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Author:Sogagoro
友人の勧めで文楽を観たことがきっかけで伝統芸能に目覚めました。歌舞伎や能もよく観ます。とりわけ三味線の魅力にとりつかれ長唄を習い始めました。

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文楽 4月大阪公演

個人的な事情から長らくこのページのアップデートができなかった

その間、確かに伝統芸能の鑑賞に当てる時間も少なかったのも事実だが、それにしても間が空いてしまった

直近では文楽4月大阪公演の千秋楽に足を運んだ

その前には長唄の師匠の「二題の会」で花見踊りと娘道成寺を拝聴した

3月には神戸で勘十郎さんが文楽の「人形を持たずに人形を遣う(他の二人も一緒に)」という言わば「エア人形遣い」を披露されたのを観に行ったりもした

2月は文楽の東京公演。1~3部全て観ただけでなく、某電鉄系クレジットカードのお仕事をお手伝いして、英大夫を中心とする文楽セミナーを企画させていただいた

一応、司会のようなことをさせていただいたので、内心では「これは自分の国立劇場初舞台」と自賛している次第

お陰さまで同セミナーは、ご招待を受けられたカード会員の方々からはご好評をいただいたようで、ホッとしている

足元ではひたすら現下の課題曲である「花見踊」のお稽古に精を出している

合い方の替手を教わったのだが、これがなかなかリズムが難しい

師匠に本手をゆっくりと吹き込んでもらって、それに合わせて替手を入れていくのだが、なかなかうまくいかないものだ

この連休中にマスターしておかなくては・・・

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文楽 「文楽ワークショップ」@池上實相寺

毎年この時期に池上實相寺で開かれる「文楽ワークショップ&鑑賞会」に今年も参加させていただいた

ワークショップちらし

池上と言えば「本門寺」だが・・ その隣にあるのがこの實相寺だ

もうすっかり暗くなっていたので立派な山門や本堂の写真はないが、境内に入ってから会場となる書院へのアプローチは風情のあるライティングが施され、これからのイベントへの期待が高まっていく

実相寺1 実相寺2
<右の写真の背景に少し明るく見えているところが文楽の舞台になる書院>

開演前の書院の中はこんな様子で、最終的には200人以上の方が参加されていた!

実相寺ステージ1 実相寺ステージ2


9年目となる今年は竹本津駒大夫による義太夫における人物の語り分けについて、実演を交えての解説から始まった

良家の子供に始まって、菅原伝授手習鑑に出てくる白大夫の三つ子の息子たち、最後は老境の男女を語る上でのポイントを分かりやすく説明していただいた

続いて鶴澤燕三による太棹三味線の解説と思いきや、のっけから三味線は今日はあんまりやらずに、文楽12月公演の演目で「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)」の解説をするとおっしゃる

「そんな殺生なこと言わんといてえな!あんたの三味線が楽しみで来たんやで~」と思わず言いそうになったが、実際に燕三さんが話を始められると、どんどんと話に引き込まれていった

2011年12月公演チラシ裏_small

安達原はとても入組んだストーリーなのでその詳細は12月公演のチラシの裏をご覧いただくとして、話が「環宮明御殿の場(かんのみやあきごてん)」の解説に差し掛かったところから、ようやく三味線を膝に載せ太棹独特の野太い音を聞かせてくれた

しかも主人公のひとりである盲目の女性「袖萩(そではぎ)」が落ちぶれた姿で、裏皮すら破れたようなボロ三味線を弾きながら両親の前で祭文(通称「袖萩祭文」)を唄うシーンでは、いきなり燕三自身が義太夫の弾き語りを始めた

この「語り」がまた上手い!上手いのも上手いのだが、それよりも何よりも「あ~、この人は実は何でも出来る、溢れんばかりの才能の持ち主なんだな。しかもその芸を磨き、繰り出して行く事が楽しくて楽しくてしょうがないんだな」ということに何故か激しく感動した

変な話だが現在の義太夫三味線弾きの中でも有数の名人の一人である燕三の三味線に、いつでも自由に伴奏させながら、好きな義太夫が語れるんだから、こんな贅沢で幸せな「義太夫狂いの旦那」は他に居ないだろう!!!

以前、落語と義太夫の会でご一緒した鶴澤清介さん(英大夫の相方)もしゃべりだしたら止まらない方だったが、三味線弾きの皆さんは総じて話好きだし、話が上手い

さて、燕三によると「袖萩祭文」をやるときは、「ボロ三味線やねんから、ええ音だしたらあかんで!!」と師匠から口を酸っぱくして言われたとのこと。 だからここはこう弾くようにしていると、わざと音を濁らせ、撥さばきも少し荒っぽく、たどたどしくして落ちぶれた袖萩の風情を表現するところを時間をかけて演じてくださった。 もちろんいつもの独特の細かくビブラートの効く、繊細な音で弾くとこうなるという「ええ音」の例と対比しながら・・・

「よく鳴る三味線でええ音出すな」というのは難しい注文とおっしゃっていたが、それはつまり、燕三さんが使われておられる三味線が「よく鳴る三味線」なんだな、と別の感慨を持った (いい三味線とはどんな三味線なのか? それはまた別の機会に触れてみたい)

ということで燕三の「義太夫弾き語り」をタップリと聞けただけでも、その日の元が十分に取れたのだが、さらにその後には勘十郎による軽妙な人形の解説

そしていよいよ文楽の実演となった。 演目は 「ひらかな盛衰記」の「神崎揚屋の段」で、津駒大夫、燕三(ツレに鶴澤清キ)の床に勘十郎が遣う「傾城梅が枝」の一人舞台であった

ほんの20分程度の実演鑑賞であったが、ここでは書院に詰め掛けた200人以上の観客の目は勘十郎さんの梅が枝の鬼気迫る演技に釘付けとなっていた

IMG_2076_small.jpg
<美しい梅が枝の人形>

終演後は有志による、演者の皆さんを囲んでの懇親会となり、筆者のテーブルには人形の蓑次さんや勘十郎さんが来て下さった(酒肴はおそらく實相寺の檀家のみなさんの手作り)

勘十郎さんとは先日の「杉本文楽」、横浜能楽堂で上演された「浄瑠璃姫物語」での上原まりさんとのコラボなどについてお話を伺うことができた。 浄瑠璃姫物語については僭越ながら現代文ではなく古語でやった方が良かったのではないか、などと申し上げてしまったが、そこでの会話そのものについては差し障りがあるといけないのでここでは触れないでおきたい

いずれにしても再来年には杉本はパリで、浄瑠璃姫はNYでの公演が決まっているらしく、とてもお忙しいそうであった

なんとも言えない充実感とともに實相寺を後にしたときにはすでに11時を回っていた

来年はこのワークショップの10周年とのこと どんな企画が待っているのか、今から楽しみである

文楽 「鬼一法眼三略巻」@国立文楽劇場(大阪)

一年ぶりに文楽大阪公演を観に行った

「鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)」がかかるのは一昨年の東京九月公演以来であるが、今回は冒頭に鞍馬山の段が加わっての上演であった

