2011年5月に和歌山の日高川や御坊・南部辺りを訪ねた
<道成寺>

安珍・清姫の伝説で名高い「道成寺」を訪ねた。まずは参道から見上げた仁王門とお馴染み阿形・吽形の金剛力士像である。

続いて本堂と境内の様子である。最近の研究の結果道成寺の伽藍の配置は奈良の法隆寺の左右を反転したものであったらしい。この発見が、このお寺にとっては実は重要な意味を持ってくる。後ほどさらに境内の風景は紹介するとして、このお寺にまつわる「お話」の方に注目してみよう。

仁王門から入って左手に進むと朱の柱が鮮やかな縁起堂がある。この中に靴を脱いで上がるとそこには歌舞伎や能楽における「道成寺」ものの写真パネルがところ狭しと掲げてある。坂東玉三郎の「京鹿子娘道成寺」のDVDまで売っている。しかし、だからといって決して「俗っぽい」或いは「安っぽい」雰囲気はしない。
縁起堂は隣の宝仏殿につながっており、そこには当寺の本尊である千手観世音菩薩、日光・月光菩薩(以上国宝)などをはじめとする数々の仏像が部屋の四方を取り囲むように安置されている(仏像などは撮影禁止⇒
道成寺HP)。
これらの仏様に見守られながらお寺の方(お坊様に見受けられなかったので執事の方か・・)から当寺の由来や仏像群に関するお話を伺った。
法話の後は縁起堂(釣鐘がぶら下がっている部屋)に戻って安珍・清姫の絵説き物語りのいよいよ始まりだ。写真では釣鐘の下に見える場所には安珍と清姫の像が祀ってありその右側に横に長い書見台のようなものが見える。この上に「道成寺縁起絵巻」なる「絵巻物」を広げて左から右へ順に巻き取りながらお話を聞かせていただいた。
ちなみに絵説き説法で使われた絵巻はもちろんレプリカ。本物はなんと「白州正子展」で世田谷美術館に来ていた。先日、そちらにも足を運び現物の「道成寺縁起絵巻」も拝見してきた。
要するに紙芝居なのだが、横に横にと話がつながりながら展開していくのがとても新鮮であったし、お話して下さった方もユーモアたっぷりで子供の頃に戻ったような気持ちで聞き入ってしまった。縁起堂内には右のような妖艶な清姫の姿もあった。いい感じですね~、気に入りました。

安珍・清姫のお話を伺ったら再び境内を散策だ。左は「入相桜」。その云われは真ん中の写真に解説されている。右が安珍と、清姫が焼いてしまった初代の鐘が埋けられた場所にあるとされてきた「安珍塚」なのだが、実は、道成寺が法隆寺と同じながら左右が正反対の配置であったことが分かったことによって、初代の鐘楼が実はこの「入相桜」がある場所にあったとするのが現在の見解だそうだ。真ん中の写真にはごく簡単だが右安珍・清姫伝説に取材した文楽「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら」が紹介されている。

安珍が清姫に鐘の中で焼き殺されてから約400年後に新たな鐘が鋳造された。いよいよその鐘の完成を祝おうという鐘供養の場に清姫の霊が現れ、その美しい姿と優雅な舞に僧侶たちが目を奪われている隙に、清姫の霊が再び鐘に飛び込みんでしまった。これが能楽や歌舞伎の道成寺もののベースとなっているストーリーである。
その後さらに時代が下ってせっかく作ったニ代目の鐘も何故だか秀吉に没収されてしまい、今では京都のお寺のものにされてしまっており、以来道成寺には鐘がない、いうウソみたいな話である。その二代目の鐘楼のあとが左の写真である。
右は「京鹿子娘道成寺」というときの「京鹿子」という花、のはずだがまだ咲いていなかった。紫ピンク色の小さくて綺麗な花がまるで京の鹿の子模様のように見えることからこの名前がついたとか。ネットで探せば花の写真はすぐに見つかるはず。例えば
こちらを参照。

その他、堂塔や境内の様子。
関連リンク:
道成寺公式HP、
Wiki「道成寺」