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友人の勧めで文楽を観たことがきっかけで伝統芸能に目覚めました。歌舞伎や能もよく観ます。とりわけ三味線の魅力にとりつかれ長唄を習い始めました。

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歌舞伎 「京鹿子娘道成寺」@演舞場

歌舞伎11月公演 「吉例顔見世大歌舞伎」の夜の部を観た

11月公演チラシ

遂に念願の「京鹿子娘道成寺」を生の舞台で観ることができた!!

DVDでは玉三郎の道成寺も観たし、さよなら公演での玉三郎と菊之助の「二人道成寺」のDVDも繰り返し観てきたが、はやり今回の菊之助による「生道成寺」は最高であった

義太夫節にのって花道から白拍子花子が寺を目指してやってくる道行の後、紅白の幕が上がると満開の桜に包まれた山の向こうに道成寺と思しき伽藍と五重塔が見える

それを背景に色艶やかな着物に身を包んだ菊之助が次々に変化する曲想に合わせた踊りを、一時間以上に亘って独りで踊り通す姿は感動的である

特に超絶スピードの三味線の合方の後、「恋の手習い・・・」のクドキで見せる花子の色気にはドキッとさせられる素晴らしい舞いであった

次々に引き抜かれて、速替わりする着物の美しさにも思わずうっとりとしてしまう。 しばらく前までは全く興味もなかった「和服」としての着物が、かくもテーマ性(モチーフ)や季節感を雄弁に表現する芸術性の高いもものであることに今更ながら圧倒されるとともに、着物文化をはぐくんだ日本の文化の奥の深さを改めて誇らしく思う

もちろん玉三郎の道成寺や彼と菊之助の「二人」とかを観た目で言えば、まだまだ注文はあるのかもしれないが、生の舞台で観た今日の菊之助の道成寺は自分にとっては最高のパフォーマンスでありエンターテイメントであった

そして大半のお客さんが菊之助の踊りにしか関心がなかった、と言うか、目を奪われていたと思うが、それでも自分は七挺七枚の長唄連中、太鼓2、大鼓、小鼓3、笛2の囃子連中にも大いに満足した

舞踊としての娘道成寺は歌舞伎舞踊としても最高峰の一つと言って間違いないと思うが、同時に長唄としての道成寺も傑作中の傑作である

今回はしっかりと楽譜を持参したが、菊之助の踊りを見なきゃ意味がないので合方(三味線だけの器楽演奏のパートを合方という)のとき以外は楽譜を見るどころではなかった

娘道成寺楽譜

三下がりからスタートするも「言わず語らぬ・・」からは二上り、そして「梅とさんさんさくらは・・・」からは再び三下がりへ。途中、楽譜にはないが合方の途中ですら調子を変えている場面を何回か見た

三味線の手自体は楽譜で見る限りそれほど難しくはないように思えるが、それでも合方では超高速になるところが何箇所もあり、それを七挺であわせるのだから至難の業だ

立三味線の杵屋巳吉はまだ若い(若く見える)が高い集中力で細かく速いフレーズもこなれていたし、彼に続く六挺もよく統率がとれていた

勝国や栄津三郎のようなキレとメリハリ、そして攻撃的な迫力には欠けたような気がするが、それでも娘道成寺という曲にはそういうものより、しっとりとした情感が表現できることが大切なのかもしれない

唄はこの曲ならばはやり直吉で聴きたかった

さて、最初の「外郎売り」はなんのことはない、我らが曽我五郎が外郎売に変装してやってくる以外はいわゆる「寿曽我対面」とほとんど同じ設定で、極めて祝言性の高い様式美を楽しむ舞台だ

幕が上がると雄大な富士山を背景に舞鶴、大磯の虎、化粧坂の少将らの美女や武将が居並ぶ絢爛豪華、もうそれだけで「立体錦絵」!!

見せ場のひとつは外郎売の口上を早口言葉で言う場面だが、当代の尾上松緑も堂々とこなしたものの、観てるこちらとしては「カマないか、カマないか」と冷や冷やしながら観ていたのは偽らざるところだ

その後すぐに得意の荒事を披露する五郎、お決まりの和事スタイルでなだめにかかる兄曽我十郎は若手のホープ、尾上松也だ

この狂言には大薩摩なのだが、実際には長唄連中による演奏で、ここでも巳吉の三味線が光った

そして最後は音羽屋のお家芸、髪結新三。

チラシの裏には「江戸の市井の風俗をみごとに活写した黙阿弥の作品。初演で五世菊五郎が新三を演じて以来、音羽屋の家の芸として受け継がれている世話物の傑作」とあるが、まさしくそのとおり!!