文楽大阪23年10月表_small 文楽大阪23年10月裏_small
<左は鬼一法眼、あらすじはチラシ裏面の上段をご参考に>

鞍馬山にはつい先日登ったばかり。 牛若丸に秘術をさずけた大天狗やその眷属が跋扈しても少しもおかしくない不思議な気に満ち満ちたお山だった ⇒ 鞍馬寺の様子はこちら

鞍馬の段では鶴澤清志郎の三味線を期待していたのだが、風邪でもひいたのか休演でちょっと残念

続く「播州書写山の段」は播州人の筆者としては思い入れのある場面

「書寫山圓教寺」は西の比叡山と言われるほど由緒ある天台宗の修業道場の地

幼き日の鬼若丸(後の武蔵坊弁慶)は性慶阿闍梨(しょうけいあじゃり)の元に預けられているが、図体ばかり大きく学問・手習いはさっぱりの粗忽者で通っていた

しかしそれは出家させられるのが嫌なために、わざと無能なフリをしていただけだった

乳母の飛鳥が巡礼の菅笠に書いてある「迷故三界城、悟故十方空」の意味を問うと、鬼若は「ホホ、迷うが故に三界、悟りの心開くれば、十方ともに空ならずや。もとより、西も東も一体・・・広大無辺の大慈大悲、ハハハハ信ずべし、信ずべし」と朗々と弁に任せて、さも爽やかに語ったのであった。

なんとこれはあの安宅の関での弁慶の機転、白紙の巻物を広げ、南都東大寺再興のための勧進を滔々と読み上げるシーンの伏線となっているではないか!!

乳母は鬼若が実は利発な子と分かると、彼の父、弁真(熊野の出身)が源為義に味方したかどで清盛に殺されたことや、 彼の母の敵が播磨領主平広盛であることを明かすとともに、弁真から預かっていた三条小鍛冶が打った「三日月」という名の薙刀(なぎなた)を渡す

三条小鍛冶は能や長唄の「小鍛冶」で稲荷山の神の化身であるキツネを相槌に「子狐丸」という名刀を打ったことで有名なあの三条小鍛冶宗近だ

⇒ ちなみに奈良に三条小鍛冶宗近という刃物屋さんが存在するから驚きである

⇒ 能「小鍛冶」に関する記事はこちら

父の弁真から「弁」、師の坊である性慶阿闍梨から「慶」の字をもらい、名を弁慶と改めた鬼若は両親の真の仇であり、源氏の仇敵である平清盛を討たんと書写の山を下りて京を目指すのであった

この段の奥を務めた千歳大夫と富助さんの三味線が光っていた 前回は余り記憶になかったこの段だが、今回はこの二人の気迫溢れる浄瑠璃と勘十郎の鬼若に魅せられた

次の清盛館の段は鬼一の娘、皆鶴姫の活躍のシーン

文楽大阪公演展示1
<これが歌舞伎の皆鶴姫>

そしてクライマックスの「菊畑の段」である ここは咲大夫の義太夫と燕三の三味線が光る

つい先日の東京九月公演の「逆櫓(ひらかな盛衰記)」のときのぶっ飛ばしとはやや異なり、しずかなトーンの中に鬼一法眼の人物の大きさを描く語りが光った

後半は燕三の細かく鋭いフレーズに気合のこもった掛け声が響く!

こういう段を見ると「ああ、やっぱり文楽は義太夫なんだ」、「義太夫浄瑠璃に人形が付いて人形浄瑠璃=文楽なんだ」とつくづく思う

そう言うと人形遣いの皆さんに失礼に聞こえるが決してそうではない。 義太夫が良ければ良いほど、人形の細やかな動きまでが活かされてくる はやり三業が揃って何ぼのものなのだ ただ はっきりいえるのは大夫がイマイチの舞台はだいたい何をやってもイマイチ  これだけははっきりしている

最後の五条橋はお決まりの弁慶と牛若の出会いの場だ こうしてみると弁慶も実は元々平家を仇と狙っていたのだから、この二人が意気投合して主従の誓いを立てるのは自然な流れなのだ

文楽大阪公演展示2
<劇場内ではこんな特別展示も>

五条橋は我が心の師、鶴澤清治が立てを務める五挺五枚の道行仕立て

呂勢大夫のよく通る声に清治師匠の一音たりとも揺るがせにしない緊張感溢れる「見えない」指揮によって、一糸乱れぬ五挺の三味線が聞きどころ  やっぱり清治さんが「立て」を務めるときの床の締まりようには鬼気迫るものがある

返す返すも平家と源氏が戦わなかったら、一体日本の文化はどうなっていたのだろうか?

清盛万歳、義経万歳!!

蛇足ながら・・・ 今回の大阪錦秋公演は11月20日までやっています 大阪は文楽の本場なのに空席が目立ちます ぜひ、皆さんも一度、本場大阪の国立文楽劇場に足を運んでみてください 東京の国立小劇場とは違った雰囲気を味わえますよ!!

「浄瑠璃姫物語」 by 上原まり&桐竹勘十郎

上原まりの琵琶と語り、桐竹勘十郎の人形による「浄瑠璃姫物語」を横浜能楽堂で観た

浄瑠璃姫物語

「浄瑠璃」とは義太夫節や常磐津節、あるいは清元といった語り物芸能の総称であり、浄瑠璃(義太夫節)に合わせて舞台で人形が演技をするのが「人形浄瑠璃」である

大阪で最後まで残った文楽座にちなんで、今日では人形浄瑠璃のことを「文楽」と呼んでいる

では何故こうした語り物のことを「浄瑠璃」と呼ぶのか?

実はそのルーツが今回観る機会を得た「浄瑠璃姫物語」にあるからだ

浄瑠璃姫物語、あるいは浄瑠璃御前物語は三味線が登場する以前の15世紀半ば(室町時代初期)において琵琶法師が語る物語のひとつであった

三河の国の国司、兼高と矢矧の長者(遊君)には子供がなかなか生まれなかったので、長者が薬師如来に熱心にお願いをしたところ、玉のように美しい娘を授り、夢枕に立った薬師如来の仰せに従い、浄瑠璃姫と名付けた

しばらくして姫も年頃になったある日、鞍馬寺を出奔し源氏再興を期して奥州に向かう途中の牛若丸が矢矧に差し掛かった際に美しい姫にひとめ惚れ、一夜の契りを交わす

翌日、再会を約して牛若丸は奥州に向けて発つが、途中、流行り病に倒れ、ある浜辺で動けなくなってしまう
そこに牛若丸からの手紙を見た浄瑠璃姫が駆けつけ、息絶えた牛若を蘇生させる

元気を取り戻した牛若丸は浄瑠璃姫の懇請を振り切り、改めて奥州をめざすが、今度は母である常盤御前の形見の笛を姫に託し、平家を討ったあかつきには必ず矢矧に戻ると約束する

しかし、待てど暮らせど牛若丸(既に義経)からは何の音沙汰もないことに絶望した姫は自害するが、その直後に義経が姫の墓に参ると、瑠璃色の蝶が舞い上がり、それに導かれるように平家打倒のために都へと向かうのだった・・・・・

上原まりが奏でる琵琶は情感溢れる音色で、哀愁にみちた響きが素晴らしい。 また宝塚の元トップスターらしく、歌唱的なパートと台詞的パート、加えて物語の解説的パートを起伏と張りのある声で上手く語り分けていた

