご笑覧のこと


「葛の葉姫」の故郷を訪ねて -信太の森と葛葉稲荷

ひょんな偶然から文楽の人気演目「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」の舞台のひとつである「信田の森(しのだのもり)」を訪ねる機会を得た

信太の森鏡池 信太の森

平安時代、宮中での政争に巻き込まれた安部保名(あべのやすな)は信田の森で悪人に追われた狐を助けた

その狐が、非業の死をとげた保名の許婚に瓜二つの妹、「葛の葉姫」に化けて保名の窮地を救う

そして落ち延びた二人の間には可愛い男の子が生まれる

しかしその子が五歳になったころ、ついに狐の正体が本当の葛の葉姫とその両親によって明らかにされてしまう

わが出自を呪いながらも、狐は子供と保名を残して生まれ故郷の信田の森へと一人帰って行く

後には障子に「恋しくば 訪ねきてみよ 和泉なる 信田の森の うらみ葛の葉」という一首が残されていた

人と人以外のものが夫婦となる「異種婚姻譚」の代表作だが、美しい葛の葉姫とあどけない子供の別れの場面と狐がひとり蘭菊が咲く野原を信田の森にとぼとぼと帰っていく「蘭菊の乱れ」のシーンには思わず涙がこみ上げる

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そしてこの安部保名と葛の葉狐の間に生まれた男の子こそが、あのスーパー陰陽師 安部清明 なのである

彼は様々な妖術を使い人々を驚かせたというが、人間とキツネの子ならそれも尤もなこととつい納得、とは行かないか・・・

ところで映画「陰陽師」で安部清明を演じたのは狂言界の若手スター、野村万斎だった

(ここから、能・狂言の話題に飛びたいところだが、それはまた後日のお楽しみ)

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さて、このゴールデンウィークに愛車「プリウス」を駆って奈良・和歌山を訪れた

いつものことながら事前の計画もなしに、突然思い立って日曜日の午後に出発したのはいいが、どうしても3日の夜だけが奈良にも和歌山にもホテルがとれない

困って「じゃらん」を調べていると、奈良と和歌山の中間点ということで大阪府南部の「弥生の里温泉」という宿が見つかった

南紀の道成寺を訪ねた後、「弥生の里」についてみると、これがなんとスーパー銭湯に併設された宿泊施設だということが分かったが、これが随分と立派なビルで、部屋もとても綺麗

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そして、ナビを頼りに「弥生の里」を探していると最寄駅は「信太山駅」、着いてみるとそこは「大阪府”和泉”市」だったが、でもそれでもまだ鈍い小生はピンと来なかった

ところが部屋に入ると和泉市役所が作っている「和泉市の歴史散歩マップ」が置いてある

「和泉市のスーパー銭湯で歴史って言われてもねぇ・・」と正直馬鹿にしながら開いてみると・・、なんと宿からすぐのところに「葛の葉姫伝説」縁の葛の葉神社がある、と書いてある

おまけに少し車で行ったところには「信田の森の鏡池」まであるではないか!!