大店に出入りの髪結いがやって来て、手代忠七の頭に当るシーン。 菊五郎はまるで本職の髪結いであるかのごとく、手際よく「仕事」をしていく

次には新三の家での新三(菊五郎)とその見習い下剃の勝奴(菊之助)の実の親子が交わすやり取りに、外からは鰹売りが初鰹を天秤棒に担いで売りにくる

さぞや値が張る初鰹をポンと言い値で新三が買うと、魚売りはさっさとそれを二枚におろすのだが、初物に目がなかった江戸っ子の風情を生き生きと映し出している

性根の座った「悪(ワル)」をやらせたらおそらく当代一の菊五郎は、ボロ長屋の座敷の真ん中に座っているだけなのだが、客席はまるで自分が本当の江戸の市井にタイムスリップしたような、そんなリアリティの中に引き込まれて行く

悪の新三の上を行く、老獪な大家。 これを演じた三津五郎の芸の奥行きに今回は大いに感動した
三津五郎と菊之助が三十両の金を巡ってのやりとり  最初は強気の菊五郎が三津五郎のしたたかな弁舌の前にタジタジになっていく場面は見ごたえがあった

ところで、「恋の手習い・・」のクドキで花子が口に咥える手拭が、今回も恒例として「おひねり」にして舞台から投げられたのだが、なんと幸運なことにナイスキャッチ。 前席のお着物姿のオバ様には申し訳ないが、彼女の手をすり抜けた一投を手のひらの真ん中でパシッと受け止めてしまった

テニスのボレーもこういう感じでスイートスポットに当たればもっとパフォーマンスも上がるのだが・・

菊之助手拭
<音羽屋の定紋である「重ね扇に抱き柏」と菊之助のサイン入り!ラッキ~!>

そんなこんなの盛りだくさんの約4時間40分。あっという間に過ぎてしまった

ああ、娘道成寺を今一度、長唄囃子連中にフォーカスしながら観てみたい

そして更にもう一度、今度は菊之助に集中して同じ舞台を観てみたい
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京都 南座十月大歌舞伎

京都南座で1年半ぶりに歌舞伎を観た

写真(5)

「矢の根」は富士山を背景にした館の中で、彼のトレードマークである胡蝶の刺繍が美しい色鮮やかな衣裳に身を包んだ曽我五郎時致(橋之助)が様式美溢れる荒事を見せる

そして兄の十郎祐成を父の仇である工藤祐経の許から救い出すために、通りがかりの馬を乱暴に奪い取り、何故か馬の荷であった大根を片手に高く捧げて見得を決める

まあそれだけのことなのだが、橋之助の堂々たる時致が色彩豊かな舞台と衣裳で所狭しと荒々しく舞う姿は、まるで三次元の錦絵をみるようで、それだけで気持がスカッとする

また二挺二枚の大薩摩は鳥羽屋里長(とばやりちょう)だった!長唄好きとしては初めてのナマ里長に大いに感激した

写真(6)
<左上でボートのオールのように見える大きな矢を持っているのが五郎時致(橋之助)>

続く「墨染念仏聖(すみぞめのねんぶつひじり)法然上人譚」は浄土宗の開祖、法然の800年忌を記念して、彼の偉業をたたえる新作歌舞伎である

大伽藍の太い柱を思わせる円柱6本だけの幻想的で抽象的なオブジェを、舞台の奥行をフルに活かして配してある

それ以外は漆黒の背景である

そこに法然の弟子である源智上人と彼が法然の死後に作ったとされる阿弥陀如来立像が空中に現れる

この後、法然に導きを請うた熊谷次郎直実(橋之助:無冠の大夫、平敦盛の首と偽って実は自分の子供を殺したことがきっかけで出家して蓮生と名乗る→能「敦盛」)や法然にほのかな恋慕の気持ちをいだく薄幸の式子内親王(しょくしないしんのう:壱太郎)が登場する

そして最後には配流の決定が九条兼実によってもたらせるも、法然は動ずることなく念仏を唱えることの大切さを諸国に広めることが自分の本望と堂々と運命を受け入れる

藤十郎の法然は余りにも適役で抑制の効いた演技がリアルな法然を彷彿とさせる

橋之助の熊谷も一の谷での敦盛との出会いを回想する場面での流れるような所作が美しい。冒頭の時致の荒事もそうであるが、まさに脂がのった演技と感じた

壱太郎の式子内親王も美しい 裾の長い着物を上手に操りながらしなやかな所作が初々しく思わずうっとりしてしまう

6月の鑑賞教室で静御前をやったときも同じような感覚に捉われたことを思い出した

ちなみに式子内親王は能「定家」でもみられるように歌人の定家との禁断の恋が有名だが、一説によると法然とも
親しく文を交わしていたことが分かり、法然にも想いを寄せていたではないかといわれている、らしい

藤十郎、翫雀、壱太郎の親子三代に橋之助が加わる舞台では、花柳寿輔が振付ける華麗な舞を楽しむことができた

しかし、唯一、義太夫や囃子がPAを通じた大音響の録音再生であったことが非常に残念であった

そして、最後は翫雀・壱太郎親子による「連獅子」だ

七挺七枚の豪華な長唄囃子連中が舞台中央から左右にひろがり、背景は能舞台を形どった「松羽目」物の基本形だ

唄方・三味線ともに若手が多く、特に唄は全員で唄う際のデコボコ感がちょっと気になった

もう後は翫雀、壱太郎がトップスピードでの連獅子の舞だから、敢えて何もいう必要はない

絢爛豪華な衣装に身をつつんだ親子獅子が七挺七枚+6人の囃子から繰り出される厚い演奏に合わせて親子ならでは息の合った獅子舞を見せてくれた

終わってみれば矢の根から連獅子までおおむね長唄系をベースとする舞踊劇で、そう考えると自分の好みにはぴったりだった。法然の話はもう少し「お芝居」かと思っていたので少し期待とは違っていたが、前衛的な舞台演出は仏教世界の精神性の表現としては適切だったと思う

橋之助の時致・熊谷、壱太郎の式子内親王と子獅子、それに里長の大薩摩 これらが観られただけでとても充実した京都での観劇であった

つい先月、京都を歩いた際に、折りしも法然上人800回大遠忌の法要準備に忙しい浄土宗総本山「知恩院」を訪ねた

IMG_1499_知恩院御影堂_small
<御影堂では信者による詠唱大会が開催されていた>

法然上人のお芝居は知恩院門跡、伊藤唯眞門主が監修されている

さて舞台が跳ねた後、新幹線の京都駅構内で思ったより時間があったので迷わずこれを頂いた!