勘十郎の遣う浄瑠璃姫は彼の師である吉田蓑助仕込みの艶やかな娘ぶりが際立ち、圧倒的な存在感があった

普通なら見ることのできない琵琶を伴奏とする「語り」(正にこれこそが”元祖浄瑠璃”)を復曲する試みと、それに、後の江戸時代に完成された三人遣いによる洗練された表現力を備えた人形による演技を組み合わせることで、当時も徐々に行われ始めていた、”浄瑠璃(語り)”と”人形芝居”の組み合わせを今日的な形で観せていただけたことは大きな収穫であった

一方、能楽堂という本来文楽人形を遣うには制約の多い舞台での、限られた数のスタッフでの演出に物足りなさが残ったことと、恐らくオリジナルに忠実な復曲が困難であったであろう浄瑠璃物語を現代の観衆にも理解し易いようにと、現代語を多用した台本となったことが相俟って、やや厳しく言えば「子供向け」っぽい印象を受けた

上原の琵琶や物語、勘十郎の繊細な浄瑠璃姫、個々の芸としては当代随一の完成度の高いパフォーマンスであるだけに、全体としての物足りなさが少し残念であった

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<能舞台の右手前に上原まりが座り、橋掛かりや右奥の切戸口の前に立てられた「パーティション?」の後ろから人形が出入りするが、文楽につきもののいわゆる手すりがないために、人形遣いの足元まで見えることになる>

さて、そもそも言葉としての「浄瑠璃」とは何か?

矢矧の長者が願を掛けたという「薬師如来」は「東方浄瑠璃世界」に住み、現世の苦しみを除く仏であり、一方阿弥陀如来は「西方極楽浄土」の教主である

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<京都 浄瑠璃寺本堂 この中に国宝である九体の阿弥陀如来が列座する 外から直接は仏さまの顔は見えないが、ライティングが充実していると、手前の池に逆さまに顔が映し出されることになる>

本堂に九体の阿弥陀如来像が列座することで有名な京都府南部にある浄瑠璃寺(昨年9月に訪れた)では、池を挟んで東岸(此岸、しがん=現世)の三重塔に薬師如来が、西岸(彼岸、ひがん=来世)の本堂に九体の阿弥陀如来が安置されている

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<浄瑠璃寺三重塔 こちらの本尊が薬師如来>

薬師如来は手にされている薬壷にも象徴されるように、現世での苦しみから衆生を救うと共に、此岸から西方浄土たる彼岸へ送り出してくださるという存在のようである

その薬師如来が住まわれる世界が「浄瑠璃界」と呼ばれる世界である

浄瑠璃の「瑠璃」とは lapis lazuli (ラピスラズリ)という鉱石から作られる、鮮やかな青、ウルトラマリンのことで、「るり」という音はこのラテン語から梵語などを経由して入ってきたのかもしれない・・・。 (Lapis は石、Lazuliはもとペルシャ語で瑠璃の石を産した地名が語源)

LapisLazuli.jpg
<この写真はWIKIの瑠璃色の項から転用>

lazuliという言葉がイタリア語やフランス語に入った際には最初の「L」は”冠詞”だと解釈されたために、わざわざ「L」をとって、フランス語では azur、イタリア語では azzurro が青を表す語となったようだ

フランス南部の Cote d'Azur はそういうことで紺碧の海岸という意味だ

ということは薬師如来の世界である浄瑠璃界は紺碧の光に満ち溢れた、明るい現世という意味なのであろうか

今回の公演は今日私たちが見ている文楽や歌舞伎に出てくる義太夫節や常磐津、清元といった「物語り音楽」のルーツたる浄瑠璃姫物語の片鱗を、上原まりと勘十郎の意欲的な取組みを通じて垣間見ることができたことが大きな収穫であった

文楽 「摂州合邦辻」@10月地方公演(横浜)

文楽地方公演(横浜)で豊竹英大夫(とよたけはなふさたゆう)と鶴澤清介による「摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)」を観た

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<右下のつんつるてんのオヤジさんが合邦道心、刺されちゃってるのが娘玉手御前>

元々その日は予定が立たずに横浜まで行けないはずだったのだが、前の日に府中での公演を観た「文楽鑑賞の師」である二人の方から(A.I.さんとI.Tさん)から以下のようなメールを頂いてしまった・・・。

「もう、すごいとしか言いようない素晴らしい舞台でした。他の誰のものとも違う英、清介の合邦でした。強いて言うなら、私も聴いた事のない(英さんの)お祖父さんの若大夫を彷彿させるものかもしれません。

そして、清介さんの三味線が、負けず劣らずすごかった。大夫をサポートしながらも誘導し、ぐいぐいと自分のペースに持っていく。

英さんも、清介さんの三味線に応えながら新境地へと到達し、その義太夫を受けて、三味線もさらに輝いていく。これぞ浄瑠璃の醍醐味!

合邦にこんなに三味線の聴き所が溢れていると、今回はじめて気が付きました!

英さんも、Sogagoroさんに是非聴いてもらいたかったようです・・・・。」

もうこうなると見逃す訳にはいかないということで、なんとか予定をやり繰り、あの急な紅葉坂をハアハア言いながら駆け登って会場にたどり着いた

客席に入ってみると立派な定式幕がかかり、上手にはれっきとした床もある。 思っていたより本格的なこしらえだ

若手による団子売では英大夫のお弟子さんの希大夫(のぞみたゆう)がよく通る声で「杵造」をテンポよく語ってくれた

団子売は景事もの、軽妙に明るいのが売り。 まさにうってつけの配役で本公演とは違う希大夫ののびのびとした語りを聞かせていただいた

続く「合邦住家の段」は睦大夫、津駒大夫ときて一番のクライマックスが英大夫と鶴澤清介のコンビだ

「合邦」とは何か、という話は後にして・・・ あらすじとしてはは継母である玉手御前が義理の息子、俊徳丸に道ならぬ恋をしかける

しかも、俊徳丸の許婚である浅香姫と別れさせるために、毒の入った酒を飲まして病にしてしまうのだ
それを苦にした俊徳丸は行方をくらましてしまう  そして継母である玉手もそれを追って家出。

う~ん、相当理解に苦しむ「無理筋の痴話騒ぎ」にしか聞こえない話なのだが・・・

ここから「合邦庵室(がっぽうあんじつ)」とか「合邦住家」と呼ばれる今回の場面だ、実は俊徳丸は浅香姫と共に玉手の父である合邦道心の家にかくまわれている。 合邦の家の外(下手側)には閻魔堂が見える

そこへ玉手が俊徳丸を探してやってくる 主家の若君に不義をしかけた娘の成敗は既に決まったものと百万遍の念仏で弔ったばかりの合邦は玉手を家に入れようとしないが、女房が入れてしまう

俊徳丸に再会した玉手は親の説得も聞かずに俊徳丸への倒錯した恋慕の情を滔々と述べ立てる

ブチ切れた父、合邦はたまりかねて娘玉手を刺す すると玉手は刺した刀を抜かないように頼み、驚愕の話しを始める

大名高安家の跡取り息子の俊徳丸の命を狙う異母弟次郎丸から俊徳丸を守るために、わざと、俊徳丸への恋を語り、毒を盛って醜い姿にした上で一旦は高安家から逃れさせ、

後に寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻生まれの女の肝臓の血を飲ませて、元の姿に戻すつもりだった。その生まれの女こそ自分(玉手)だと打ち明けたのだ