温泉にゆっくり浸かった翌日、早出してまずは「葛葉稲荷神社」に・・・

葛葉稲荷神社_small 葛の葉神社境内 神社本殿

とまあ、見てのとおり随分と立派なお社と境内である。 そして・・・

葛の葉伝説碑2 葛の葉伝説碑

さらにこんなに分かり易いものまで・・・

葛の葉姫 葛葉神社縁起_small

和泉市産業観光振興会に心から敬意と謝意を表したい

そして次に訪ねたのは、冒頭の写真にある信太の森の面影を今にとどめる「鏡池」だ

信太の森鏡池 信太の森鏡池2 信太の森鏡池縁起

ここにも葛の葉伝説に関する丁寧な説明がある

写真では分からないが、今やこの辺りは一面団地が立ち並ぶ住宅地に変わってしまっている

それでもなお、この鏡池とその後ろに広がる鬱蒼とした森は往時の信太の森を髣髴とさせ、葛の葉に化けた白狐の姿が偲ばれる

義経千本桜の舞台 - 奈良・吉野 -

吉野山下千本3 吉野山下千本2
<桜のシーズンは終わってしまったが・・>

歌舞伎や文楽の人気狂言の定番「義経千本桜」の中で義経の愛妾、静御前と佐藤忠信(実はキツネ)が義経を追って満開の桜の中を旅する四段目「道行初音旅」の舞台となった吉野山を訪ねた。
5月の連休だったため、見ての通りほとんどが青々とした葉桜だったが、一部ピンク色も残っていた。
吉野のさくらは北側から下千本、中千本、奥千本と順に桜が咲いていくのだが、写真は下千本のものである。
桜は散ってしまったが、緑眩しい吉野の山々を見るだけでも清々とした命の息吹と紀伊半島の山々がもつ何とも言えない神聖な雰囲気は十分に伝わってきた。

下千本辺りには約1300年前に役行者(えんのぎょうじゃ)が開いたと伝わる金峯山寺(きんぷせんじ)という修験道のメッカがある。その本堂たる蔵王堂(国宝)の大きな屋根が、吉水神社の方から遠くに見えた。

金峯山寺蔵王堂 金峯山寺蔵王堂


吉水神社も金峯山寺と並んで世界遺産(吉野山一帯が世界遺産に指定されていると思う)に指定されている。南北朝時代に後醍醐天皇の御座所となったとも義経と静御前が潜伏したとも言われているが、正直「?」って印象であった。

吉水神社

とは言え「源義経所持」とされるこんな物が置いてあったり、「弁慶思案の間」なんて部屋があると「ここも千本桜ゆかりの場所だ!」と思えてくる、かな・・・?

吉水神社 義経の鎧

ところで、吉野山の麓には「吉野川」が流れている。(この川の正式名称は「紀の川」であり、河口のある和歌山県ではそう呼ばれている。本当の「吉野川」は四国の高知・徳島を流れるこれまた有名な川である)

そして、吉野山への参道入り口から吉野川沿いに数キロ行ったところに、昨年、吉田蓑助さんの文化功労者顕彰記念として出された「妹背山女庭訓」の舞台である妹山と背山が文字通り吉野川を挟んで対峙しているのだった。

吉野材木組合の方の協力を得て撮影した妹背山の姿ともうひとつの定番狂言「壷坂霊験記」の舞台、壷坂寺は次回のお楽しみにしておきたい。

天衣紛上野初花 河内山 と 秋の色種

歌舞伎「天衣紛上野初花 河内山(くもにまごううえののはつはな こうちやま)」を「歌舞伎座さよなら公演(九月の昼の部)」のDVDで見ていた

しっかりとまだ観ていないのだが、ひとつだけ嬉しい発見があった

小生が好きなもののひとつに「どこか少し離れた座敷からゆっくりとしたテンポで漏れ聞こえてくる三味線の音色」というのがある

幸四郎扮する河内山の台詞の間、バックにゆったりとした三味線の音が聞こえる

(こういう場合、三味線は客席からは見えない場所から、地味な音色を聞かせてくれるものだ)

これが実は長唄の名曲「秋の色種(あきのいろくさ)」の前弾(まえびき)、つまり、前奏だということに気がついた!