写真(8)

でも、本当は南座に隣接する松葉本店で食べたかった。いつも思うが本店で頂く方がやはり美味しい気がする

歌舞伎 通し狂言 「當世流小栗判官」

新橋演舞場で今年の芸術祭参加作品でもある通し狂言「當世流小栗判官(とうりゅうおぐりはんがん)」を観た

IMG_1923_小栗判官ポスター_small
<演舞場の入り口にあったポスター>

最高に面白く、楽しく、清々しい舞台だった!!
たっぷり4時間ちょっと、飽きさせることのない密度の高いエンターテインメント

しばらく前に「亀治郎の会」での「葛の葉」でもそう感じたが、亀治郎は確信犯的なエンターテイナーぶりを更に強く感じた

立役、女形、早替わり、どれも完成度高く見せるのだが、そうした個々の芸だけでなく芝居全体の面白さの仕掛けを見通した上での個々の芸のプレゼンテーションだ

それはもちろん説経節に由来する元ネタを浄瑠璃や歌舞伎にかけた近松のオリジナルにもよるだろうし、それを復活させ今回も演出した猿之助や補綴の石川耕士らの手にもよるものであるだろう

しかし演者としての亀治郎自身も単にいくつかの役を上手に演じるだけでなく、最終的な芝居全体に対する緻密な仕掛けを知悉した上での演技ぶりだと感じた

さて、この物語のあらすじ、歴史的背景、歌舞伎の演目としての江戸から明治にかけての流行と衰退、そして市川猿之助による復活上演など説明し始めたら切りがない

加えて、来年には猿之助を襲名する亀治郎及び澤瀉屋一門総出の華やかな舞台についてもこれまた何かと話題の多い公演だ

IMG_1912_新橋演舞場開演前_small
<開演前からこの人だかり>

それでも駆け足で筋を辿ると・・・

室町時代、常陸国を治めていた横山家の中に国を横領しようとする悪人一派があり、彼らはまんまと当主を自害させ、家宝の「勝鬨の轡」を奪い、自害した当主の娘「照手姫(てるてひめ)」(市川笑也)を誘拐する

そこに将軍家の命によって照手姫の許婚となっていた小栗判官(亀治郎)が乗り込んで来る。 小栗は乗馬の名手と知られ、悪者一味は詮議にやって来た小栗に向けて暴れ馬の「鬼鹿毛(おにかげ)」を放って「乗りこなしてみよ」と挑発する

小栗は蹴り殺されるどころか、見事にその馬を手なずけてしまい、自分が乗った鬼鹿毛を小さな碁盤の上に立たせてみたり(「碁盤乗り」)と、曲乗りまで披露。あげくは自分の馬にしてしまう

→ 見どころ① ここでは小栗が所狭しと暴れる馬を、多少のチャリを交えながら徐々に手なずけ、最後は碁盤の上に見事に二本足で立たせて、扇を広げて見得を決めるシーンが見事!!

こうして悪事は露呈したものの、小栗は肝心の照手姫とは生き別れ、家宝の轡も行方が分からない

場面が替わって、一方の照手姫は近江国堅田の猟師、浪七(亀治郎)にかくまわれているが、その妻の兄弟ら(右近、獅童ら)の企みによって照手姫を奪われそうになる。元は常陸の横山家に仕えていた浪七は自分の命と引換えに龍神にすがって照手姫を救い出す

→ 見どころ② ちょっとエグい気もするが、自らの腹を掻っ捌いての龍神への願掛けは鬼気迫る演技

その後、今度は美濃国の青墓宿の長者宅に家宝の轡があると聞いた小栗(亀治郎)がやってきたところ、長者の娘、お駒(亀治郎の二役)が小栗に一目惚れ。轡と引換えに小栗はやむなくお駒と祝言(!?)することに

ところが、長者の家には小萩という下女が居た。これがなんと照手姫の成れの果てであったから話がややこしい。
お駒の母はもとはやはり横山家に仕えた身

最初は小栗がお駒の夫になることを喜んでいたが、自分が乳母として育てた旧主姫の許婚とあっては、わが子お駒と言えども小栗と夫婦にはできない

摺ったり揉んだりの後、結局、お駒は旧主への義理を通す母の手によって、首を刎ねられ小栗と照手は無事再会するが、お駒の小栗への執念は激しく、小栗はお駒の霊に祟られ、醜い顔になり足腰も立たなくなってしまう

→ 見どころ③ ここは怪談風の仕立て 運命に弄ばれたお駒も可愛そうだが、そのわが子の首を刎ねる母の苦衷も哀れ

そんな中で、見初められる小栗(男)と見初めるお駒(女)を巧みに早替わりする亀治郎が素晴らしい。ちょっと暗くなる場面だが、小栗役のときにわざと女形の科を見せたりしてユーモラスな演出も心にくい