それを聞いた合邦はそれまでの悪口雑言を詫びて、旧主への恩を身を挺して報じた娘を褒めるのである

さあ、娘の話を聞いてからの合邦の身をよじるような悔悟の念と、主家の為に自らの風評と命までも犠牲にして俊徳丸を救った娘の忠義に対する賞賛

「オイヤイ、オイヤイ、オイヤイ、オイヤイ、スリヤそちが生まれ月日が妙薬に合ふたゆえ、一旦は病にしてお命助け、また身を捨てて、本復さそうと、それで毒酒を進ぜたな・・・ ヘエ、出かしゃった、出かした、出かしゃった、出かした・・・」

この辺りから英大夫の語りが鬼気迫るものなってくる。思わず合邦の魂が大夫に憑依したかのような、そんな迫真の語りに聞いているこっちも完全に舞台の中に吸い込まれてしまう

そして清介さんの三味線がまた凄い!A.I.さんとI.Tさんがおっしゃっていたように、大夫の迫真の語りをさらに際立たせる鋭く細かく速いフレーズ、それに気合のこもった掛け声。

その三味線に刺激された大夫がさらにトップギアに! 二人が奏でる物語の世界がどんどんと昇華して行き、その中に観客がグイグイと引き寄せられていくのだ

最後は助からぬ玉手を数珠の輪で囲み、一同が南無阿弥陀仏を唱えるなか玉手は息絶えるのである

さて「合邦」とは何か?

先日観た市川亀治郎らによる「小栗判官」もそうであったが、合邦のルーツは「説経節」である

説経節の代表作、「しんとく丸」やそこから生まれた能「弱法師(よろぼし)」などを下敷きにした時代物狂言として、1773年に大阪で初演された

「説経」は仏教の教えを説いて民衆を導く手段のから、鎌倉時代から室町時代にかけて徐々に芸能としての性格を帯びたようである。 後には三味線が入ったり、人形と共に語られるようになったそうで、1600年代半ばに最も流行したものらしく、「説経浄瑠璃」称されたこともあるようだ

ただ、説経である以上宗教的な色合いが強く、より幅の広いテーマを語る義太夫節などの浄瑠璃に圧倒されるようになったが、近世の芸能に与えた影響は大きいものがある

(説経節についてはwikiからの受売り。オリジナルはこちら

小栗判官でも遊行上人、つまり踊り念仏の時宗の開祖、一遍が登場して照手姫の祟りで醜い姿になった小栗を平癒に導くのだが、ここでは玉手の直接には生血が平癒の理由だがその背景には閻魔堂や百万遍の念仏など宗教的な要素が色濃くある

この秋の京都旅行では、空海の真言密教から、法然の浄土宗、そしてさらには親鸞の浄土真宗へと宗教の庶民への広がりというのがテーマのひとつだったのだが、当然と言えば当然のことながら、日本の伝統芸能と仏教文化との深いかかわりをここでも改めて感じることとなった

さて、同じく俊徳丸を扱った能の「弱法師(よろぼし)」はとてもいい曲である

合邦とはちょっと違って、盲目となった俊徳丸が大阪四天王寺で父と再会をはたして、摂州高安に戻っていく話なのだが、四天王寺からみた西の方角、つまり西方浄土に向けての景色が美しく語られる

そして目は見えないがそれがどんなに素晴らしいものであろうか、ということが切々と語られるのだ

淡路島も出てくるし、須磨・明石もでてくる  播磨の産である自分のルーツを美しく謡ってくれる俊徳丸が杖を片手にまさしく「弱々しく」歩み、語る姿が哀れを誘う

一方、過去を詫び、変わり果てた姿の息子をそれでも温かく故郷に迎える父親の気持ちと、素直にそれに応える俊徳丸の姿がジーンとくる素晴らしい曲だ

(弱法師についてはこのページがよい参考になります)

ちなみに、四天王寺の西門は西方浄土の東門と考えられている。

IMG_1964_四天王寺石鳥居_small IMG_1962_四天王寺西大門石鳥居_small

<西門の外の石鳥居のから見た四天王寺> <四天王寺側から西の方角を望む>

この門を出て「逢坂」を西に下ると合邦住家の閻魔堂がある。その裏手のお寺はその名も西方寺。

IMG_1968_閻魔堂_small

閻魔堂の脇の階段の下が「合邦が辻」だそうだ

IMG_1971_合邦辻_small

浄瑠璃や歌舞伎では継母の大胆な行動が物語りに加わるが、根本において俊徳丸の美の世界は変わらない

説経や能といった江戸期よりもさらに古い歴史の重みをもった「合邦」で、英大夫と清介さんが見せてくれた素晴らしい浄瑠璃の世界、これからのお二人の舞台が益々楽しみになってきた

さて、積み残したテーマは国家仏教たる奈良仏教から、最澄・空海によって開かれた天台・真言宗、そして叡山で学んだ僧が仏教の「草の根化」を進めた浄土宗から浄土真宗などへの展開と「念仏」による西方浄土への成仏への憧れの深化。

そうした日本人の宗教観、生死観などと能楽、文楽、歌舞伎などの伝統芸能のテーマとのかかわりをもう少し掘り下げてみたい

その意味で今、京都南座にかかっている法然上人を本当は観てみたい

文楽「ひらかな盛衰記」「紅葉狩」 感動再び!

文楽9月公演の夜の部(第二部)を予告どおり再び観た

今回は開演前に英大夫のご好意により文楽の舞台裏を見せてもらったのでその写真を中心に

まず大夫と三味線が座る「床」を舞台裏から見たのが下の写真だ。「盆」と言われる円形の台の上に、既に見台が載せてあった。ただし、通常義太夫は一挺一枚が原則なので盆には見台はひとつが普通である

背景はこちら側は「銀」で反対側は「金」だ。大体切り場のときに「金」になるように考えているとのこと

盆と見台

これは紅葉狩に登場する鬼女の人形。人形の「かつら」を専門に扱う床山さんの部屋で撮影させてもらった

紅葉狩の鬼女

こちらは鬼女の取巻きの女中たちと立派なりの子供は先代萩の若君

更科姫の取巻き

これはひらかな盛衰記、逆櫓の段に出てくる裏切り者の船頭たち。樋口次郎兼光にこてんぱんにやられる運命!

船頭と山神

最期は清治さんの三味線に呂勢大夫が語る「笹引の段」の背景となる枯笹の藪のセット

笹引のセット

第二部は心からいたく感動したので、再度観ることにした。 なかなかどうして、二回目にもかかわらず最初から最後まで楽しめた

改めて清治さんの三味線の一音一音の正確さ、これしかないという切れ味するどい音。こうも弾き手によって違うものか?
唖然とする「音」の違いに今回も瞠目した!