しかも前弾全部をやるのではなく、ちょっとテンポの上がる手前まで行くと、また最初に戻るということを繰返しているのだ

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<右の写真の左半分が前弾全体の楽譜>

それから少し後では同じく秋の色種に挿入されている「琴の合方」というテンポの速い三味線の「ソロ」の極サワリのような旋律も聞こえる

河内山の話はあまりよく知らないのだけれど、季節は秋なのだろうか・・ それとも九月公演だからだろうか

実は同じメロディを別の機会に発見したことがある

昨年の大河ドラマ「龍馬伝」で龍馬が切腹してしまった仲間(近藤長次郎)の死を悼んで、長崎の座敷で芸者のお元と酒を飲むシーン(第34回「侍、長次郎」)があった

この時、背景で微かに聞こえた三味線もこの前弾だった

いずれにしても「秋の色種」は20分以上の大曲

でも、前弾は小生も気持ちよく弾ける手がついている

ゆっくり、たっぷりと間を取りながら弾くと、こんなにも情緒が出るんもんなんだ

*この秋色種の前弾は実は全く別の曲から取ってきて、くっつけたものなんだそうだ。江戸時代には「盗作」という概念がなかったのかなぁ・・・。



民謡「黒田節」

最近、少し訳あって民謡の黒田節にハマッている

「黒田節」は福岡藩の武士の間で唄われ舞われてきた「民謡」とされる

そしてその実体は雅楽の越天楽にさまざまな歌詞をつけて唄う「越天楽今様」が基になっているということだ

(こうなってくると今度は「雅楽」とは何か、「越天楽」とは何か、と興味は尽きないがそれはおいおい勉強することにしよう)

いずれにしても福岡藩の藩主は、戦国・安土桃山時代に活躍した黒田孝高(よしたか)、通称黒田官兵衛の長男、長政を初代とする黒田家であるため「黒田藩」とも呼ばれていた

(ちなみに黒田官兵衛は今年の大河ドラマ「江」で柴俊夫が怪演している)

また歌詞の意味を考えればすぐに分かるように「黒田節」は「黒田武士」のことでもある

酒宴で披露されることも多い黒田節の踊りだが、唄・踊りとも充実しているのはこちら↓



歌詞の全文は以下のとおりらしいが、いろいろなバージョンがあるようだ
特に1番は有名だが、2番として「峰の嵐・・」を持ってくるケースも多い

小生が好きな「市丸」の端唄の中に「槍さび - 黒田節入り」というのがあるがそこでもやはり黒田節としてはその2コーラスが挿入されている

三味線とお箏の伴奏もマスターしたいが、できれば踊りを習得して酒宴でこんな風に踊れたら素晴らしいな!

酒は呑め呑め 呑むならば
日の本一のこの槍を
呑みとるほどに 呑むならば
これぞまことの 黒田節(武士)

皇御国(すめらみくに)の
武士(もののふ)は 
いかなる事をか 勤むべし
ただ身に持てる 真心を
君と親とに 尽くすまで

峰の嵐か 松風か
尋ぬる人の 琴の音か
駒引止めて 立ち寄れば
爪音(つまおと)高き
想夫恋(そうぶれん)

君の晴着のお姿を
寿祝う鶴と亀 
松竹梅のよろこびを
幾千代(いくちよ)までも祈るらん

*「想夫恋」の意味についてはこちら

母と観た歌舞伎

今日は母の日だ。

去年の夏、亡くなった母のためにお祈りをしよう

2009年6月の歌舞伎座さよなら公演を母と観た。

仁左衛門の「女殺油地獄」だった。

同じ年にバレー「ドンキホーテ」も見に行った。

お正月には祖母の形見のお箏と小生の三味線で合奏の「フリ」をして写真を撮ったりもしたのに。

その数ヶ月後には急性の白血病であっという間に亡くなってしまった母。

先の震災で親を亡くした子、子を亡くした親。兄弟親戚を亡くした人たちが大勢いらっしゃることだろう。

その人たちの分も併せて今日はお祈りをしよう。

2011年5月 奈良 - 山辺の道

奈良の「山辺の道」を北側の石上神宮(いそのかみじんぐう)から南に向けて歩いた。時間が余りなかったのと室生寺の奥の院までの往復で既に足がパンパンになっていたので、3キロほど歩いたところで今回は車を置いていた石上神宮にもどった。後日改めて歩いてみたい。

山辺の道1_small 永久寺跡縁起_small 山辺の道 永久寺跡 池_small
山辺の道3_small 山辺の道2_small 山辺の道5_small
山辺の道4_small 山辺の道8_small 山辺の道6_small 山辺の道7_small
山辺の道から大和三山を望む
山辺の道から遠くに大和三山を望む