降りしきる雪の中、照手姫が曳く車に乗せられて小栗は、祟り病を治すために霊験あらたかな熊野の霊湯に向かう
そこにかつて照手姫を助けた相模の遊行寺(ゆぎょうじ)の遊行上人(片岡愛之助)が現れ、小栗はさっそく霊湯を浴びる

するとたちまち祟り病は平癒、いよいよ常陸の国へ乗り込んで、悪人退治!しかし熊野から常陸は千里の彼方。小栗は熊野権現に願をかけ駿馬を授かる

小栗と照手姫が神馬にまたがり、大空高く飛んで行く

→ 見どころ④ これが冒頭のポスターの写真のシーンだ。熊野権現に授かった神馬は小栗と照手姫を載せて、花道の上を三階席に向けて飛んでいく そこでも亀治郎と笑也は馬から落ちそうになるチャリを入れるのを忘れない
大迫力、サービス満点のクライマックスだった

最後は常陸の華厳の大滝。馬に乗って空からやってきた亀治郎は、家来とともに悪者一味(段四郎、右近ら)を討ち果たして、最後は一門が客席に向かってお礼の挨拶

とまあ、こんなところだ。

小栗判官なんて、と歴史的な価値を余り認めていなかったのだが、それでも「古浄瑠璃」以前の説経節にその源流があり、また、それが親鸞以降、急速に民衆の間に広まった念仏宗教のひとつ、時宗と密接な関係にあること

常陸はもとより、ついこの前訪ねた三井寺(園城寺)近くの堅田や、熊野も舞台となり、各地に小栗縁の史跡があることなど、初めて知ることも多く、ここでも日本文化の奥の深さと幅の広さに改めて感心した

とにかく文句なく楽しめる舞台だ。決して安くはないが是非、いい席を取ってご覧になられることをお勧めする

それから以前親しくお話を聞かせて下さった 片岡松之丞 丈が腰元「お島」の役で渋い演技をみせてくれたのが嬉しかった!

26日千秋楽 新橋演舞場にて

歌舞伎「開幕驚奇復讐譚」@国立劇場

「開幕驚奇復讐譚(かいまくきょうきあだうちばなし)」

物語は皇室が京都と吉野に分裂・対立していた南北朝が、室町三代将軍足利義満によってひとまず統一された(「南北朝合一」、1392年)ものの、引き続き不満を残した旧南朝方の公家や武士たちが、義満や四代将軍義持らに対して抵抗を続けていた頃、いわゆる「後南朝」といわれる時期の譚(はなし)である

(あらすじや配役は国立劇場で配っているチラシの裏をご参照あれ)

開幕驚奇1_small

やっぱり市井のワルをやらせたら今の菊五郎は最高!

もちろん吉野山の仙女九六媛(くろひめ)として、例のレディ・ガガそのままの奇抜な衣装も良かったが、なんと言っても善良な商人を装いながら実は盗賊稼業の木綿張荷次郎(ゆうばりにじろう)の菊五郎のスゴミがいい

座敷に座っていても、笠を持って歩いても、そしてもちろん見得をきっても圧倒的な存在感と役の性根がリアルに表現される、そんな迫力がある

時蔵が扮する大名奥方長総(ながふさ)、そしてそのなれの果て荷次郎の妻おふさ。 個別に見ればド迫力の女形だが物語りを通しての性格付けが余りに無節操でやや興ざめだったのがもったいない

そして菊之助、若侍をやっても姑摩姫をやっても美しい。もちろん父、菊五郎と比べると線が細くは感じるが、それにも増して役者としての独特の存在感があって素晴らしい

なんといっても舞台両花道上空を菊五郎の九六媛と、菊之助の姑摩姫の二人同時の宙乗りが「驚奇」且つ華やかであった

今回は「南総里見八犬伝」で有名な曲亭馬琴作品の復活通し狂言としての意義や菊五郎の工夫を凝らした衣装、そして音羽屋父子の揃い宙乗りなどのみどころはあったが、前述のとおり長総の性格の無稽さや、お芝居後半での盛り上がり不足など、全体としてはやや中途半端な舞台だった気がする

とは言え、菊五郎の圧倒的な存在感と台詞回しの素晴らしさ、そしてこれぞ歌舞伎と思わせる声質、それらを間近に生で見られたことで、十分に満足できた

美しい菊之助、彼の独特の声質、渋谷のコクーン(盟三五大切)以来であったが、こちらもたっぷりと堪能した

10月27日まで国立劇場で

開幕驚奇2_small


歌舞伎 「芦屋道満大内鑑 葛の葉」 -亀治郎の会

人形浄瑠璃では何度なく観てきた「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」を歌舞伎として初めて観る機会を得た
市川亀治郎が自身の会(第9回 亀治郎の会)で、最初の演目に葛の葉姫を選んだのだ

葛の葉伝説と信太の森についての以前の記事はこちら

亀治郎の会2 写真(1)

信太の森のキツネが化けた安部保名(あべのやすな)の妻「葛の葉」と、両親に連れられて保名の隠れ家にやってくる本物の葛の葉姫の二役を亀治郎が演じる「早替わり」も見事、且つユーモラスで面白かった