約90分の切りを語った咲大夫と燕三の三味線の凄さ、これも初回と同じ印象

そして英大夫に引っ張られる形で若手の熱演が印象的な紅葉狩

なぜか紅葉狩の平維茂の雅な姿に感動したのも前回どおり

とにかく今回も100%楽しめた。そして、前回同様、同好の志とたまたま一緒になり幕間には楽しいおしゃべりも出来て充実した観劇三昧の週末だった

文楽「ひらかな盛衰記」「紅葉狩」(九月第二部)-感動の舞台!

先週の第一部に続いて、九月公演の第二部を観た

感動した!楽しかった!

木曾義仲の遺児や遺臣らの物語を描く「ひらかな盛衰記」も、一面紅葉の錦に染まる戸隠山を舞台に平維茂(これもち)が妖艶な姫に化けた鬼女を退治する「紅葉狩」も、大夫、三味線、人形遣い、三業全ての気迫溢れる舞台にただただ圧倒された

ここ数年、全ての東京公演を観てきたが今回ほど全編にわたって心から楽しめた舞台はない。4時間の公演時間があっという間に過ぎた

文楽2011年9月公演1_small
<九月公演のチラシ 写真は「ひらかな・・」の船頭松右衛門、実は樋口次郎兼光>

なかでも筆者が若手大夫の実力ナンバーワンと思う豊竹呂勢大夫(とよたけろせたゆう)が、これも三味線弾きを志す筆者が心酔する鶴澤清治の切っ先鋭い撥捌きにのって力強く語った「ひらかな・・」の「笹引の段」は絶品

舞台一面に荒涼とした枯れ笹の藪が広がる。そこに木曾義仲の忘れ形見である駒若君(実はこの子はその前の段「大津宿屋の段」で、別の一行が連れていた男の子と入れ替わってしまっていたのだが・・・)を連れて、義仲の御台である山吹御前と腰元お筆、そして彼女の老いた父が、義仲の残党狩をすすめる鎌倉方に追われて逃げてくる

お筆の父は果敢に戦うもあえなく戦死、若君もその場で首を刎ねられ、山吹御前もショックで命を落とす
お筆は気丈にも立ち枯れた笹を切り倒し、山吹御前の亡骸をその笹に縛りつけて引きずって行こうとする

この劇的なシーンを呂勢が持ち前の声量と小気味良い割舌で語って行く

それに一音一音に気迫と魂の宿る清治の三味線が冴え渡る。絶対的な技術をベースとしながら、若い呂勢の呼吸を読みながら、そして客席の観客の反応すら感じ取りながら全ての音に完璧を求める。究極の集中と同居するある種の余裕、それが清治の凄さだと思う

いつも感じるのだが清治は他のどんな三味線弾きよりも頻繁に調弦を繰り返す
最初は他の奏者よりも常に新しい糸を使うから弦が伸びて伸びてしょうがないのかと思っていたが、それにしても頻繁だ
やはり演奏中のほんの僅かな音の狂いを妥協無く修正して行くが故なのだろうと、今では思っている

さて、続く逆櫓の段の「切り」は今をときめく豊竹咲大夫(さきたゆう)と鶴澤燕三(えんざ)の三味線だ

咲大夫が電話帳みたいな(失礼)厚い床本を高く捧げた。 そう、約90分に亘って咲大夫の緩急自在の語りと、ほとんど曲弾きに近い、高音域での細かく、素早いフレーズが燕三によって紡ぎ出される
清治の一音一音に込められた情念のようなものは、まだ感じられないが、それでも圧倒的なエネルギーとそれを爆発させるだけの自信と集中力という点で燕三も凄いと思う

続く紅葉狩はこれまた紅葉の美しい舞台を観るだけで絵のようだ。そこに雅ないでたちの平維茂が現れる

床は英大夫以下5人の大夫に清介ら3人の三味線に琴が二挺。これまた豪華なしつらえだ

文楽床_small 琴_small
<開演前の床にならぶ大夫の見台と琴>

夕暮れ時も近いこんな山奥で、どこからともなく琴の音が聞こえてくる。誰かと見れば美しく高貴な更科姫らが女だけで紅葉狩にきていると言う。そして、酒を勧められた維茂は更科姫に舞を所望する。優雅に踊る更科姫を見るうちに、ついに寝込んでしまう

そこに現れた山の神に起こされた維茂の前に現れたのは更科姫に化けていた鬼女だ

ここからはさっきとはうって変わって、鬼と維茂の激しい戦いのシーンとなる

鬼は確かに恐ろしい顔をしているものの、それでもどことなく優雅さを感じさせる。そして最期は紅葉に染まる戸隠山を背景に絵画なような見得を決めて幕となる

ここでは豊松清十郎の遣う更科姫の舞が見もの。左右の手でふたつの扇をたくみに操りながら優雅に踊る姿は生身の人間以上にしなやかで美しい

この更科姫は主遣いだけでなく左遣いと足遣いの三人が顔を出す、珍しい「出遣い」だ。それだけ、この舞が高度な技術を要するということだろう

清介以下、若手の三味線二人の中でも清丈の気迫溢れる演奏と二人の琴が印象的だった

冒頭でも書いたとおり、この紅葉狩りの最期の見得までアッという間の4時間であった

できれば、今公演中にもう一度観たみたいものだ

文楽 「九月公演」@国立劇場 (19日まで)

いよいよ文楽九月公演が始まった

文楽2011年9月公演3_small 文楽2011年9月公演2_small

昼の部の最初の演目はお馴染み「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう」だ

いきなり住大夫を「翁」とする六人の大夫に野澤錦糸を立てとする六挺の三味線という豪華な顔ぶれの義太夫陣

能舞台をそっくり模した松羽目の舞台にまず桐竹勘十郎が遣う「千歳(せんざい)」が能面を収めた面箱を恭しく捧げながら登場する

続いて今度は吉田蓑助が遣う「翁」が現れ、客席に向かって丁寧に頭を下げる

同じような所作は歌舞伎の三番叟にも当然あるのだが、蓑助が遣う人形がするお辞儀には何故か生身の俳優よりも、威厳と様式美が横溢する

千歳の爽やかな舞の後、面をつけた翁の厳かな舞が始まる

最後はいつものとおり三番叟の二人の賑やかな、そしてユーモラスな踊りに続いて、千歳からたわわに実った五穀を表す鈴を受け取った二人は更に快活に踊るのだ

ことに今回は6列31番、つまり床の(三味線の)真下 初日、住大夫の舞台に居並ぶ若き三味線弾きたちの真剣な眼差しと集中力の途切れぬ演奏に思わずこちらも力が入った

国立劇場開場45周年のこの秋の始まりを寿ぐにふさわしい、豪華メンバーによる天下泰平、国土安穏「寿式三番叟」であった

壽式三番叟
<プログラムの表紙は折込続きだ>

二つ目の狂言は江戸時代初期に実際におきた仙台伊達藩のお家騒動、いわゆる「伊達騒動」を題材にしたの「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の「御殿の段」だ

歌舞伎でもお馴染みの演目だが乳母政岡がおなかをすかした幼年の藩主と自分の子供に茶道具を使って、食事を作るのだが、歌舞伎(玉三郎の政岡だった)でも今回の文楽の舞台でも、余りに冗長な話の展開に少し眠くなってしまう