2011年5月 奈良(3) - 室生寺

長谷寺に続いて宇陀の室生寺を訪ねた。こちらはシャクナゲが見頃を迎えていた。

室生寺太鼓橋手前 室生寺太鼓橋_small 室生寺太鼓橋からの眺め
門前の太鼓橋。橋の手前の両脇は「橋本屋」さん。旅館と食堂。太鼓橋からの眺め。山の奥深さが伺える。

室生寺金堂_small 室生寺金堂2 室生寺弥勒堂
金堂(国宝)と弥勒堂

室生寺五重塔 室生寺五重塔2 室生寺五重塔3
五重塔(国宝)

参道奥の院へ 室生寺参道奥の院へ 奥の院から参道
奥の院へ続く険しい階段

とろろ蕎麦@橋本屋(室生寺)_small
奥の院への往復の後、ほっと一息。橋本屋さんでとろろ蕎麦。とろろはモッチリしていて簡単には汁に溶けない。だからこそ、きっちり全部食べることができた。ごちそうさまでした。

2011年5月 奈良(2) - 長谷寺

牡丹祭りの真っ盛りに奈良の長谷寺を訪ねた。
<登廊や堂塔>
長谷寺仁王門 長谷寺登廊 長谷寺登廊2 長谷寺登廊3
長谷寺本堂(国宝) 長谷寺本堂から五重塔を望む 五重塔遠景
長谷寺本堂遠景 長谷寺参道 長谷寺から奈良の山を望む


<咲き乱れる花々>
長谷寺牡丹園_small 長谷寺牡丹_small 長谷寺牡丹2
長谷寺シャクナゲ? シャクナゲ? 紫陽花の一種?_small

長谷寺桜 長谷寺桜2 長谷寺花?_small

2011年5月 大阪 - 信太の森

2011年5月の奈良・和歌山方面への旅行の際に、なかなかGW中で宿がとれなかったので苦し紛れに予約したのが今回の旅とは全く関係のないはずの大阪府・和泉市にある「KSB弥生の里温泉」だった。要するにスーパー銭湯に付帯している宿泊施設だ。とにかく寝られればいいぐらいのつもりで伺ったのだが、これが素晴らしい宿であった。部屋は綺麗だしアメニティも充実。おまけに温泉の露天風呂に入れる。施設内のレストランも充実。
そしてさらに・・・
泊まってみてようやく気がついたのだが、ここ和泉はあの「芦屋道満大内鏡」で葛の葉姫がとぼとぼ帰って行く「和泉なる信太の森」の「和泉」だったのだ。そしてなんと宿からすぐのところに「葛葉稲荷神社」と「信太の森鏡池」があったのだ!!

<葛葉稲荷神社>
葛葉稲荷神社_small 神社本殿 葛の葉神社境内
葛の葉伝説碑2 葛の葉伝説碑
葛の葉姫 葛葉神社縁起_small
たいそう立派なお社を持つお稲荷さまである。また葛の葉姫が夫、阿部保名(あべのやすな)とわが子(のちの阿部晴明)を残して信太の森に去る際に残した歌の碑まであった。

<信太の森(しのだのもり)>
信太の森鏡池 信太の森鏡池2 信太の森
葛の葉姫に姿を変えていたキツネが自分の姿を映してその浅ましさを悟ったとされる鏡池である。確かに背後には鬱蒼とした森が広がっていた。

信太の森鏡池縁起



2011年5月 和歌山 - 日高川・南高梅・紀の川

<日高川>

日高川下流 日高川上流 日高川ゴルフ場
道成寺を訪ねた後、清姫が蛇体となって泳ぎ渡った日高川を見に行った。川幅も広く青々とした綺麗な水が満々と流れていた。さすがにこれでは渡し船でもなければ渡るのは大変だったであろう。