文楽とは違う演出として面白かったのは、キツネの葛の葉が保名との間にもうけた子供(後の陰陽師、安部清明)にいよいよ別れを告げる段になって、部屋の障子に有名な一首「恋しくば 訪ね来て見よ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」を書き残すのだが、なんと歌舞伎では観客の前で本当に筆で障子に書いて見せた

実に亀治郎は恋しくば・・・和泉なる、までを右手で、そこに、昼寝から目覚めた童子が母を求めてやってくると、その子を小脇に抱えたまま左手を使って「裏文字(鏡文字?)」で「信太の森の」、そして、最後は子供を負ぶってなんと筆を口に加えて「うらみ葛の葉」と美しく書いたのだ! これが「曲書き」というやつか…

葛の葉姫
<まさにこんな感じ!>

この程度の曲書きなぞは序ノ口、葛の葉の早替わりも単なる衣装の着替えだけではなく、機織り、子育てをこなす保名の女房としての身のこなしと深窓の令嬢としての葛の葉姫を演じ分ける亀治郎の versatile なエンテーテイナーぶりを大いに感じさせてくれた。

それもあってのこの盛況!95%が「老若女々(ろうにゃくにょにょ!)」で占められていた

亀治郎の会3

二つ目の出し物はチラシの表にある「博打十王」。 こちらはさらにエンタメ性の強い舞踊劇で昭和40年に猿之助が初演してものの復刻だ

自分にとってはこれが「長唄」仕立てで、六挺六枚(三味線、唄共に6人づつ)に囃子方も6人という豪華な「オーケストラ」だったことが何より嬉しかった

曲の中に端唄の「梅は咲いたか」まで織り込んであったが、やはり、大勢の長唄は聴いているだけで楽しいものだ。
因みに囃子の笛はお気に入りの福原友裕だった

亀治郎の会1

これは「プログラム」なのだが、屈指の浮世絵収集家としても知られる亀治郎所蔵の浮世絵や折口信夫の「信太妻の話」という考証が掲載されている非常に充実した内容だった

今回は駆け込みの当日券で二階の後方、B席を7000円で買って観た

一階の正面は特別席だがなんと15000円。70分の葛の葉と60分の博打十王、二題で15000円はいくら亀治郎さまと言えどもチト高すぎるか

7000円で歌舞伎の大内鑑と長唄を堪能できたと思えば、それがギリギリ、ソロバンが合うところだ

歌舞伎 「稚魚の会・歌舞伎会 合同公演」@国立劇場

第17回 稚魚の会・歌舞伎会 合同公演を国立劇場小劇場で観た

合同公演_small

しかもひょんなことから、縁あってA班・B班両方の舞台を観ることになった・・・

まず「壽曽我対面」は歌舞伎座さよなら公演のDVD(平成21年1月公演)を観たばかりであったが、なかなかどうして国立の小劇場という限られたスペースにもかかわらず、祝言色豊かな絢爛豪華な舞台を若手俳優たちの清冽な演技と相まって堪能することができた

A班・B班ともに工藤祐経は團十郎門下の市川升六(第17期歌舞伎俳優研修生)が演じたが、その堂々たる所作、台詞回し、表情など、本来の座頭の役としての威風を見事に体現していたと思う

また、舞鶴、化粧坂の少将、大磯の虎、いずれも若手女形によるみずみずしい色気が色彩豊かな衣装とともに舞台に華やかさを添えていた。中でもA班の化粧坂の少将を演じた中村京由(きょうゆき)は本物の花魁でもかくや、と見まごうほどの美しさであった

曽我十郎・五郎のコンビもそれぞれ和事・荒事の組み合わせはお決まりとしても、全体がおちついた荘厳な雰囲気の舞台の上で血気にはやる五郎の荒事としての演技がいかに難しいものであるかが今回はよく分かった

それにしても一刻も早い仇討ちの機会をと詰め寄る粗忽な兄弟、それをあざ笑う軽薄な大名たち、そして、若者たちに心を寄せる遊女らの台詞のやりとりの中にあって、最期に裾野での巻狩りへの入場手形たる「切手」を兄弟に投げ与える余裕を見せる祐経の堂々たる威風が際立っており、観るものに感銘を与える演技であった

とにもかくにも大好きな五郎時致にちなんだ演目を生で堪能できて大いに満足した

次は「一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)」、こちらもA班・B班両方を観た。

平治の乱で夫源義朝を失った常盤御前は牛若丸(後の義経)ら幼子3人を守るため、平清盛に服し一條大蔵長成に嫁していたが、夫長成は下は源氏の血筋ながら、今では舞の稽古に専念し、常盤も楊弓という娯楽用の弓矢遊びに夜な夜な興じているという有様

その様子に業を煮やした源氏縁の吉岡鬼次郎らが常盤御前に奮起をうながそう、というのがこの物語の発端である。
そして鬼次郎がさんざんに常盤に悪口雑言は吐いた上に、常盤の楊弓で彼女を打ち据えるいう家来筋としてはあり得ない行動に出たところ、常盤が実はこの遊びも憎い清盛をいつの日にか滅ぼさんとする思いを表しているのだ、と本心を告げる