それでもいつもながら千松のけなげな最後には感動するし、残忍極まりない八汐のやり口にはゾッとするのだった

三番目は「近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)」の「堀川猿廻しの段」だ

これもおつるの三味線のお稽古の場面や与次郎がおしゅんと伝兵衛を暗闇の中で取り違える場面などはテンポがよくて面白いのだが、、二匹のサルの踊りが長すぎる

どうして、先を急ぐはずの伝兵衛とおしゅんの逃避行の前に長々と猿の芸が続くのか、余り理屈で考えてもしょうがないのだが、そこでなんとなくたるんでしまう

ユーモラスな与次郎はここでも勘十郎が遣ったが、生き生きとした人形の動きは生身の人間以上に表情豊かである

昼の部の第一の注目はやはりオープニングの寿式三番叟であろう

文楽 「杉本文楽 曽根崎心中」@神奈川芸術劇場

震災で開催が大幅に延期された、写真家 杉本博司の演出による人形浄瑠璃「曽根崎心中」を観た

杉本曽根崎

国立劇場や大阪の国立文楽劇場でしか文楽を観たことのない自分には随分と斬新な舞台だった

どう斬新だったかを文章で説明するのはなかなか容易ではないが、少なくとも縦に(舞台奥に向かって)細長い舞台、人形遣いの全身足先までが見え、殆んど舞台装置らしい舞台装置がなく、基本は黒の背景に照明の組合せでしか人形や大夫、三味線が映し出されないといった舞台演出が用いられた

人形遣いの足先まで見えるということは、人形は宙に浮いていることになる

最初は違和感があったが次第に人形遣いの黒子姿と舞台全体の「黒」あるいは「闇」を背景に人形の衣装、動き、そして表情が返って鮮やかに浮き彫りになり、リアルな感情表現を可能にしていた

プロローグはいきなりスッポンからが現れた鶴澤清治の三味線の独奏、そして途中から鶴澤清志郎が遠く離れたところで胡弓を合わせる

続いて今回の杉本版独特の演出である「観音廻り」となる。 舞台の奥から桐竹勘十郎が一人で遣うお初がゆっくりと歩んでくる
照明を落とした舞台演出の効果から視覚的には50メートル、いや、一人使いのお初の人形は小ぶりなので100メートルぐらいに感じられる距離を大阪のあちこちの観音様を廻りながら歩いてくるという趣向だ

「曽根崎心中」は1703年に大阪曽根崎の森で実際に起きた心中事件をもとに、近松門左衛門が書いた世話物の人形浄瑠璃の名作で、翌年5月に大阪竹本座で初演、爆発的なヒットを収めた

歌舞伎にも移され、その改作が次々に上演されるに至ったものの、原作の上演は長らく途絶えていたのを、昭和になってから人形浄瑠璃でも歌舞伎でも復活されたが、原作にはあったとされる「観音廻り」は今回初めて再現されたとのことだ

天満屋でのお初、九平次のやり取り、その後の道行ともに独創的な演出が続き、最後の心中の場面もこれまでに見た文楽、歌舞伎の曽根崎よりも一段と切なく美しく、且つリアルであった

最後に文楽公演には珍しく、演者が舞台で挨拶をし、杉本博司もその思い入れを語ったが、なんと言っても蓑助さんのオペラ歌手のようなお辞儀とお初を遣ったばかりで肩で息する勘十郎さんの姿と始終ニコニコして挨拶していた清治さんの笑顔が印象的だった

3月の公演は震災で中止され、もう観られないのかと思っていたが、今回、こういう形で実現したことは本当に嬉しく思う

杉本曽根崎2
<こんな贅沢なポスターも>

文楽 英大夫 昼夜の大活躍

文楽五月公演の第一部は竹本源大夫と鶴澤藤蔵の襲名披露公演でもある。

しかし九代目源大夫は今般体調振るわず、連日、代役として豊竹英大夫(とよたけはなぶさたゆう)が「源平布引滝」の切り場「実盛物語の段(さねもりものがたり)」を熱演している。日によっては源大夫が1/3ぐらいを語った後、英さんがやったり、あるいは、最初から全部英さんが引受ける日もある。
源大夫の襲名披露公演の一番の見せ場である「切り場」をほぼ丸々語るのだから、英さんの気合の入り方も並大抵ではない。

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<左から太郎吉改め手塚太郎光盛、瀬尾十郎、斎藤実盛。「源平布引滝」プログラムから>

おまけにすぐ後の第二部では「絵本太功記」の「尼ヶ崎の段」を語るのだから、もうこれはご苦労様と申し上げるしかない。
先日、そんな大夫をねぎらおうと文楽仲間とちょっとした差し入れを持って楽屋にお邪魔した。

お返しにと大阪 こんぶ「土居」の「御上がり昆布」をいただいてしまった。 英大夫、ありがとうございます!

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ヨッ、英大夫!待ってました!

文楽「生写朝顔話」

先週に続き国立劇場で文楽5月公演

今日は午後4時からの夜の部で、「絵本太功記(えほんたいこうき)」の後に、お目当ての「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)」がかかる。

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朝顔話は一昨年の夏に大阪・国立文楽劇場で初めて観て大いに感動したので、今回も楽しみであった。

写真は大阪公演のプログラムの口絵だが、左が宮城阿曽次郎こと駒澤次郎左衛門、右が恋人阿曽次郎を追い求め一旦は視力を失うことになるヒロイン深雪(みゆき)である。

話の筋は大阪公演の直後に旧・風姿探訪に書いた記事に詳しいのでそれを最後に転載する

今回は「明石浦船別れの段」と「宿屋の段」そして「大井川の段」だけの上演であるため、深雪と阿曽次郎のそもそもの出会いやその後の深雪の艱難辛苦が十分に描かれていないため、盲目の深雪が阿曽次郎の前で筝を弾じるシーンの哀愁が十分に伝わったとは言えなかった。

今回も蓑助が遣う深雪が鶴沢寛太郎(鶴沢寛治の孫)の奏でる筝の音に合わせて、実際に人形が弾いてるように思えたものの、嶋大夫の深雪の唄はいまひとつ情感に欠けた気がした。

(でも調べてみると大阪公演でもやはり浄瑠璃は嶋さんだった。とするとやはり通しでないから盛り上がりに欠けたのか・・・)

それにひきかえ豊竹呂勢大夫と鶴澤清志郎の大井川は素晴らしかった。呂勢大夫の天性の美声と声量が大いに生かされた場面で5月公演の最後を飾るにふさわしい舞台であった。

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ところで外題の「朝顔」は深雪が初めて阿曽次郎に出会った際に、阿曽次郎が深雪の差し出した朝顔を描いた扇に見事な筆跡で
「露のひぬ間の朝顔を 照らす日かげのつれなきに あはれひと村雨の はらはらと降れかし」
いう歌を書いて与えたことに由来する、のだろうか?