<和歌山県立南部高校>

南部高校_small 南部高校2_small
梅干の高級銘柄「南高梅」を生み出した南部高校(みなべこうこう)に立ち寄った。

<紀の川>

紀の川
奈良の吉野近辺では吉野川と呼ばれる川も和歌山では「紀の川」だ。



2011年5月 和歌山 <道成寺>

2011年5月に和歌山の日高川や御坊・南部辺りを訪ねた
<道成寺>
道成寺仁王門 道成寺仁王門吽形(うんぎょう) 道成寺仁王門阿形(あぎょう)
安珍・清姫の伝説で名高い「道成寺」を訪ねた。まずは参道から見上げた仁王門とお馴染み阿形・吽形の金剛力士像である。

道成寺本堂 道成寺本堂と入相桜 道明寺・境内
続いて本堂と境内の様子である。最近の研究の結果道成寺の伽藍の配置は奈良の法隆寺の左右を反転したものであったらしい。この発見が、このお寺にとっては実は重要な意味を持ってくる。後ほどさらに境内の風景は紹介するとして、このお寺にまつわる「お話」の方に注目してみよう。
道成寺縁起堂 道成寺・縁起堂 道成寺・縁起堂・清姫

仁王門から入って左手に進むと朱の柱が鮮やかな縁起堂がある。この中に靴を脱いで上がるとそこには歌舞伎や能楽における「道成寺」ものの写真パネルがところ狭しと掲げてある。坂東玉三郎の「京鹿子娘道成寺」のDVDまで売っている。しかし、だからといって決して「俗っぽい」或いは「安っぽい」雰囲気はしない。
縁起堂は隣の宝仏殿につながっており、そこには当寺の本尊である千手観世音菩薩、日光・月光菩薩(以上国宝)などをはじめとする数々の仏像が部屋の四方を取り囲むように安置されている(仏像などは撮影禁止⇒道成寺HP)。
これらの仏様に見守られながらお寺の方(お坊様に見受けられなかったので執事の方か・・)から当寺の由来や仏像群に関するお話を伺った。
法話の後は縁起堂(釣鐘がぶら下がっている部屋)に戻って安珍・清姫の絵説き物語りのいよいよ始まりだ。写真では釣鐘の下に見える場所には安珍と清姫の像が祀ってありその右側に横に長い書見台のようなものが見える。この上に「道成寺縁起絵巻」なる「絵巻物」を広げて左から右へ順に巻き取りながらお話を聞かせていただいた。
ちなみに絵説き説法で使われた絵巻はもちろんレプリカ。本物はなんと「白州正子展」で世田谷美術館に来ていた。先日、そちらにも足を運び現物の「道成寺縁起絵巻」も拝見してきた。
要するに紙芝居なのだが、横に横にと話がつながりながら展開していくのがとても新鮮であったし、お話して下さった方もユーモアたっぷりで子供の頃に戻ったような気持ちで聞き入ってしまった。縁起堂内には右のような妖艶な清姫の姿もあった。いい感じですね~、気に入りました。

初代鐘楼跡・入相桜 入相桜解説 安珍塚
安珍・清姫のお話を伺ったら再び境内を散策だ。左は「入相桜」。その云われは真ん中の写真に解説されている。右が安珍と、清姫が焼いてしまった初代の鐘が埋けられた場所にあるとされてきた「安珍塚」なのだが、実は、道成寺が法隆寺と同じながら左右が正反対の配置であったことが分かったことによって、初代の鐘楼が実はこの「入相桜」がある場所にあったとするのが現在の見解だそうだ。真ん中の写真にはごく簡単だが右安珍・清姫伝説に取材した文楽「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら」が紹介されている。
二代目鐘楼跡 二代目鐘楼跡解説 京鹿の子
安珍が清姫に鐘の中で焼き殺されてから約400年後に新たな鐘が鋳造された。いよいよその鐘の完成を祝おうという鐘供養の場に清姫の霊が現れ、その美しい姿と優雅な舞に僧侶たちが目を奪われている隙に、清姫の霊が再び鐘に飛び込みんでしまった。これが能楽や歌舞伎の道成寺もののベースとなっているストーリーである。
その後さらに時代が下ってせっかく作ったニ代目の鐘も何故だか秀吉に没収されてしまい、今では京都のお寺のものにされてしまっており、以来道成寺には鐘がない、いうウソみたいな話である。その二代目の鐘楼のあとが左の写真である。
右は「京鹿子娘道成寺」というときの「京鹿子」という花、のはずだがまだ咲いていなかった。紫ピンク色の小さくて綺麗な花がまるで京の鹿の子模様のように見えることからこの名前がついたとか。ネットで探せば花の写真はすぐに見つかるはず。例えばこちらを参照
三重塔 道成寺本堂から境内 仁王門と安珍塚 道成寺型灯篭_small
その他、堂塔や境内の様子。