続いて大蔵卿も現れ、平家方の輩をいきなり切りつけ、普段は「作り阿呆」として平家からの無理難題をかわしつつ、実は内心では伊豆の頼朝や義経らの蜂起を期待しつつ、いろいろと策を巡らしていたことが明らかになる

毅然として平家方の武士を切り殺し、挙句は生首までとって膝に抱える勇猛さと威厳を現しながら、瞬時に弛緩してポカンと口をあけた「阿呆」の姿に変わってひょうきんな所作に入る、という大蔵卿は、なかなか難しい役どころである

この点A班の吉右衛門門下の中村東志二郎(としじろう)の演技が光っていた

また、源氏縁に鬼次郎をA班で演じた市川猿琉(猿之助門下)もいかにも歌舞伎における二枚目武士にふさわしい輪郭、体躯、所作などなかなか将来が楽しみな演技であった

最後の「戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)」はA班だけを観たが、これもなかなか素晴らしい舞台だった。市川新十郎の浪花の次郎作、市川升一の与四郎は若手の中でも十分な風格を感じさせる所作・台詞回し。

そこに、先にA班、化粧坂の少将を勤めた中村京由(芝雀門下)の禿たよりが加わるのだが、これがまたみずみずしい美しさだ。もちろん、DVDなどで散々に玉三郎や菊之助の美しさを見慣れていると、まだまだ所作に堅さが目立つ。顔は本物の若い女性以上に女だが、身のこなしはまだまだ少年という感じか

それにしても小劇場という限られた空間で研修生らの発表会ということで、舞台装置や衣装なども、本公演に比べて簡略化されたものが使われるものと、やや、期待を下げて見に行ったものの、全てが本格的で何より若手の力のこもった演技に想像以上の感動を得ることができた

これらの中から将来歌舞伎会をしょって立つような俳優が出てくれば素晴らしいと思う

歌舞伎 「義経千本桜 川連法眼の館」

国立劇場で歌舞伎の鑑賞教室に行ってきた

6月の出し物は義経千本桜、「河連法眼館の場」である

鑑賞教室_small
<無料で配られた冊子の表紙>

「鑑賞教室」なんて子供(生徒)が行くもの、って思われるかもしれないが、これが結構楽しめる

文楽の鑑賞教室は大阪は7月、東京は12月だが少なくとも東京は欠かさず通っている

なんと言っても若手の俳優や太夫、三味線、人形遣いが普段とは違った表情で面白おかしくそれぞれの伝統芸能を生き生きと語ってくれる姿が見ていて微笑ましい

今日は中村壱太郎(かずたろう)が冒頭の解説をしてくれた。袴姿も凛々しい二十歳の慶応ボーイだ

マイクを片手に歌舞伎の解説をしているときは、よく通る声の「男の子」として颯爽と話しているのだが、これが一旦本番になって義経の彼女、静御前になって出てくると、もうどこをどう見ても若くて美しいお姫様なのだ

声もさっきとはうって変わって女性の声。図らずも双眼鏡でジッと見つめてしまった・・・「これはヤバイ・・・ぞ」

この美しさ、さっきのイケメン男との落差の大きさ、一体これはなんなんだ~!

ちなみに左の狐忠信は壱太郎クンのお父さん、中村翫雀(かんじゃく)だ。ちなみにお父さんのお父さん、つまり、壱太郎クンのおじいさんは、あの坂田藤十郎(人間国宝)だ

血は争えぬ、と言うが、これは一体「血」なのか、それとも精進なのか。

まあ、その両方だというのが優等生的答えなのだが、それにしても江戸時代から続く芸能を明るく前向きに、そして何より楽しいそうに繋いでいく若者がとても眩しく、そして頼もしく思えるのであった

壱太郎君の記事が松竹のページに出ています

7月も国立劇場は鑑賞教室。千本桜の渡海屋の場・大物浦の場を尾上松緑が平知盛に扮して演じる

詳しくはこちら

歌舞伎 「中村座(江戸歌舞伎)」発祥の地 と 京橋「恵み屋」

中村勘三郎と言えば・・・

銀座と京橋のちょうど境目辺り(旧京橋のたもと辺り)、ホテル西洋銀座からみて銀座の中央通を挟んで斜め向かいに、江戸歌舞伎の江戸三座のひとつ 「中村座」発祥の地を示す碑がある

江戸歌舞伎発祥地

それによれば、1624年に初代中村勘三郎を座頭(ざとう、ではない。ざがしらと読む)とする中村座(当初は勘三郎が猿若勘三郎と称していたので猿若座と呼ばれていた)がこの地に興されたことが江戸歌舞伎の嚆矢とするらしい

1624年と言えば江戸幕府の成立や「出雲の阿国」から約20年

まだまだ江戸市井も伝統芸能も、これからその形を作っていく初期のころのことだ

歌舞伎のことをまだ何も知らない小生にとっては「勘三郎」という名前の持つ意味もあまり定かではなかったが、これを聞くと「そういうことだったのか・・・」とまたひとつ歴史の重みを感じる

この碑のある場所から30mほど東京駅の方に行くと 驚愕の立喰い蕎麦屋「恵み屋」がある

恵み屋

立喰いでありながら十割。しかも予め蕎麦粉を練った作った蕎麦玉を、注文を受けてから特殊な装置で「麺状」に成形し、そのまま沸騰している「釜」にダイレクトイン! ほんのわずかな茹で時間で即、提供されるのだ