以下は一昨年の大阪公演の後に書いた記事の再掲である。

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<大阪日本橋・国立文楽劇場>

大阪・日本橋の国立文楽劇場で「生写朝顔話」を観た。文楽の本場、大阪での観劇は4月の通し狂言「義経千本桜」以来である。宇治川での蛍狩りの折に出会った中国大内家の家臣、宮城阿曽次郎に恋焦がれる武家の娘、深雪の数奇な運命が描かれる。全編に運命に翻弄され阿曽次郎との再会を果たせない深雪(蓑助)の艱難辛苦を綱大夫、津駒大夫らが語り継いでいくが、「嶋田宿笑い薬の段」は住大夫が「ようまあ演技としての語りやのにあそこまで上手に笑いはるわ~」と感心させられる「大笑い声」で悲劇的なストーリー展開に一息つかせてくれる。(錦糸の太棹に合わせて、床の後ろで細棹のツレを弾いていたのは誰だか自分の席からは見えなかった・・)。
 そしていよいよ盲目となった深雪が阿曽次郎の前でそれと気づかぬままに琴を奏でながら「露のひぬ間の朝顔を・・・」と唄う「宿屋の段」の切り場となる。浄瑠璃・嶋大夫、三味線富助の名手に加え、普段、若手・中堅の一角として三味線を持つ鶴澤清丈が深雪の琴を弾く。今は落ちぶれた深雪の哀れを誘う風情と奏でる琴の美しい調べ。それをじっと聞き入る阿曽次郎。舞台の人形と床の大夫・三味線・琴の芸と芸が一体となって、蓑助が遣う深雪がまるで本当に琴を弾いているかに思える幻想的で叙情溢れる場面。図らずも涙が止まらなかった。この段だけでも遥々「朝顔話」を観にきた甲斐があったというものだ。そして英大夫が語る「大井川の段」で深雪が阿曽次郎と彼女を育てた乳母浅香の恩愛によって奇跡的に視力を取り戻すところでこの物語は終わる。
 文楽を観るようになってまだ1年たらず、「朝顔」は文楽独自の人形・大夫・三味線の三業をあたかも一体のものとして表現し、それらの芸の単純な足し算を遥かに超える官能的な美の世界を見せてくれたと言う意味でこれまで拝見した中で最高の舞台だった。

 文楽発祥の地、大阪に国立の文楽劇場が建てられて今年で25周年。それを記念する夏休み特別公演のサマー・レイト・ショーは憧れの鶴澤清治が作曲した「天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)」(シェークスピア作「テンペスト」より)。朝顔の余韻のまま定式幕の引かれた舞台を前にそのまま座っていたい誘惑に駆られたが、道頓堀の食倒れも捨てがたく、9月の東京での公演までのお預けとして夕方の風が涼しく感じられる日本橋を後にした。
(平成21年7月)

文楽「壷坂霊験記」 - 奈良 壷阪寺 

文楽や歌舞伎の演目としてしばしば登場する「壷坂霊験記」にゆかりの奈良、高取の壷阪寺を訪ねた。
先日の妹背山往訪のときと同じく、吉野の千本桜を見に行く途中でたまたま道標に「壷阪寺」とあるのを見つけたのがきっかけだ。

壷坂寺

見てのとおり、立派なお堂が立ち並び隆々たる寺勢を誇る寺である。ご本尊の十一面千手観世大菩薩で眼病封じに霊験あらたかとのこと。
境内には目の不自由な高齢者のための老人ホームも併設されている。

実は小生自身は「霊験紀」の舞台を見たことはない。昨年であったか大阪の国立文楽劇場にかかったのを友人が見たという話を聞いて以来、気にはなっていた。それがふとしたご縁で先に物語の「現場」に先に伺うこととなった。

霊験紀のあらすじは ↓ のとおりである

壷坂霊験記_small

文楽「妹背山婦女庭訓」の舞台を訪ねて

既に書いたように「千本桜」で名高い吉野を訪れた帰りに「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」の通称「山の段(正式には妹山背山の段)」の舞台を訪れた

背山 吉野川 妹山

左が「背山」、右が「妹山」、両者の間を流れるのが「吉野川」

川は手前から奥に向かって流れている

「婦女庭訓」の「山の段」の設定で言うと言うと、ちょうど手前の舞台から奥の客席を見るような感じだ

昨年4月に吉田蓑助(よしだみのすけ)の文化功労者顕彰記念として大阪の国立文楽劇場に「婦女庭訓」がかかった

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この時の「山の段」舞台では、実際この写真の配列とは逆に、向かって右が「大判事清澄」とその子「久我之助」の居宅がある「背山」、左に「後室定高」のとその娘、雛鳥(蓑助)が居る「妹山」であった (つまり現場を忠実に再現していた)

ご覧のとおり吉野川の川幅だけでもタップリ100メートルはあるから、両山の距離はどんなに短く見積もっても200メートルはある

とは言え、今とは違い車などの騒音が無い時代、耳を澄ませば相手の屋敷からの大声ぐらいは聞こえたかもしれない

いや、聞こえても、見えても、不思議なないぐらいに、妹山と背山は文字通り向かい合わせに聳えているのである

吉野川沿いに国道169号線が走っているが、車から見ると、実は両岸にそれっぽい山が幾らでも続く

なかなか妹背山を特定できずにいたが、地元の吉野製材組合の詰所の方に伺ってようやく場所が分かった次第

そして、右の写真で分かるように背山から真っ直ぐに妹山に架かっている橋の名は・・・ そう、もちろん「妹背橋」

あ~、なんという感慨!

大名持人神社 大名持人神社縁起

やはり山の姿としては「妹山」の女性的な曲線が美しい

その上、妹山の麓には「大名持神社(おおなもちじんじゃ)」という由緒ある神社が祀られ、妹山一帯は「妹山樹叢」(つまり様々な草木が生い茂っている場所)として天然記念物に指定されている

天候に恵まれたこの時の景色を思い出しながら観る、次の舞台が楽しみだ

文楽五月公演 「源平布引滝」

皐月晴れの土曜日、待ちに待った文楽五月公演の第一部を観た

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演目は「源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)」と世話物の「傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)」であるが、同時に浄瑠璃の竹本綱大夫(人間国宝)が九代目竹本源大夫を襲名、その息子で三味線の鶴澤清二郎が二代目鶴澤藤蔵を襲名する襲名披露を兼ねている
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源平布引滝は平治の乱の後、平家の勢いが盛んなる時期に源義仲の誕生を巡る逸話が題材だが、源平それぞれに縁のある人々の義理と人情が複雑に交差するドラマである。物語のあらすじと配役は、いつものように本公演のチラシの裏にまとめてある。
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あらすじからも分かるように、この物語は琵琶湖やその周辺の地域が舞台となっている
中でも平宗盛が清盛の名代として竹生島に参詣する途中の出来事を語る「竹生島遊覧の段」では煌びやかな平家の公達のあり様や当時の竹生島信仰の盛んな様子が窺がえる

また最後の糸つむぎの段以降は「手孕村(てはらみむら)」で繰り広げられるのだが、女が人間の「腕(かいな)」を産むというちょっとオカルトめいた話にちなんだ「手孕」という地名は最近までは「手原村」として残り、現在は滋賀県の栗東市に合併されているようだ

そう、琵琶湖周辺といえば近江の国、そして、近江の国と言えば白洲正子の一連の紀行が思い起こされる。
ちなみについ先日まで世田谷美術館で開かれていた「白洲正子展」も興味深かった。近江もはずせないスポットとしてこれから注目していきたい

さて公演に話を戻すと小生にとっての見所は「竹生島遊覧の段」で三味線を弾いた鶴澤清治の演奏と、九代目源大夫を襲名するも体調が思わしくない綱大夫の代役として切り場を語った英大夫の好演だ