関連リンク:道成寺公式HPWiki「道成寺」


2011年5月 奈良(1)

2011年5月1日から4日まで奈良県南部と和歌山県の御坊・日高川・南部地区を旅した際の写真を厳選してみた

<吉野山>
吉野山下千本3 吉野山下千本2 吉野山下千本
下千本からの眺め - 桜のシーズンには間に合わなかったけれど青々とした新緑が眩しかった

金峯山寺蔵王堂 金峯山寺蔵王堂
金峯山寺 蔵王堂(国宝)
吉水神社 吉水神社 義経の鎧
吉水神社          義経所持(伝、だと思う)の鎧

<吉野川・妹山・背山・大名持神社>
吉野川 妹山 背山
吉野の山々の麓を流れる吉野川。正式名称は紀の川だが、奈良県のこの一帯では吉野川と呼ばれている。本物は四国の清流。そっちの方にもいつか行ってみたいものだ。
真ん中の写真が妹山(いもやま)で吉野山系側にある背山(右:せやま)と吉野川をは挟んで文字通り向かいあっている。

大名持人神社 大名持人神社縁起
妹山の麓にある大名持神社(おおなもちじんじゃ)。縁起にも書いてあるとおり由緒ある神社らしい。注目は妹山樹叢(いまやまじゅそう)だ。妹山には珍しい種類の木々や植物が多数生い茂っていることから天然記念物に指定されているらしい。ちなみに「叢」は茂みの意。

<壷坂寺>
壷坂寺 めがね供養_small 壷坂寺の花_small 壷坂霊験記_small
壷坂寺は眼病に効能あらたかなお寺として有名である。だからメガネ供養の仏さま(左から2枚目)もいる。そしてあのお里・澤一の物語「壷坂霊験紀」はここを舞台として繰り広げられたのだ。ところで参道にあったこの黄色い花は何?

<藤原宮・飛鳥・崇神天皇陵>
藤原宮_small 香具山2 畝傍山_small
耳成山 耳成山2
平城遷都1300年を記念して整備された平城京跡に比べるとなんともお粗末な感じのする藤原宮跡だが、ここを中心に香具山、畝傍山、耳成山がぐるっと都を取り囲んだ風景はなんとも優雅なものであっただろう。中でも畝傍山と耳成山は極めてはっきりとしたお椀を伏せたような形をしているのが印象的だ。(左から香具山、畝傍山。下段は耳成山を2枚)いずれの山もよくみると女性の乳房のような官能美すら漂っているではないか。

本薬師寺跡 本薬師寺縁起
こちらは最初に建てられた薬師寺の跡。後に平城京に都が移り、薬師寺も新たに建てられた(それが現在の薬師寺)。藤原宮の元祖薬師寺は礎石を残すだけになっているが、これを本薬師寺(もとやくしじ)と読んでいる。奈良には新薬師寺もあるからちょっとややこしい。

高松塚古墳_small 石舞台_small 石舞台横_small
時間がなかったので飛鳥では石舞台と高松塚古墳だけを駆け足で回った。高松塚古墳の壁画は傍の壁画館で精巧な複製を観ることができる。

崇神天皇陵2 崇神天皇陵
アレックス・カーご推薦の崇神天皇陵。宮内庁管理なので解説は一切なし。もったいないな~。

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