このため出来上がってくる蕎麦は並みの手打ち蕎麦より手打ちっぽい蕎麦を食べることができる

夜は京橋の作法にのっとった「立ち飲み」の蕎麦居酒屋に早変わり

拙ページ「蕎麦三昧」の記述はこちら  場所をきちんと確認したい向きはこちらをクリック






歌舞伎 「盟三五大切」 - コクーン歌舞伎

立見で三時間の観劇だったが、あまりの面白さにあっという間に大詰めまで行ってしまった

1994年「東海道四谷怪談」の初回から今年で17年目にして12公演目のコクーン歌舞伎だが、小生はそもそも歌舞伎を観始めたのが最近だから、もちろん今回が初めて

もっと言うなら東急文化村のコクーン劇場に足を踏み入れるのすら初めてだ

今年の出し物は98年以来13年ぶりの「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」

コクーン歌舞伎2

歌舞伎初心者の小生にとって、タイトル(外題)をみてもなんと読めばいいのか分からないし、そもそも、コクーン歌舞伎って何?っていうのが正直な第一印象だった

ただなんとなく中村勘三郎につらなる若手の役者さんたちが、歌舞伎座や国立などではなかなかできないお芝居をやる

あるいは伝統的な歌舞伎の舞台芸を今日的な演出によって、下世話な言い方かかもしれないが、若い世代でも楽しめるちょっとお手軽なエンターテインメント、ぐらいに思っていた

しかし、そんなイメージは客席が暗くなって舞台前面に降りたままのシルクのような幕越しに、靄の中を一艘の手漕ぎ舟が現れた瞬間から木っ端微塵に打ち砕かれた・・・

舟に乗っている尾上菊之助演じる深川芸者の小万(こまん)と三五郎(中村勘太郎)の二人

この小万の美しいことこの上なく、 そしてあの菊之助独特の声

立見と言っても、20メートルぐらいの距離から見下ろす前で、二人がしどけない態を見せるのだから堪らない

中村橋之助の源五兵衛も時代劇の主人公はかくあるべしというようないい男

しかも、始めはとても如才なく、とてもいい人然とした浪人として登場するが、これが小万や三五郎の悪どい諜略に気づくところから、怒りと怨念を眼にたたえた姿に変わっていくところが凄まじい

二役演じる坂東彌十郎の武士姿と町人姿、どちらも歌舞伎の型を体現する渋い演技でこれまた素晴らしかった

四世鶴屋南北によるお話の筋は実によく出来ていて、人間関係が入り組んでいて最後の結末も面白いのだが、ちょっと複雑なのでこちらをみていただきたい

コクーンの舞台と客席は↓のような感じ

コクーン歌舞伎1

舞台に降りているのは幕なのだが、これが半透明で舞台の中の照明によってはそれを通じて芝居が見える仕掛け

客席は舞台前面のひとブロックが桟敷席で座布団に座って観ることになる

そしてその左右が「花道」になっていて役者の出や入がある

場面によってはその通路で役者が倒れたり、座りこんだりすることで、観客と役者たちの一体感が高まる仕組みだ

考えてみればこういう造りこそが昔の芝居小屋の在り様であったことだろう

そう思うとこの劇場ぐらいの広さが、本来の歌舞伎の舞台として最適なのかもしれない

大詰の場が始まる前にさっきの桟敷席のお客にビニールシートが配られた

同じ立見のブースで仲良くなった初老のおばさんが「この前きたときは血しぶきがかかるからと言って、カッパを渡された」と不気味なことを教えてくれた   まさかブルーマンのレッド版か?

いよいよ切りに近づいたころ源五兵衛が自分の罪に気づいくシーンでなんと舞台の前面、ちょうと幕がある辺りの天井から、今度はシルクならぬ、雨の幕が落ちてきた

そう、舞台にザーと本物の水がカーテンのように落ちてくるのだ

落ちた水は舞台に当たり、その水飛沫が舞台近くの観客に降りかかる  度肝を抜く演出だ

舞台に落ちた水は、よくは見えないがあまり溜まることなくどこかえ吸い込まれているようだが、はっきりとは分からない

とにかく、かなり間この雨が降り続く  その雨のカーテンを潜って番傘をさした源五兵衛が客席に歩いてくる・・・

最後はシルクのスクリーン向こうで、源五兵衛の来し方が走馬灯のように時間を遡って繰り広げられる

とまあ、こんな具合にぐぐっと物語に引き込まれての3時間  終わってみて初めて両方の脚がパンパンなのに気がついた

東京国立博物館 「写楽展」

上野の国立博物館で開かれている「写楽展」を観て来た。

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東洲斎写楽は十八世紀の終わり頃のほんの10ヶ月間程度に亘って活動した「謎の浮世絵師」として有名だ

最近は浮世絵が結構な人気らしく、六本木ミッドタウンのサントリー美術館、麻布の山種美術館などでもいろいろな角度から浮世絵を集めた展覧会が開かれてきた

今回は歌舞伎の役者絵を中心に描いた写楽を中心に据え、時期による画風の変遷を4期に分けて時系列的に追うと同時に、描かれた歌舞伎役者ごとに他の浮世師の作品と比較することで写楽の特徴を浮かび上がらせると言う、なかなか凝った構成になっている