清治さんは相変わらず切っ先鋭い撥捌きと正確無比な左手の指使いから奏でられる緊張感あふれる演奏で、人形も大夫もそっちのけ。ずっとオペラグラスで三味線だけを見ていた

襲名披露の口上は住大夫さん、祝言挨拶は鶴澤寛治と藤蔵の直接の師匠である清治さんが勤めたが、清治さんのざっくばらんな語り口が面白かった

二つ目の出し物の「傾城恋飛脚」は新口村(にのくちむら)の段だけの上演で、ちょっと物足りない感じは否めなかった

また国立劇場小劇場のホールでは震災の義援金の呼びかけも行われていた

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人形を操るのが吉田和生(よしだかずお)さん、その右が今人気の人形遣い桐竹勘十郎(きりたけかんじゅうろう)さんだ

「葛の葉姫」の故郷を訪ねて -信太の森と葛葉稲荷

ひょんな偶然から文楽の人気演目「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」の舞台のひとつである「信田の森(しのだのもり)」を訪ねる機会を得た

信太の森鏡池 信太の森

平安時代、宮中での政争に巻き込まれた安部保名(あべのやすな)は信田の森で悪人に追われた狐を助けた

その狐が、非業の死をとげた保名の許婚に瓜二つの妹、「葛の葉姫」に化けて保名の窮地を救う

そして落ち延びた二人の間には可愛い男の子が生まれる

しかしその子が五歳になったころ、ついに狐の正体が本当の葛の葉姫とその両親によって明らかにされてしまう

わが出自を呪いながらも、狐は子供と保名を残して生まれ故郷の信田の森へと一人帰って行く

後には障子に「恋しくば 訪ねきてみよ 和泉なる 信田の森の うらみ葛の葉」という一首が残されていた

人と人以外のものが夫婦となる「異種婚姻譚」の代表作だが、美しい葛の葉姫とあどけない子供の別れの場面と狐がひとり蘭菊が咲く野原を信田の森にとぼとぼと帰っていく「蘭菊の乱れ」のシーンには思わず涙がこみ上げる

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そしてこの安部保名と葛の葉狐の間に生まれた男の子こそが、あのスーパー陰陽師 安部清明 なのである

彼は様々な妖術を使い人々を驚かせたというが、人間とキツネの子ならそれも尤もなこととつい納得、とは行かないか・・・

ところで映画「陰陽師」で安部清明を演じたのは狂言界の若手スター、野村万斎だった

(ここから、能・狂言の話題に飛びたいところだが、それはまた後日のお楽しみ)

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さて、このゴールデンウィークに愛車「プリウス」を駆って奈良・和歌山を訪れた

いつものことながら事前の計画もなしに、突然思い立って日曜日の午後に出発したのはいいが、どうしても3日の夜だけが奈良にも和歌山にもホテルがとれない

困って「じゃらん」を調べていると、奈良と和歌山の中間点ということで大阪府南部の「弥生の里温泉」という宿が見つかった

南紀の道成寺を訪ねた後、「弥生の里」についてみると、これがなんとスーパー銭湯に併設された宿泊施設だということが分かったが、これが随分と立派なビルで、部屋もとても綺麗

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そして、ナビを頼りに「弥生の里」を探していると最寄駅は「信太山駅」、着いてみるとそこは「大阪府”和泉”市」だったが、でもそれでもまだ鈍い小生はピンと来なかった

ところが部屋に入ると和泉市役所が作っている「和泉市の歴史散歩マップ」が置いてある

「和泉市のスーパー銭湯で歴史って言われてもねぇ・・」と正直馬鹿にしながら開いてみると・・、なんと宿からすぐのところに「葛の葉姫伝説」縁の葛の葉神社がある、と書いてある

おまけに少し車で行ったところには「信田の森の鏡池」まであるではないか!!

温泉にゆっくり浸かった翌日、早出してまずは「葛葉稲荷神社」に・・・

葛葉稲荷神社_small 葛の葉神社境内 神社本殿

とまあ、見てのとおり随分と立派なお社と境内である。 そして・・・

葛の葉伝説碑2 葛の葉伝説碑

さらにこんなに分かり易いものまで・・・

葛の葉姫 葛葉神社縁起_small

和泉市産業観光振興会に心から敬意と謝意を表したい

そして次に訪ねたのは、冒頭の写真にある信太の森の面影を今にとどめる「鏡池」だ

信太の森鏡池 信太の森鏡池2 信太の森鏡池縁起

ここにも葛の葉伝説に関する丁寧な説明がある

写真では分からないが、今やこの辺りは一面団地が立ち並ぶ住宅地に変わってしまっている

それでもなお、この鏡池とその後ろに広がる鬱蒼とした森は往時の信太の森を髣髴とさせ、葛の葉に化けた白狐の姿が偲ばれる

義経千本桜の舞台 - 奈良・吉野 -

吉野山下千本3 吉野山下千本2
<桜のシーズンは終わってしまったが・・>

歌舞伎や文楽の人気狂言の定番「義経千本桜」の中で義経の愛妾、静御前と佐藤忠信(実はキツネ)が義経を追って満開の桜の中を旅する四段目「道行初音旅」の舞台となった吉野山を訪ねた。
5月の連休だったため、見ての通りほとんどが青々とした葉桜だったが、一部ピンク色も残っていた。
吉野のさくらは北側から下千本、中千本、奥千本と順に桜が咲いていくのだが、写真は下千本のものである。
桜は散ってしまったが、緑眩しい吉野の山々を見るだけでも清々とした命の息吹と紀伊半島の山々がもつ何とも言えない神聖な雰囲気は十分に伝わってきた。

下千本辺りには約1300年前に役行者(えんのぎょうじゃ)が開いたと伝わる金峯山寺(きんぷせんじ)という修験道のメッカがある。その本堂たる蔵王堂(国宝)の大きな屋根が、吉水神社の方から遠くに見えた。

金峯山寺蔵王堂 金峯山寺蔵王堂


吉水神社も金峯山寺と並んで世界遺産(吉野山一帯が世界遺産に指定されていると思う)に指定されている。南北朝時代に後醍醐天皇の御座所となったとも義経と静御前が潜伏したとも言われているが、正直「?」って印象であった。

吉水神社

とは言え「源義経所持」とされるこんな物が置いてあったり、「弁慶思案の間」なんて部屋があると「ここも千本桜ゆかりの場所だ!」と思えてくる、かな・・・?

吉水神社 義経の鎧

ところで、吉野山の麓には「吉野川」が流れている。(この川の正式名称は「紀の川」であり、河口のある和歌山県ではそう呼ばれている。本当の「吉野川」は四国の高知・徳島を流れるこれまた有名な川である)

そして、吉野山への参道入り口から吉野川沿いに数キロ行ったところに、昨年、吉田蓑助さんの文化功労者顕彰記念として出された「妹背山女庭訓」の舞台である妹山と背山が文字通り吉野川を挟んで対峙しているのだった。

吉野材木組合の方の協力を得て撮影した妹背山の姿ともうひとつの定番狂言「壷坂霊験記」の舞台、壷坂寺は次回のお楽しみにしておきたい。

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