写楽

例えば三代目沢村宗十郎ならば、彼が寛政六年(1794年)五月に「都座」で上演された「花菖蒲文禄曽我」に登場する「大岸蔵人」を演じた姿を、写楽、歌川豊国、勝川春英の3人の絵師による作品を並べて展示することで、写楽の特徴をつかみやすくしてある

比較はしていなくても、人気歌舞伎役者ごとに作品を展示してあることで、当時の役者絵が歌舞伎興行のポスターや役者のブロマイドの役割を果たしていたことを改めて実感することができる

そして何より、400年の歴史を持つ歌舞伎そのものの歴史の重みを感じさせてくれる

その意味で今回の写楽展は「江戸の人気歌舞伎役者の顔見世」興行と言ってもいいのではないだろうか

歌舞伎 「壷坂霊験記」

歌舞伎の「壷坂霊験記」をようやく観た、と言っても歌舞伎座さよなら公演のDVDだが。
さよなら公演も終盤に近づいた2010年2月公演の夜の部だ。

坂東三津五郎の澤一と中村福助のお里だ。

三津五郎の前半のお里の不義を疑い拗ねたような澤一から、死を決意して壷阪寺に向かう途中のわざとらしく明るい表情、そして、目が開いてからは、ウキウキ飛び跳ねんばかりの様子を見事に演じ分けている。特に最後の杖を巧みにあやつりながら軽妙に踊る姿は大山阿夫利神社での「山帰り」の舞踊を彷彿とさせるものであった。

福助のお里も有名な「三つ違いの兄さんと・・・」で始まるクドキもさることながら、壷阪の観音様に願をかけ希望を胸に明るく振舞うお里、不義を疑われて切ない女心、そして澤一が谷に身を投げたことを知って嘆き苦しむ姿など、くるくると変わるお里の心理を見事に演じ分けるところが見所。

五月の連休に奈良の壷阪寺を訪ねたが、境内から辺りを見回すと確かに「ここから落ちると助からないだろうな」と思わせるだけの険しい谷もあった。

壷阪寺からの遠景

お里の不義を疑った自分を恥じ、彼女の幸せを願って飛び降りた澤一。後に残された身を儚んで後を追ったお里の気持ちに思いを馳せると、壷阪寺の境内もまた違ったものに見えてくる。

壷坂寺

歌舞伎俳優 片岡松之丞 @ NPO 「和塾」

本物の日本文化を学ぶ学校と銘打つ「和塾」の「お稽古」と呼ばれる会に参加する機会を得た。
この日の講師は歌舞伎役者の片岡松之丞さん。

松之丞さんは女形を演じる「おやま」で、舞台では高貴なお姫様に仕える腰元や寺社門前の茶屋の女将さんのような脇役を演じることの多い中堅俳優さんだ。

まず何より感心したのは松之丞さんのしゃべり方や座り方。
講師としてお話になる時は既に「女性」を演じていらっしゃるのかもしれないが、それにしても物腰、言葉使いがごく自然に女性的だ。

長い芸歴に支えられたお芝居の要諦や衣装としての着物の扱いから始まり、師匠である十三代目片岡仁左衛門の「舞台では絶対に笑い顔をみせるな!」というような教え、坂東玉三郎との交遊歴など興味深いお話が続いた。

その松之丞さんが「おみやげ」として下さったのがコレ。

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その日千秋楽だった新橋演舞場での五月大歌舞伎、夜の部でかかっていた「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」という狂言の中で、花魁(おいらん)八ツ橋が情夫・繁山栄之丞に宛てた手紙である。

もちろん客席からは何が書いてあるか分かるわけもないが、それでも毎回毎回きちんと小道具としての手紙が手書きされるのだそうだ。確かに最後に八橋の名前が見える。

ちなみに会場となったのは銀座中央通りに面した和装小物のお店「くのや(久野屋)」の4階にある和室だ。ちょうど松坂屋の向かい辺りになる。 → くのや のHPはこちら

和塾_small
<写真は松之丞さんのお話が終わって、みんなで後片付けをしているところ>

ちなみに当日、歌舞伎音楽としての浄瑠璃のひとつ、常磐津節の太夫である 常磐津兼太夫(ときわづかねたゆう)が参加された。
兼太夫は人間国宝である常磐津一巴太夫(いちはだゆう)の息子さんだそうで、近々和塾で太夫のご指導でお稽古があるそうだ。

5月27日(金)放送の教育テレビ、花鳥風月堂の後半で常磐津が紹介されたが、そこで語っていたのまさにこの人、兼太夫だったのにはびっくりした。

母と観た歌舞伎

今日は母の日だ。

去年の夏、亡くなった母のためにお祈りをしよう

2009年6月の歌舞伎座さよなら公演を母と観た。

仁左衛門の「女殺油地獄」だった。

同じ年にバレー「ドンキホーテ」も見に行った。

お正月には祖母の形見のお箏と小生の三味線で合奏の「フリ」をして写真を撮ったりもしたのに。

その数ヶ月後には急性の白血病であっという間に亡くなってしまった母。

先の震災で親を亡くした子、子を亡くした親。兄弟親戚を亡くした人たちが大勢いらっしゃることだろう。

その人たちの分も併せて今日はお祈りをしよう。

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